「富士スピードウェイ 50周年記念イベント FUJI WONDERLAND FES!」の会場から(後編)
2017.03.16 画像・写真2017年3月12日、静岡県小山町の富士スピードウェイ(FSW)で開かれた「富士スピードウェイ 50周年記念イベント FUJI WONDERLAND FES!」。後編ではF1をはじめとしたフォーミュラカー、そして当時実際にドライブしたレジェンド・ドライバーがステアリングを握ったグループCカーなどのデモラン風景を中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)(前編はこちら)
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1/28今回のメインイベントである、「Back to F1 WORLD CHAMPIONSHIP IN JAPAN」と題されたF1マシンのデモラン。1976年にFSWで開催された日本初のF1レース「F1世界選手権イン・ジャパン」で、マリオ・アンドレッティが駆り優勝した「ロータス77」と、3位に入って自身初のドライバーズタイトルを獲得したジェームス・ハントの「マクラーレンM23」。
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2/28「ロータス77」と「マクラーレンM23」は、何度か順位を入れ替えて巧みにバトルシーンを演出した。
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3/28黒に金ストライプが入るJPS(ジョン・プレイヤー・スペシャル)カラーをまとった「ロータス77」。
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4/28オレンジと白のマールボロ・カラーに塗られた「マクラーレンM23」。「ロータス77」ともども、エンジンは3リッター時代のF1を支えた名機である、V8 DOHC 32バルブのフォード・コスワースDFVを搭載。
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5/281977年のF1日本グランプリに参戦したマシンと同型で、この年のドライバーズタイトルを獲得したニキ・ラウダが乗った個体という「フェラーリ312T2」。タイヤやブレーキパッドなどの消耗品を除いては、ほとんどオリジナルを維持した状態とのこと。
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6/281977年にF1に初参戦したウォルター・ウルフ・レーシングが、ジョディ・シェクターのドライブにより衝撃的なデビューウィンを果たした「ウルフWR1」。これを含め同年に3勝を挙げ、日本グランプリでは10位だったもののファステストラップを記録した。
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7/28ほかのプログラムにおける先導車は、FSWのセーフティーカーである「レクサスRC F」だったが、F1のデモランに限ってはナローの「ポルシェ911」が登場した。
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8/28「HERO of Fomula」と題された、FSWで競ったフォーミュラカーのデモラン。1980年代から90年代にかけてトップチームをスポンサードしたCABINカラーに塗られた2台は、前が91年に片山右京のドライブで全日本F3000王座を獲得した「ローラT90-50 DFV」、後ろが92年の全日本F3を戦った「ラルトRT35」。
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9/283リッター以下のフォーミュラ・リブレで戦われた1970年のJAFグランプリで、F1王者のジャッキー・スチュワートが駆り、独走優勝したマシンと同型の「ブラバムBT30フォード」。
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10/28「黒い稲妻」と呼ばれた桑島正美が、全日本F2000選手権で駆った「マーチ742BMW」。異名のとおり黒く塗られたマシンのカウルは「マーチ752」のものとのこと。
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11/281986年の全日本F2選手権で、エジェ・エルグが駆った「マーチ86Jヤマハ」。二輪市場でのHY戦争に続いて、ヤマハはホンダに対抗してF2用2リッターV6エンジンを開発、85年から供給を開始した。
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12/281978年、星野一義がドライブして全日本F2選手権を制した「ノバ532P BMW」。前年の全日本F2000選手権に続いての連覇、そして自身にとって3度目となる国内トップフォーミュラ制覇によって、星野は「日本一速い男」と呼ばれるようになった。
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13/28全日本F3000選手権から移行したフォーミュラ・ニッポンで、1997年にペドロ・デ・ラ・ロサが、全10戦中6勝という圧倒的な強さで王座を獲得した、シオノギチームノバの「ローラT97-51無限」。
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14/282012年のフォーミュラ・ニッポンで、中嶋一貴が自身初となる全日本選手権のタイトルを獲得した「ペトロナス・トムスFN09」。車体はワンメイクであるスイフト製FN09で、エンジンはトヨタ製3.4リッターV8。
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15/28往年のグループCカーによる「Nostalgic Group C Special Run」。1983年から92年まで開催された全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)で、高橋国光が駆ったアドバンカラーの「ポルシェ962C」は、85年から89年までに3連覇を含む4度の王座を獲得した。この個体はJSPC終了後の94年に、チームタイサンが全日本GT選手権用にモディファイし、第3戦富士で優勝した「タイサン・スターカード962」。高橋国光がステアリングを握った。
