第55回:たとえ「パンダ」になれなくても……「マティス」10年の大逆襲
2008.08.23 マッキナ あらモーダ!第55回:たとえ「パンダ」になれなくても……「マティス」10年の大逆襲
欧州でシボレーといえば
「骨の髄までシボレーで、あとで肘鉄クラウンさ」というのは、小林旭の名曲「自動車ショー歌」の一節である。
日本でシボレーといえば「カマロ」や「コルベット」などアメリカ車を思い出すが、最近のヨーロッパではちょっと違う。
こちらでシボレーは、韓国・GM大宇自動車(GMDAT)製の小型車やSUVを指すのである。ちなみに欧州でコルベットは、シボレーとは別に独立したブランドとして販売されている。
そのGMDAT製シボレーの人気車種「マティス」が誕生10周年を迎えた。
日本でも単に「マティス」として販売されているので、ご存知の方も多いだろう。
実はこのマティス、イタリアと切っても切れぬご縁があるのだ。
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「新型フィアット」のはずが……
マティスの源流を辿ってゆくと、今から16年前に遡る。1992年、かのジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインが、プロトタイプとして発表した5ドアの「IDチンクエチェント」である。名前から想像できるとおり、フィアットに対して新世代の小型車として提案したものだ。
続く1993年には、ジウジアーロは「ルッチョラ(イタリア語でホタル)」を公開する。こちらは3ドア4人乗りで動力もハイブリッドを想定していたが、スタイリング的にはIDチンクエチェントの流れを汲んだものだった。
イタリアの自動車ジャーナリズムは「これぞ2代目パンダの姿?」と書きたてた。ボクもあるミラノのイベントでルッチョラを目にして、期待に胸を膨らませたものだ。なにしろ、大成功を納めた初代「パンダ」の産みの親がプロポーザルした新型フィアットだったのである。
しかし、現実は意外な展開となった。フィアット首脳陣は、このジウジアーロ案に興味を示さなかったのである。
それを受けてイタルデザインはそのプロジェクトを韓国の大宇に持ち込んだ。そして1997年、大宇から「マティス」のネーミングで発売されたのだ。
全長×全幅×全高は3495×1495×1485mm(欧州仕様)で、日本の軽自動車規格より僅かに大きい。当初のエンジンは796ccの3気筒のみだった。
大宇はブランドとして地名度が低かったにもかかわらず、マティスは売れ始めた。ジウジアーロと大宇の間にも良好な関係をもたらしたようで、その後他車種でもコラボレーションをすることになった。同社にとっては、ヒュンダイに次ぐ2番目の韓国クライアントとなった。
ところが、さらに思わぬ展開が訪れた。アジア通貨危機の影響で1999年に大宇グループが経営破綻し、翌年大宇自動車も危機に陥ったのだ。
当時、早くから支援に名乗りを上げたのはGMだったが、同社の乗用車部門の買収交渉がまとまったのは、2001年のことだった。
そんなドタバタの間でも、幸いなことにマティスはイタリア、フランスをはじめとするヨーロッパ各国でよく売れ続けた。2001年12月の資料を読み返すと、イタリアにおけるセグメントAクラスでマティスは月に3000台近く売れ、3位にランキングされている。
コンパクトサイズには珍しいLPG仕様が、それもカタログモデルとして用意されたことも好評を博した。
ちなみに、中国の奇瑞汽車がマティスにスタイルも排気量も酷似した小型車を「QQ」の名で発売し、GMの抗議を受けたのも、マティス人気の表れであろう。
そして2005年4月かGMヨーロッパにより、欧州でマティスを含むGMDAT製小型車は新たに「シボレー」のバッジを付けて発売されることになった。ディーラーの看板もシボレーに掛け替えられた。
同年にはフルモデルチェンジも行なわれた。この2代目も全長×全幅は初代と変わらずコンパクトで、LPG仕様が用意されていたことから顧客を逃さなかった。
ここ数カ月もイタリアで3000台を上回るペースで売れ続けている。セグメント中のランキングでは「フィアット・パンダ」、同「500」「スマート・フォーツー」に次ぐ4位だ。
広がる空想
ボクが知るイタリア人女性も、子供が生まれたのを機会にハングル文字の検査済みマークが貼られた初代「マティス」のオーナーとなった。彼女はそれまでペーパードライバーだったが、仕事や子供を預ける実家との往復にクルマを運転することになったというわけである。
「本当は初代パンダで充分。それに子供を乗せるのに、5ドアのほうが便利。だけど新型パンダは高い」という。そんな彼女こそ「マティス」の典型的オーナー像であり、彼女が語る理由こそ「マティス」人気の秘密なのである。
ちなみに現行マティスのベースモデルは8000ユーロ(約129万)を切る。それに対してパンダは超廉価版を除いて1万ユーロ(約161万円)からである。「パンダになれなかったパンダ」の逆襲は続く。
2003年に登場した「フィアット・パンダ」の開発過程においては、明らかにマティスも研究対象の1台に入っていたに違いない。しかしその発表が遅かったこともあって、フィアットは2006年まで長い経営危機のトンネルを彷徨うことになった。
もしあのとき、フィアットがジウジアーロのアイディアを買っていたらフィアットの危機は回避できたかもしれない?
となると、現行パンダのプラットフォームを流用した新型500は誕生していたか? イタリアの街でマティスを見かけると、ついつい空想が広がってしまうのである。
(文=大矢アキオ Akio Lorenzo OYA/写真=ITALDESIGN-GIUGIARO、GM Europe、大矢アキオ)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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