「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑」
2012.12.05 画像・写真2012年12月1日、東京都新宿区の明治神宮外苑 聖徳記念絵画館前で、「トヨタ博物館 クラシックカーフェスタ in 神宮外苑」が開かれた。愛知県長久手市にあるトヨタ博物館が、クラシックカー愛好家同士の交流とクルマ文化の継承を目的とするイベントを首都圏でも開催すべく、2007年から始まったこのフェスタ。6回目を迎えた今では、旧車愛好家の間ですっかり定着している。一般オーナーから募集した約100台のクラシックカーの展示と公道パレードを中心とする内容は、会場が神宮外苑となった2回目以来不変だが(初回の会場は台場のMEGA WEB)、今回はイベント史上初の出来事があった。初回からずっと好天に恵まれてきたこのフェスタが、一時的にではあるが、初めて悪天候に見舞われたのである。この日の都内は、一日晴れという天気予報に反して朝方に小雨が降ったものの、イベントが始まる午前10時前後には時折太陽も顔をのぞかせるまでに回復した。ところが昼前ぐらいから再び雨がパラついたと思ったら、パレード終了直後に急に空が暗くなって本降りとなり、おまけに強風まで吹き出す始末。それでもオープンカーも少なくなかったパレード中に降らなかったのは幸いで、また荒天も30分ほどで収まったが、回復後は一気に気温が下がって寒かった。そんな空模様にもかかわらず、例年と同じくいちょう祭りでにぎわう周辺から多くのギャラリーが訪れ、会場は盛況だった。また、これも恒例となっているトヨタ博物館所蔵車両の展示は、今年トヨタが創立75周年を迎えたことにちなんで、初期のトヨタ車および同時代のモデルが並べられ、デモ走行も披露された。会場から、リポーターの印象に残ったモデルとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

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午前10時からのオープニングセレモニー終了後、早川茂トヨタ自動車専務がフラッグを振り下ろしてパレードがスタート。先導車はトヨタ博物館所蔵の1960年「トヨペット・クラウン・デラックス(RS21)」。当時の小型車(5ナンバー)規格に収めるべく1.5リッター直4OHVエンジンを積んだ、初代クラウンの中期型である。
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今年はトヨタ創立75周年ということで、例年ならパレードのアンカーを務めるトヨタ車からスタート。これは珍しい1976年「トヨタ・スプリンター・デラックス」。3代目スプリンターのセダンで、双子車の「カローラ30(サンマル)」より立派なフロントグリルが特徴。
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1981年「トヨタ・セリカ・リフトバック1600GT」。これも珍しい3代目セリカの、日本初にして唯一となったポップアップ式ヘッドライトを持つ初期型である。ヤマハ発動機が開発した1.6リッター直4DOHCエンジンを積んでいる。
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1971年「サーブ99」。愛好家の間では“アーリー99”と呼ばれる初期型。しかも最初のオーナーであるスウェーデン大使館員が持ち込んだ本国仕様で、71年のみの特別色であるシルバーミンクグレーのボディーカラーまでオリジナルという希少車。
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1954年「ベントレー・コンチネンタルR」。今日のベントレー・コンチネンタル系のルーツである、なんとも優美な大型高級GT。貴重なクラシック・ロールス・ロイスおよびベントレーを所蔵しているワクイ・ミュージアムの車両である。
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1964年「日野コンテッサ1300スタンダード」。サイドモールをはじめとするクロムの装飾が省かれたスタンダード仕様は非常に珍しい。本来はこの初期型スタンダードのみシングルヘッドライトだったが、それを除くモデル用のデュアルに替えられている。
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1981年「三菱ミラージュ」。70年代後半から80年代初頭にかけての日本車は、排ガス対策が未熟だったこともあって残存数が少ない。この初代ミラージュも、売れた割には残存率が低いクルマの筆頭格である。当時の日本車としてはスタイリッシュな部類だったが、その名を受け継いだ現行モデルは……。
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パレードは絵画館前を出てから外苑前のいちょう並木を通って青山二丁目〜三宅坂〜祝田橋〜二重橋〜鍛冶橋〜銀座四丁目〜日比谷〜国会前〜三宅坂〜青山一丁目〜権田原〜絵画館前というルートで、全長約11km。絵画館前に戻る神宮外苑の周回路にて、1975年「トヨタ・カリーナ・ハードトップ1600GT」。「セリカ1600GT」とほぼ同じ中身を持つ初代カリーナのホットモデルで、この個体はスチールホイールまでオリジナルだ。
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法政大学体育会自動車部の部車である1938年「ジャガー3-1/2リッター・サルーン」。66年に部に寄贈され、80年にOB有志から募った寄付金650万円をかけてレストアし、以後今日まで動態保存されているという。ステアリングを握っているのは女性(OG?)だった。
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このイベントにも何度か参加している1959年「ビュイック・エレクトラ225」。GMのなかでキャデラックに次ぐ高級ブランドであるビュイックの、59年当時のハイエンドモデル。全長5.7m以上、全幅2m以上の巨体に6.6リッターV8を積む。
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1981年「デロリアン DMC-12」。いまさら言うまでもないが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に使われてその名を知られるようになったモデル。これは個人オーナーの参加車両だが、会場にはトヨタ博物館蔵の個体も展示され、来場者が乗り込めるようになっていた。
