「フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2012」
2012.03.22 画像・写真2012年3月17日〜18日、三重県鈴鹿市の鈴鹿サーキットで「フェラーリ・レーシング・デイズ鈴鹿2012」が開催された。これはフェラーリ・ジャパンがプロデュースするオーナーおよびファン向けのサーキットイベントで、昨年まで3回にわたって「フェラーリ・フェスティバル」の名で開かれていたものと、内容的にはほぼ同じである。主なプログラムは、公開走行は世界初という「599XX EVO」を含むサーキット走行専用車やF1マシンのデモラン、そして「458チャレンジ」によるワンメイクレース「フェラーリ・チャレンジ・トロフェオ・ピレリ アジア・パシフィック」の開幕戦といったところで、パドックでは歴史的価値の高いモデル18台を並べた「コンコルソ・デレガンツァ」も実施された。17日はほぼ1日中雨、18日もときおり小雨がパラつくというあいにくの天候にもかかわらず、会場には600台以上のフェラーリと2万人以上のオーナーおよびファンが集った。なお、このイベントのチケット売り上げの10%は、イタリア・ローマのチヴィタヴェッキアの姉妹都市である宮城県石巻市へ寄付されるという。会場から、リポーターの印象に残ったマシンと光景を写真で紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

2011年12月のボローニャ・モーターショーでお披露目された、エボリューション・パッケージを装着したサーキット走行専用車「599XX EVO」による、世界初の公開サーキット走行。F1マシンのようにリアスポイラーに2枚のフラップを備え、速度や車両の姿勢に応じてダウンフォースを電子制御するアクティブ・エアロダイナミック・パッケージを導入。加えてサイドエキゾーストを採用して750psまで高められた6リッターV12エンジン、35kgの車体軽量化、そして新開発のピレリ・タイヤの装着などによって、フィオラノ・サーキットのラップタイムは「599XX」より2秒マイナスの1分15秒を記録したという。
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2011年12月のボローニャ・モーターショーでお披露目された、エボリューション・パッケージを装着したサーキット走行専用車「599XX EVO」による、世界初の公開サーキット走行。F1マシンのようにリアスポイラーに2枚のフラップを備え、速度や車両の姿勢に応じてダウンフォースを電子制御するアクティブ・エアロダイナミック・パッケージを導入。加えてサイドエキゾーストを採用して750psまで高められた6リッターV12エンジン、35kgの車体軽量化、そして新開発のピレリ・タイヤの装着などによって、フィオラノ・サーキットのラップタイムは「599XX」より2秒マイナスの1分15秒を記録したという。
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「フェラーリ・エンツォ」をベースに、2005年に29台が限定生産されたサーキット走行専用車「FXX」。ボディーパネルはカーボン製で、ミドシップされる6.3リッターV12エンジンは800ps、後に登場したエボルツィオーネは860psを発生するという、フェラーリ史上、もっとも純レーシングカーに近いモデルである。
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1987年にフェラーリ創業40周年記念としてリリースされた「F40」。3リッターV8ツインターボエンジンを搭載、日本における新車価格は4650万円だったが、ちょうどバブル期とあって2億5000万円までプレミアムが付いたと話題になった。歴代フェラーリのなかでも人気の高い1台だが、この個体は10台だけ作られた「F40コンペティツィオーネ」(仕様)である。
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ナンバー付き車両によるスポーツ走行も行われた。並走する「458イタリア」(左)と「430スクーデリア」。スタイリングの違いがよくわかる。
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「458イタリア」をベースにした「458チャレンジ」によるワンメイクレース「フェラーリ・チャレンジ・トロフェオ・ピレリ アジア・パシフィック」。ここ鈴鹿を開幕戦として、上海で2戦、マレーシア、シンガポールというアジア地域の計5戦で争う。さらに最終戦はアジア・パシフィック、北米、ヨーロッパの3シリーズのドライバーがワールドタイトルをかけて戦うというハイソでハイパーなプログラムだ。17日に予選、18日に決勝(2レース)が行われたが、これは25台が出走したレース2のオープニングラップ。
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「フェラーリ・チャレンジ・トロフェオ・ピレリ アジア・パシフィック」のレース1で2位、レース2で優勝、そして両レースでファステストラップを記録したイタリアのシリーズ・チャンピオンであるフィリップ・プレート選手。マシンは白地に赤をアクセントに配した、シンプルなカラーリングである。
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こちらは予選でポールポジションを獲得、レース1はポール・トゥ・フィニッシュを決め、レース2は2位だった林久盛選手。つまり林選手と前出のプレート選手が両レースで優勝と2位を分けあった。レースにはスペシャルゲストの元F1パイロットであるミカ・サロも出走、最後尾からスタートして、レース1では見事3位まで追い上げた。だが、そのサロも「トップの2人(林とプレート)はとても速く、追い付けなかった」とコメントしていた。