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16/281985年のルマン24時間に、トヨタが初参戦したマシンである「トムス85CLトヨタ」。シャシーは童夢が開発、エンジンはWRCに参戦する「セリカ」用をベースとする直4 DOHC 2.1リッターターボ。中嶋 悟/関谷正徳/星野 薫がドライブし、12位で完走した。今回は中嶋 悟が駆った。
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17/281991年のルマン24時間で、日本車初にしてこれまでのところ唯一、そしてルマン史上唯一のロータリーエンジン搭載車として総合優勝を果たした「レナウンチャージ・マツダ787B」。この個体はルマン優勝車ではなくJSPC仕様で、寺田陽次郎がドライブした。
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18/28SPC初年度の1983年に参戦した、日産初のグループCカーである「シルビア・ターボCニチラ」。シャシーは「マーチ83G」で、エンジンは「スカイライン」/「シルビア」/「ブルーバード」のスーパーシルエットと同じ直4 DOHC 16バルブ 2リッターターボを搭載。当時のドライバーである星野一義がステアリングを握った。
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19/28JSPC最終年度となる1992年、C1クラスで全6戦を完全制覇した「カルソニック・ニッサンR92CP」。V8 DOHC 32バルブ 3.5リッターツインターボエンジンは、予選時には1200ps以上を発生、5速でもホイールスピンを起こすパワーにドライバーは恐怖を感じたという。星野一義と組んで4勝を挙げた鈴木利男がドライブした。
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20/281992年のスポーツカー世界選手権(SWC)の開幕戦モンツァで優勝、ルマンでも2位に入った「トヨタ TS010」。これを駆ったルマンで惜敗した2年後に、「マクラーレンF1 GTR」で日本人初のルマン・ウィナーとなった関谷正徳がドライブした。
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21/28ムーンクラフトが開発した、安価なグループCマシンである「MCSグッピー」。シングルシーター化が進んだ富士GCで使用されなくなった、2座席スポーツカーの部品を流用することでコストを抑制。JSPCの初期には総合優勝を含む活躍を見せた。「レノマ84C」という登録名のこの個体を駆り、富士で2度表彰台に昇った戸谷千代三がドライブした。
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22/28残念ながら出走しなかった2台の日本製F1。左は1976年のF1世界選手権イン・ジャパンに長谷見昌弘のドライブで参戦した「コジマKE007」。1回目の予選で4位となりF1村の住人を驚かせ、2回目の予選でポールポジションを狙ってタイムアタック中にサスペンショントラブルでクラッシュし大破。奇跡的に修復を終えて決勝に出走したものの、本来の走りにはほど遠く11位に終わった。右は1974年にデビューした、国産初のF1マシンである「マキF101」。本選出走はかなわなかった。
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23/28ピットビル3Fに展示されたマシンから。この1966年「トヨタ・スポーツ800」は、オープン当初の富士スピードウェイでオフィシャルカーとして使われた個体を、近年になってレストアしたものだという。ホイールは本来スチール製だが、現在はワークスマシン用マグホイールのレプリカを履いている。
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24/281968年の第5回日本グランプリで、2リッターながら生沢 徹のテクニックと信頼性を武器にビッグマシンに挑み、見事2位に入った「ポルシェ910(カレラ10)」の同型車。
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25/281969年の日本グランプリに出走した、いすゞ初のプロトタイプスポーツである「ベレットR6」。当時の国産レーシングマシンとしては異例にスタイリッシュなボディーカウルに包まれたシャシーに、ドライサンプ化するなどしてチューンを高めた「117クーペ」用の直4 DOHC 1.6リッターエンジンをミドシップする。
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26/28左は1999年のルマン24時間で、土屋圭市/鈴木利男/片山右京の日本人トリオのドライブにより総合2位を獲得した「トヨタTS020」。右は「レナウンチャージ・マツダ787B」が総合優勝を遂げた1991年のルマン24時間で6位に入賞した、マツダワークス・カラーの「787B」。
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27/282015年と16年のルマン24時間を連覇した「ポルシェ919ハイブリッド」の2016年仕様、2014年「トヨタTS040ハイブリッド」、2012年「トヨタTS030ハイブリッド」など、ハイブリッド化された近年のプロトタイプレーシングスポーツも展示された。
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28/28FSWでF1日本グランプリが開催された2008年シーズンを戦った「ホンダRA108」(左)と「トヨタTF108」(右)。国産メーカーが同時に2社もフルワークス参戦していたなんて、今となっては夢のよう。これらのマシンが走る姿も見たかった。