なぜ「売れたクルマの後継モデル」は商業的に失敗するのか?

2025.08.12 あの多田哲哉のクルマQ&A 多田 哲哉
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商業的に大成功したクルマの次の代のモデルは、たいていの場合失敗するか、期待を上回るほど売れはしないというケースが多いように思います。それはなぜでしょうか? 開発サイドのジレンマがあれば教えてください。

よく議論になる話ですね。「あるクルマが成功すると、その次の代は、先代の影を引きずってうまくいかない」とか、「外野がうるさくあれこれ言うから企画がまとまらなくなる」とか、「守りに入ってしまい、魅力的な製品がつくれない」とか。

それぞれ当たっているところはあると思うのですが、皆さんが忘れていることがあります。それは、「たくさん発売される自動車製品のなかで、名車といわれたり大ヒットしたりするクルマというのは、そもそも極めてまれである」という事実です。

1つヒットしたら次もヒットして当たり前、というイメージを持たれるかもしれませんが、そもそも「ヒットはレアなこと」で、「2度続けて起こることは、確率的にもめったにない」。なにせ、自動車でヒット商品をつくるというのは、至難の業なのですから。

なぜかというと、大量生産を前提とした工業製品のなかで、クルマは最も開発に時間がかかるからです。

こういうものをつくろうと決めてから実際に発売するまでに、数年という時間がかかってしまう。今の時代、2年もたてば、世の中の好みとかライフスタイルは大きく変わってしまうのにです。企画の時点では、そのときの価値観をもとに、がんばって先々を予測するのですが、それが必ず当たる法則というのはいまだに確立されていません。世界中の自動車メーカーが必死になって探しているのが現状です。

そういうセンスのある人材を育成して任せてみるなど、いろいろトライはしてみるものの、とにかく当たらない。現実的には? 「10の案件のうち1つでも当たればすごくラッキー」という程度でしょう。

極少数ではあるものの、「トヨタ・カローラ」や「ホンダN-BOX」のように、そのクルマ自体がブランド化されて、「コンセプトを変えないことに価値がある」という状況になったものは、代を重ねてもけっこう売れるということはありますね。それでも毎回、「もう曲がり角に来ている」「そもそも車名がダメだ」みたいな議論は起こります。これまで大ヒットを続けてきたN-BOXですら、もう4代目ですから、次あたりからそろそろ厳しい状況になってくるかもしれません。

クルマというのはアパレルのような要素があって、しかも前述のように開発期間が長く、ずいぶん先をみてつくらないといけない。しかし、3年先、4年先の世の中を正確に予想できる人なんて、どこにもいない。

そう思っていただければ、ヒットするかしないかは偶然の要素によるところが多いということがわかるかと思います。実際、そういうもんなんです(笑)。けれど、そのことがわかってもらえないので、「前のはよかったのに、なんで今度のは失敗するのか?」と言われてしまうわけです。

私自身が開発にかかわったクルマでは、こんなこともありました。

初代の「bB」はユニークなモデルで、市場でもかなり売れました。しかし、企画・開発の最終形を担当役員に説明に行ったときには、「こんな出来損ないみたいなクルマを本気で売るのか!?」と、散々な言われ方をしたのです。

たまたまそれを聞いていた当時の奥田 碩(ひろし)社長が「若い人に売るのだから、年寄りのわれわれがとやかく口をはさまないほうがよかろう」と言ってくれたものだから、役員もしぶしぶ了承してくれました。ただし、「絶対に売れないに決まっているのだから、開発コストを半分にしろ」という無理難題付きで……。「その額でやるなら目をつぶってやる」というわけです。

開発費半減というのは、常識的に、何をどう削っても実現できません。で、ほとほと困っていたときに、開発メンバーのひとりが「試作車を1台もつくることなく、コンピューターを使った解析・設計だけで完成させて量産にまで持ち込めば、ほぼ半額でいけます」という試算結果を持ってきた。

もちろん、最初の反応は「アホか?」であり、私自身も大笑いでしたが、ちょうど時代は、コンピューター解析(CAE:Computer Aided Engineering)でのシミュレーション技術が飛躍的に発展していたころです。トヨタにはそういう専門部署もあって、「テスト走行に至るまでのすべてを解析できてしまう」という状況になっていた。

いや、ひょっとしたらできるかも……というところからそれは現実となり、トヨタ史上初の「一度も試作車をつくったことのないクルマ」として、初代bBは世に出ることになりました。まぁ、お客さんに対してアピールすることではないので、あまり知られていないかもしれませんが(苦笑)。

とにかく、本当に半額でできた。しかもけっこう売れた。つまり、むちゃくちゃもうかった。そんなbBが2代目へと移行するときも、技術の担当役員は同じ方で、「絶対にダメだと思ったあのヘンテコなクルマが売れたんだから、とにかく2代目は、初代以上に変わったクルマにしなさい」と叱咤(しった)されました。が、2代目は、ユニークを通り越して「ヘンテコなクルマ」になってしまった。当然、まったくセールスは振るわずです。

“ユニークで斬新”と“ヘンテコ”は紙一重。「ヒットしたクルマの次の代はチャレンジできないからダメだ」という人もいますが、チャレンジとか革新は、言葉の響きこそいいものの、ちょっと行き過ぎただけでヘンテコになってしまいます。チャレンジしすぎて失敗したという事例だって、本当にたくさんある。かくも、クルマのヒット商品をつくるというのは難しいことなのです。

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多田 哲哉

多田 哲哉

1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。