コッパ ディ 小海(後編)
2011.09.27 画像・写真2011年9月10日から11日にかけて、長野県南佐久郡小海町を起点に、今回で21回目を迎えたクラシックカーのタイムラリー「コッパ ディ 小海」が開かれた。1991年に初回が開催された、わが国のクラシックカーラリーの嚆矢(こうし)であるこのイベントは、毎年4月に実施されている。今年もその予定だったのだが、東日本大震災の影響により9月に延期された。ラリーは2日間にわたって開催されるが、走行距離が長いメインイベントは初日。開催時期がズレたことにより、例年ならば残雪で通行止めとなっている道路も通れるとあって、リゾートホテル「小海リエックス」をスタート/ゴール地点とするルートは、いつもより長い全長約267km。絶好のイベント日和の下、1920年代から70年代までのおよそ70台の名車が、風光明媚(めいび)な八ケ岳周辺のドライブを楽しみながら、設定タイムに合わせた走りの正確さを競った。参加車両を中心に、イベントの様子を紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)
(前編はこちら)

1953年「ポルシェ356カブリオレ」。いわゆる「プリA」のカブリオレだが、なんとこの個体、当時のインポーターだった三和自動車によって、日本に初めて正規輸入された2台のポルシェのうちの1台だという。当時、356のエンジンは1.1/1.3/1.5リッターの3サイズ5チューンだったが、これは60ps を発生する1.3リッターの高性能版「1300S」を搭載。ちなみにベーシックな「1100」はたったの40ps、最強バージョンの「1500S」でも70psだった。
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1953年「ポルシェ356カブリオレ」。いわゆる「プリA」のカブリオレだが、なんとこの個体、当時のインポーターだった三和自動車によって、日本に初めて正規輸入された2台のポルシェのうちの1台だという。当時、356のエンジンは1.1/1.3/1.5リッターの3サイズ5チューンだったが、これは60ps を発生する1.3リッターの高性能版「1300S」を搭載。ちなみにベーシックな「1100」はたったの40ps、最強バージョンの「1500S」でも70psだった。
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1954年「DB HBR」。ルネ・ボネ(頭文字B)とシャルル・ドゥーチェ(同D)が1938年に設立した、後の「マトラ」のルーツとなるフレンチ・スポーツカーメイクが「DB」。戦後の48年から空冷フラットツインを積んだ小型FFセダンの「パナール」をベースとするスペシャルを作り始めた。「DBR」は「パナール・ディナ」の745ccフラットツインを搭載したレーシングスポーツで、ルマンやミッレミリアで好成績を残している。
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1962年「CD LMプロトタイプ」。「DB」の片割れのシャルル・ドゥーチェが独立して立ち上げたのが「CD」。「DB」と同様に、「パナール」の空冷フラットツインによる前輪駆動のパワートレインを、きわめて空力的なアルミボディーで包んだレーシングカー。これの発展型が、64年のルマンに出走したことで知られる「CDプロトタイプLM64」。サイドウィンドウは固定式で換気口も見当たらないため、ドライバーはさぞかし暑かったことだろう。
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1960年「コンレロ・アルファ・ロメオ1150LM」。アルファ・ロメオのチューナーとして名高い「コンレロ」が手がけた、60年のルマンに出場歴があるレーシングスポーツ。鋼管スペースフレームにアルミ外皮をかぶせるという定番の手法で作られており、エンジンは1150cc以下のクラスに合わせてジュリエッタの1.3リッターをスケールダウンしているのだろうか。「フェラーリ・テスタロッサ」を縮小したようなルックスは、大いに魅力的だ。
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1965年「マセラティ・セブリング Sr2」。57年にデビューした、マセラティ初の量産市販車である「3500GT」の後継モデルとして、62年に登場した大型高級GT。ビニャーレが手がけた2+2ボディーに、50年代のF1およびスポーツカーレースで大活躍したレーシング・マセラティ直系の、ダブルイグニッション(ツインプラグ)の直6DOHC3.5リッターエンジンを積んでいる。
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1972年「フェラーリ365GTC/4」。前編で紹介した「365GT 2+2」の後継モデルとして71年に登場。伝統に従いピニンファリーナによる2+2ボディーに、同時代の「365GTB/4デイトナ」と基本的に同じだが、キャブレターをダウンドラフトからサイドドラフトに替えるなどしてややデチューンしたV12DOHC4.4リッターエンジンを積む。ギアボックスもデイトナのようなトランスアクスルではなく、オーソドックスにフロントに置かれている。地味ではあるが、パフォーマンスと快適性のバランスに優れたモデルと評されている。
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1973年「ランチア・フルビア・クーペ1.6HF」。独特の狭角V4エンジンを積んだFFセダン「フルビア」のバリエーションとして、65年に登場した「フルビア・クーペ」。「HF」はラリー参戦を見据えた高性能版で、エンジンは当初は1.2リッターだったが、67年には1.3リッター、69年には1.6リッターにスープアップ。72年には翌73年からWRCに昇格するヨーロッパラリー選手権でメイクスタイトルを獲得するなど、ラリーで大活躍。「ラリーのランチア」の礎を築いたモデルである。
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1965年「ジャガーEタイプ Sr1 ライトウェイト仕様」。今年生誕50周年を迎えた「ジャガーEタイプ」は、60年代を代表するスポーツカーの1台。スタイリッシュで高性能ながらリーズナブルな価格設定により、北米向けを中心に75年までに計7万台以上が作られたヒット作でもあるが、「ライトウェイト」はたった12台しか作られなかったアルミボディーを持つレーシングモデル。この個体は、63年にアメリカのカニンガム・チームからルマンに参戦したマシンを模したもので、フィニッシュはすばらしかった。