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1949年「ジャガーXK120」。北米で成功を収め、戦後におけるジャガー躍進の原点となったスポーツカーで、3.4リッターの直6DOHCエンジンを積む。リアホイールオープニングを覆ったスパッツがエレガントな雰囲気を醸し出している。
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1968年「メルセデス・ベンツ280SL」。「品川3」のシングルナンバーが付いたこの個体、なんとワンオーナー車で、塗装も補修部分を除いてはオリジナルという。もちろん当時のインポーターだったウエスタン自動車(ヤナセ)の正規輸入車で、これまた希少な右ハンドル仕様である。
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1973年「スズキ・ジムニーLJ20」。初代ジムニーの誕生は70年だが、これは72年に最初のマイナーチェンジを受けたモデル。当初は横長だったフロントグリルのスリットが縦長になり、空冷だった2ストローク2気筒359ccエンジンが水冷化された。
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1968年「マツダ・ファミリア・ロータリークーペ」。前年の67年に発売されたマツダ初のロータリーエンジン搭載車である「コスモスポーツ」のエンジンをデチューンし、大衆車であるファミリアのクーペボディーに積んだモデル。マツダが「ロータリゼーション」と呼んだロータリー大衆化の第1弾で、コストパフォーマンスは抜群だった。
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1960年代から70年代にかけて活動していた日本のカスタムビルダーの草分け的存在である「カロッツェリア・ワタナベ」が、「ホンダS600」をベースに作った「グリフォン」。FRP製ボディーのデザイン、フィニッシュともにレベルは高く、歴史的にも貴重な1台である。
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1958年「ダットサン210」。日産初の国際舞台への挑戦だった58年のモービルガス・トライアル(豪州ラリー)で、初出場でクラス優勝という快挙を成し遂げたモデルの同型車。ライセンス生産していた「オースチンA50」用のストロークを縮めた1リッター直4OHVエンジンを搭載。単に「5」から始まる、品川や練馬などの陸運支局名がなかった時代の東京ナンバーを付けている。
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1971年「ダットサン1600 2ドアセダン」。3代目「ダットサン・ブルーバード」だが、これは「510」の型式名で親しまれていた左ハンドルの北米仕様。アメリカでは“poor man's BMW(1602)”の異名をとった2ドアセダンの人気が高かったが、日本では廉価モデルにしか用意されていなかった。
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1964年「プリンス・グロリア・デラックス」。クロムの装飾が映えるゴージャスなスタイリングの2代目グロリア。日本初の2リッター直6SOHCエンジンを積んだ「スーパー6」は有名だが、これは1.9リッター直4OHV搭載の「デラックス」。それも東京オリンピックの際にJOC(日本オリンピック委員会)の公用車として提供されたヒストリーを持つ車両だそうで、カタログにはないソリッドカラーのライトブルーで塗られている。
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1961年「トライアンフ・イタリア2000」。イギリス製オープン2座スポーツの「トライアンフTR3」のシャシーに、ミケロッティがデザインしたクーペボディーをイタリアで架装したモデルで、生産台数329台という希少車。典型的なイタリアンスポーツ風の顔つきを除き、スタイリングは61年に登場するやはりミケロッティの手になる「トライアンフTR4」に受け継がれた。
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トヨタ自動車創立75周年にちなんで、トヨタ博物館の所蔵車両から初期のトヨタ車とそれらと同時代の車両が展示され、デモ走行も行われた。左からトヨタ初の販売車両である1935年「トヨダG1型トラック」(レプリカ)、初の量産乗用車である1936年「トヨダAA型乗用車」(レプリカ)、AA型の開発に際し参考とされた1934年「シボレー・マスターシリーズDA」、同じく1934年「デソート・エアフロー・シリーズSE」。
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トヨタ自動車工業創立以前、豊田自動織機製作所自動車部時代に国策により乗用車に優先して開発された1935年「トヨダG1型トラック」(レプリカ)。「AA型」と同じシボレーに倣った3.4リッター直6OHVエンジンを搭載し、生産台数は379台。ホイールに装着されているホウキ状の物体は、未舗装路が多かった当時、雨天走行時に泥はね防止のために義務づけられていたもの。なお、これは正確にはトヨタ博物館ではなく、トヨタテクノミュージアム 産業技術記念館の所蔵車両である。
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これも豊田自動織機製作所自動車部時代に作られた初の生産型乗用車である1936年「トヨダAA型乗用車」(レプリカ)。エンジンはベストセラーだったシボレー、ボディーは最新流行の流線形を採用したエアフローを参考に、実用性とファッション性のバランスを考えつつ両者のいいとこ取りをしている。
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1934年「シボレー・マスターシリーズDA」。これは米本国の生産車だが、当時GMとフォードはすでに日本でノックダウン生産を行い、タクシー・ハイヤー市場をほぼ独占していた。いわば業界標準だったわけで、そのうちシボレーの直6OHVをトヨタはエンジン開発のお手本としたのである。この「マスターシリーズDA」は前輪独立懸架を備えているのが特徴だったが、耐久性に乏しく不評を買った。
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1934年「デソート・エアフロー・シリーズSE」。デソートは60年代初頭に消滅したクライスラーの上級ブランドで、「エアフロー」は世界で初めて流線形ボディーをまとった量産セダン。エンジンを前車軸の上に置くパッケージングは当時としては画期的で、室内は広く乗り心地も優れていたが、ルックスが進みすぎていたためか商業的には失敗に終わった。だが「トヨダAA型」をはじめ、後世に与えた影響は大きい。