「第6回コッパ ディ 東京2013」イベントリポート
2013.11.28 画像・写真2013年11月23日、「第6回コッパ ディ 東京2013」(6a Coppa di Tokyo 2013)が開かれた。すでに恒例となったこのイベントは、東京・汐留シオサイト5区のイタリア街をスタート地点/ゴール地点として、晩秋の休日の都内を巡るクラシックカーのタイムラリーである。毎回コース設定は異なるが、今回は汐留~台場~晴海~日比谷~竹橋~半蔵門~外苑前~表参道~青山墓地~芝公園~汐留という全長約55kmのルート。参加車両は1920年「ブガッティT13ブレシア」から70年「スバルff-1 1300Gスポーツ」までの全82台で、秋晴れの抜けるような青空の下、ドライブを楽しみつつ、いかに設定タイムに合わせて正確に走れるかを競った。リポーターが沿道から撮影した、印象的な車両と光景を紹介しよう。
(文と写真=沼田 亨)

スタート地点である汐留イタリア街に集まった参加車両たち。生産国別に見ると、もっとも多いのは、これらのバルケッタ(小舟)と呼ばれる2座席オープンスポーツをはじめとするイタリア車で、参加82台のほぼ半数を占めた。
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スタート地点である汐留イタリア街に集まった参加車両たち。生産国別に見ると、もっとも多いのは、これらのバルケッタ(小舟)と呼ばれる2座席オープンスポーツをはじめとするイタリア車で、参加82台のほぼ半数を占めた。
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スタート順に並んだ車列のアンカーを務めるのは、「シェルビー・コブラ」「フォードGT」などの大排気量アメリカンスポーツ。
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「東京モーターショー2013」にあわせて来日中のピート・ブロック氏(写真右)がスタート会場を訪れ、イベント主催者である岡田邦雄氏(同左)を激励。ブロック氏は、1965年のFIA GT選手権でフェラーリを破って王座に就いた「シェルビー・デイトナ」や「日野サムライ」などを手がけた元レーシングカーデザイナーで、自らのレーシングチーム「ブロック・レーシング・エンタープライズ」(BRE)では、日野や日産車を走らせて成功をおさめた。
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午前9時40分、まずは戦前車から年式の古い順にスタート。これは1935年「フィアット508Sバリッラ・スポルト」。36psを発生する1リッター直4 OHVエンジンを搭載した戦前の傑作軽量スポーツ。
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スタート地点から最初のコーナーを駆け抜けていく1936年「ラゴンダLG45」。戦後アストン・マーティンと同門となり、現在も同社の車名に使われているラゴンダが独立メイクだった時代の作品。ラゴンダは35年のルマンで総合優勝しているが、その血筋を受け継ぐモデルで、4.5リッター直6 OHVエンジンを積む。
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戦前車の次はバブルカー&スモールカー。1961年「メッサーシュミットKR200」の背後にちょびっと見えるのは、道路とほぼ並行した線路を走る新幹線。
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1947年「フィアット500」。戦前の36年に誕生した、「トッポリーノ」(ハツカネズミ)の愛称で呼ばれる初代500。ちっぽけなクルマに大柄な男性が2人という構図が絵になっている。
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1963年「フィアット・アバルト・モノミッレGT」。アルミボディーのアバルトというと赤く塗られたクルマが大半を占めるなか、白いボディーが新鮮。中身は「フィアット600」がベースで、エンジンは1リッター直4 OHV。
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1959年「トライアンフTR3A」。「練5」のシングルナンバー、ワイヤーホイールにホワイトウォールタイヤと、半世紀前からタイムスリップしてきたような姿がたまらない。
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1954年「ポルシェ356カブリオレ」。50~55年に1万台強が作られた、“プリA”こと最初の量産型ポルシェ。きれいなライトブルーのボディーに、純正オプションというヘッドライトのストーンガードがキマっている。
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皇居が背後に控える馬場先門交差点付近にて、1969年「ギブリ・スパイダー」、65年「セブリング・シリーズ2」、1台置いて67年「ミストラル」という、3台の60年代生まれのマセラティが並んだ珍しい光景。
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「トライアンフGT6」のシャシーやパワートレインを流用した1968年「フェアソープTX-S」。まったく同じボディーは2台と存在しないという超希少車のため、この光景は生まれ故郷イギリスの、ダブルデッカー・バスの本場ロンドンでも見られないはず。
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1952年「フィアット8Vザガート」。戦後フィアットが作った唯一のスーパースポーツで、総アルミ製の2リッターV8 OHVエンジンを搭載。これはザガートだが、ピニンファリーナやベルトーネ、ギアなどでもボディーが架装された。
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1961年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSZ」。SZとはスプリント・ザガートの略で、「ジュリエッタ・スパイダー」と同じシャシーにザガートがアルミボディーを架装。コロッとした愛らしい姿だが、タルガ・フローリオなどレースで大活躍した。