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「フェラーリ・チャレンジ・トロフェオ・ピレリ アジア・パシフィック」には、カラフルなカラーリングを施されたマシンが少なくなかった。これはレース1で7位、レース2で6位に入賞した寺島茂選手のマシン。ちなみにレース1のスタート直後に雨が落ちてきてコースアウトやクラッシュするマシンが続出、赤旗中断となった。このマシンもリアフェンダーが少々へこんでいるが、その際の名誉の負傷かもしれない。
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「フェラーリ・チャレンジ・トロフェオ・ピレリ アジア・パシフィック」では、そこかしこでバトルが展開されていた。これは中団以下の3台による争い。
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スペシャルゲストのミカ・サロが、今シーズン用のカラーに塗られた2008年の「F2008」をドライブした「F1ショー」。サロは1999年に負傷したミハエル・シューマッハの代役としてフェラーリからF1に参戦。ドイツGPでは首位を快走、チームオーダーによりチャンピオン争いをしていたエディ・アーバインに優勝を譲って自身は2位に入賞するなど完璧なサポートを務めた。それ以前には全日本F3やF3000にも参戦しており、夫人が日本人で日本語の理解能力も高いことから、トヨタF1の開発および参戦初年度のドライバーとしても実績を残しており、日本とも縁の深いドライバーである。
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実戦から3年を経た、つまりは3年落ちのF1マシンを、さまざまなサービスとともに腕のあるオーナードライバーに提供するプログラムが「F1クリエンティ」。これは2003年シーズン用の「F2003-GA」によるデモラン。ミハエル・シューマッハが2000年から2004年までドライバーズタイトルを5連覇、コンストラクターズも5連覇したフェラーリ黄金時代のチャンピオンマシンである。3リッターV10のハイトーンを響かせて走行した。
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ピットにはデモランを行った「F2008」、「F2003-GA」のほかにも、もう1台の「F2008」、「F2005」、「412T2」という3台のF1マシンが控えていたが、残念ながら走行しなかった。
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パドックに設けられた「コンコルソ・デレガンツァ」(コンクール・デレガンス)のコーナー。1950〜60年代のモデルを中心に歴史的価値の高い18台が展示され、美を競った。
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「コンコルソ・デレガンツァ」のエントリー車両中、もっとも古い1950年「195S トゥーリング・ベルリネッタ」。ミラノの名門カロッツェリアであるトゥーリング製ボディーに2.3リッターV12エンジンを搭載した初期のロードカー。ちなみに「195」とはV12エンジンの1気筒あたりの排気量を表し、この法則は市販車では「412」まで使われた。
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1957年「250GT TdF」。「TdF」とは「ツール・ド・フランス」(今では自転車レースとして有名だが、かつては同名の自動車耐久レースが存在した)の略で、そのレースで56年から59年まで4年連続優勝したことに由来する。ピニンファリーナがデザインしてスカリエッティが製作した、当時はやりのテールフィンを持つスポーティーかつエレガントなボディーに、3リッターV12を搭載する。個人的にもっとも気に入った1台。
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「コンコルソ・デレガンツァ」で、目利きの審査員をうならせ「ベスト・オブ・ショー」(大賞)を獲得した1961年「250GT SWB」。「SWB」は「ショートホイールベース」の略で、その名の通りホイールベースを「250GT」の2600mmから2400mmに短縮したコンペティションモデル。クラシック・フェラーリのなかで、人気・評価ともに1、2を争うモデルであり、しかもこの個体は本国のレストア部門である「フェラーリ・クラシケ」で、新車時の状態に完璧に復元されているという。
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1961年「250GTカリフォルニア・スパイダー」。その名が示すとおり「250GT」をベースに北米市場向けに作られ、フェラーリの歴代オープンのなかでもっとも人気が高いと言っても過言ではないモデル。現行の「カリフォルニア」は、もちろんこれにあやかったものである。
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「F40」「F50」「599GTO」といったスペシャルなモデルが並べられたパドックの一角。写真の上方、ガレージの裏はフェラーリでやってきた来場者のパーキングスペースである。
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イベントに協賛していた「アバルト」。18日に「アバルト695トリブート フェラーリ “トリブート アル ジャポーネ”」のプレス発表を行ったほか、パドックでは「ドライビング・ファン・スクール」も開催していた。
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「ドライビング・ファン・スクール」は、パドック内に特設されたコースにて、プロドライバーが振り回す「アバルト500」に同乗するというもの。来場者は誰でも参加でき、好評を博していた。