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エントラントのなかで唯一の女性ペアが操り、レディース賞を獲得した1967年「フィアット850スパイダー」。リアエンジンの小型セダンである「850」のシャシーに、カロッツェリア・ベルトーネ時代のジウジアーロが手がけたオープン2座ボディーを着せた小粋なスパイダーで、65年にデビュー。ドライバー/コ・ドライバーとマシンとの雰囲気がピッタリで、非常にフォトジェニックだった。
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鮮やかなイエローがよく似合う1970年「フェラーリ365GTS/4デイトナ・スパイダー」。50年代に登場した「250GT」に始まる、V12をフロントに積んだ量産フェラーリの最終発展型が、68年にデビューした「365GTB/4デイトナ」である。ヘッドライトは当初はプレキシグラスで覆われた固定式だったが、70年の北米仕様から安全基準に対応するためリトラクタブルとなった。73年までにGTB(ベルリネッタ)が1285台、GTS(スパイダー)が127台作られたといわれている。
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1968年「ロータス・セブン Sr3」。57年にデビューした「セブン」は、鋼管スペースフレームにアルミ外皮をかぶせた簡便な構造の、フロントエンジン時代のフォーミュラカーを2座席にしたようなスパルタンで純粋なスポーツカー。それゆえに人気が高く、ロータスが73年に生産中止した後も現在に至るまで、さまざまなメーカーでレプリカや類するモデルが作り続けられている。この個体は67年に登場したシリーズ3。コ・ドライバーは小学生のお嬢さんだが、彼女の的確なナビゲーターぶりはスタッフの間でも評判だった。
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1973年「フィアット500Rカラビニエリ」。出走車両中最小排気量の「ヌオーバ500」は2台参加していたが、これは72年に登場した最終型である「500R」の、「カラビニエリ」(軍警察)のポリスカー仕様。イタリア版のミニパトである。約267kmの全行程には小排気量車にはキツい山坂道もあったが、元気に走りきった。
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北八ケ岳を横断するメルヘン街道を、逆光を浴びながら走る1937年「フレーザー・ナッシュBMW328」。カーナンバー「1」を背負い先頭を切ってスタートしたマシンだが、ゴールしてみれば結果もナンバーと同じく、初日の1位だった。珍しいこともあるものだ。
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同じくメルヘン街道を行く1948年「チシタリア204」。46年に設立されたチシタリアは、ピニンファリーナ・デザインの「202クーペ」がニューヨーク近代美術館(MoMA)に永久展示されていることで知られるが、「204」はフェルディナント・ポルシェとカルロ・アバルトという2人のオーストリア出身の偉大な自動車人が設計にかかわったレーシングカー。エンツォ・フェラーリが「史上最高のレーシングドライバー」と評した、これまた偉大なるタツィオ・ヌボラーリが最後の勝利を挙げたマシンでもあるという。
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1936年「フィアット・シアタ508S MM」。前編でも紹介した、戦前からフィアット・ベースのスペシャルを手がけていたシアタ。これは1932年に登場したフィアットの成功作である1リッター級のセダン「508バリッラ」をベースとするモデル。ちなみにフィアット自身も「508S バリッラ・スポルト」という軽快な2座スポーツをラインナップしていたが、おそらくシアタ版はより高度にスープアップされているのだろう。
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1950年「シギノルフィ1100S」。40年代後半から60年代初頭にかけて、イタリアに数多く生息した「虫」の1台だが、この「シギノルフィ」は、フェラーリやスタンゲリーニを操っていたレーシングドライバーが自身の名を冠したモデル。鋼管スペースフレーム+アルミボディーに、メカニカルコンポーネンツはイタリアでもっともポピュラーなセダンだった「フィアット1100」からの流用、という定石どおりの成り立ちを持つ。クルーとの比較から、いかに車体が小柄であるかがわかるだろう。
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ポルシェを除いては唯一のドイツ車だった1958年「メルセデス・ベンツ190SL」。通称「ダルマ」と呼ばれていた時代の「190」セダンをベースとするシャシーに、スーパースポーツの「300SL」を縮小したようなオープン2座ボディーを載せたツーリングスポーツで、54年にデビュー。いわば今日の「SLK」のルーツである。直4SOHC1.9リッターエンジンを搭載する。
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1968年「モーガン4/4」。1936年の誕生から今日に至るまで、基本的に同じ構造および姿のまま作り続けられているという、まるで自動車界のシーラカンス、あるいは現代の奇跡のようなスポーツカー。今年で車齢75年ということになるが、これは約半分にあたる車齢32年のときのモデルである。エンジンは俗に「ケント・ユニット」と呼ばれる英国フォード製の直4OHV1.6リッターを積む。
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1959年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタ・スパイダー」。量産メーカーとしてのアルファ・ロメオの基礎を築いた、1.3リッターのアルファ・ツインカムを積む「ジュリエッタ」シリーズ。まず54年にベルトーネ製クーペボディーの「スプリント」が登場、翌55年に「ベルリーナ」(セダン)と、ピニンファリーナの傑作のひとつに数えられるオープン2座ボディーを持つ、この「スパイダー」が加えられた。62年にはエンジンを1.6リッターに換装して「ジュリア・スパイダー」に発展した。
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日が傾き、だいぶ暗くなった山坂道を行く1954年「モレッティ750S LM」。「モレッティ」は1926年に二輪車メーカーとしてトリノに設立され、戦後間もなく小型四輪車の製造を開始した。「750S LM」は、多くの「虫」と同様に鋼管スペースフレームにアルミボディーを持つが、中身はフィアットからの流用ではなく、直4DOHC750ccエンジンを含め自社製だった。技術力があった証左だが、業績は思わしくなく、50年代後半からはフィアット・ベースのスペシャル製作に転換し、80年代半ばまで存続した。