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1963年「BMW700カブリオレ」。ミケロッティの手になるボディーのリアに同社の二輪用をベースとする697ccの空冷フラットツインを搭載したモデルで、59年に2ドアセダンとクーペが登場、このカブリオレは翌60年に加えられた。
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ブランドショップやしゃれたカフェが立ち並ぶ丸の内仲通りを、1930年「アストン・マーティン・インターナショナル」、28年「ライレー・スピード9」、60年「BMWイセッタ」などが行く。
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丸の内仲通りを行くイタリアン・バルケッタを5台、年代が古い順に紹介しよう。まずは1939年「スタンゲリーニ・アラドーロ508」。スタンゲリーニは20年代からアルファ・ロメオ、マセラティやフィアットのチューニングを手がけていたモデナの小メーカーで、これはフィアットの戦前の傑作小型車である「508バリッラ」のコンポーネンツを流用している。
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1952年「エルミーニ1500S」。エルミーニも俗に「虫」と呼ばれる軽量スポーツカーを多く作ったイタリアのメイクで、ミッレミリアなどで活躍した。ほかの虫と同様にフィアットのコンポーネンツを流用しているが、エンジンは自製のツインカム。
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イニシャルの「S」をデザインした、凝ったグリルを持つ1952年「スタンゲリーニ750S」。これも自製のツインカムエンジンを積んでいる。
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1953年「マセラティA6GCSスカリエッティ」。シングルシーターのF2マシンを2座席化したレーシングスポーツで、2リッター直6 DOHCエンジンを搭載。ボディーはカロッツェリア・スカリエッティが架装している。
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1956年「オスカS950」。マセラティを創設したマセラティ兄弟が、オルシ家に会社を売却した後、戦後になって故郷ボローニャに設立したメイクがオスカ。この個体のマスクは、どこか「スポーツ800」や「2000GT」といった60年代のトヨタ製スポーツカーを思わせる。むろん、こちらが先輩だが。
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1952年「クレパルディ・パナール750MM」。イタリアにおける、パナールのインポーターだったクレパルディが、ミッレミリアに出場するために製作したスペシャル。745ccの空冷フラットツインを積んだ「パナール・ディナ・ユニオール」のシャシーに、ミケロッティがデザインし、アレマーノが製作したボディーを載せている。
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1969年「フィアット500フランシス・ロンバルディ」。カロッツェリアのフランシス・ロンバルディがドレスアップした、いわば高級版フィアット500。ダミーのフロントグリルが、もっとも顕著なオリジナルとの識別点。
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1958年「モーガン4/4」に続くのは、61年「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSV」。現代のコンパクトカーである「トヨタ・アクア」が、かくも大きく見える。
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黄葉した銀杏(いちょう)が美しい、東京駅中央口から和田倉門へ向かう大通りを行く1968年「ジャガーEタイプSr2」、56年「メルセデス・ベンツ190SL」など。
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1951年「パナール・ディナ」。「ルノー4CV」とほぼ同じ大きさの、スチールフレームに軽合金パネルを組み付けたボディーのフロントに空冷水平対向2気筒741ccエンジンを積み、前輪を駆動するフランス産のベルリーヌ(セダン)。
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往年のフランス車のトレードマークであるイエローバルブの目玉(ヘッドライト)に眉毛まで付いたユーモラスな顔を持つ1960年「パナールPL17」。前出のディナの後継モデルで、スチール製となったボディーに851ccに拡大された空冷フラットツインを積む。
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めったに見る機会がないだろうから、「パナールPL17」のサイドビューも紹介しよう。851ccの空冷フラットツインというパワーユニットからはコンパクトなボディーを想像するだろうが、実は全長4577mm、全幅1670mm、全高1405mmと、現行の日本車でいえばトヨタの「プレミオ/アリオン」に迫るサイズなのだ。エンジンに対して大きなボディーを持つのはかつてのフランス製実用車に共通する傾向だったが、中でもこれはチャンピオン級である。
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1970年「スバルff-1 1300Gスポーツ」。スバルの伝統となる水平対向エンジンによる前輪駆動を最初に採用した「スバル1000」シリーズの最終発展型。そのレイアウトには「パナールPL17」に通じるものがあるが、ボディーサイズは全長3900mm、全幅1480mm、全高1375mmとはるかに小さい。日本車の参加は、これとスモールカーの「三菱500」、通称ヨタハチこと「トヨタ・スポーツ800」の3台だった。
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車高が40インチ(1012mm)しかないことから、「GT40」と通称される「フォードGT」のレプリカ。しかし、迫力では隣に並んだ2代目「メルセデス・ベンツSクラス」(W126)もタジタジ。