「日産ヘリテージコレクション」取材会の会場から(前編)
2018.07.11 画像・写真2018年6月27日、神奈川県座間市にある日産自動車座間事業所で「日産ヘリテージコレクション」取材会が開かれた。日産ヘリテージコレクションは、1930年代の創業当初から現在に至る歴代の日産の市販車やコンペティションマシンなど約400台を収蔵し、うち約300台を常時展示する、日産ファンおよび旧車愛好家にとっては桃源郷のような施設である。それらの展示車両の中から、リポーターの心に刺さったモデルを、前編では市販車を中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)
-
1/35展示台数約300台という圧倒的なボリュームを誇る「日産ヘリテージコレクション」。
-
2/35左は所蔵車両の中で最も古い1933年「ダットサン12型フェートン」。右は、現在もメインの建屋がゲストホール/エンジン博物館として使われている、かつての横浜工場のラインで作られた最初の量産モデルである1935年「ダットサン14型ロードスター」。1950年代に超軽量ミニカー「フライングフェザー」なども手がけた、著名な工業デザイナー/エンジニアである富谷龍一氏によるエクステリアデザインが魅力的だ。
-
3/351935年「ダットサン14型ロードスター」のフロントグリル上で跳ねる、美しい脱兎(だっと、走り去るうさぎ)のマスコットも富谷龍一氏がデザインしたものだ。
-
4/35右は1938年「ダットサン17T型トラック」。シャシーは「17型セダン」や「フェートン」などの乗用車と基本的に同じで、エンジンは最高出力16psを発生する直4サイドバルブ722cc。サイズは全長が3020mm、全幅は360cc規格時代の軽自動車より細い1197mmと実にコンパクト。左は1947年「ダットサン・トラック2225型」。基本構造は戦前型と同じだが、戦後間もない頃の物資不足を反映して簡素な作りとなっている。
-
5/351947年「たま電気自動車」。1966年に日産に吸収合併されたプリンスのルーツ的なモデルである。戦後は深刻な石油不足の一方で、空襲で多くの工場が失われたため電力の大口需要が少なく、電力の供給が過剰気味だったことから一時的な電気自動車(EV)のブームが起きた。「たま電気自動車」の、一回の充電による航続距離65km、最高速度35km/hという性能は、当時のEVの中でトップだったという。
-
日産 の中古車webCG中古車検索
-
6/351953年「日産オースチンA40サマーセットサルーン」。戦中・戦後の乗用車開発の技術的空白を埋めるため、日産は英国オースチンと技術提携を結び、1953年から同社の「A40サマーセットサルーン」のライセンス生産を開始した。この個体は同年4月4日に誕生したオフライン1号車そのものだそうで、すべて英国から輸入した部品で組み立てたコンプリート・ノックダウンである。
-
7/351954年「プリンス・セダン」(AISH-2)。国産小型車(5ナンバー)で初めてOHVを採用した1.5リッター直4エンジンを積んで、1952年に登場した、当時の国産最高級車である。そもそもプリンスというブランドは今上天皇の、皇太子時代の立太子の礼にちなんで命名されたもので、皇室と縁の深いメーカーだった。中でもこの個体は、今上天皇が皇太子時代に実際に愛用していたという特別な一台。
-
8/351956年「ダットサン・セダン113型」。1955年に登場した、フレームから新設計された初の本格的な戦後型である「ダットサン・セダン110型」のマイナーチェンジ版。エンジンは戦前型から発展した直4サイドバルブ860ccで、最高出力25psを発生する。トランスミッションは4段MTで、この113型でフロアシフトからコラムシフトになった。
-
9/351961年「プリンス・スカイライン1900デラックス」。1957年に登場した初代スカイラインは、当時の小型車規格(5ナンバー)いっぱいの1.5リッターエンジンを搭載していたが、1961年に規格が2リッターに拡大されたのを受けて1900シリーズが追加設定された。デュアルヘッドライトは、1960年のマイナーチェンジの際に兄弟車だった「グロリア」と同時に採用されたもので、国産乗用車ではこれが初だった。
-
10/351964年「ダットサン・ベビイ」。横浜市青葉区にある児童厚生施設「こどもの国」のアトラクション用として、日産グループの愛知機械工業が生産していたマイクロピックアップの「コニー・グッピー」をベースに造られた。ミドシップに搭載されるエンジンは空冷2ストローク単気筒199ccで、最高速度は30km/hに抑えられている。ほぼハンドメイドで100台が作られた。この個体はこどもの国が保管していた100号車。こどもの国の開園50周年を記念して、2014年に日産名車再生クラブがレストアした。
-
11/351968年「ダットサン・スポーツ1600」(SPL311)。日本で1965年に登場した「ダットサン・フェアレディ1600」(SP311)の北米輸出仕様、それも安全対策のためにウインドシールドの丈が高くなり、サイドマーカーランプなどを備えた、珍しい最終型である。
-
12/351966年「日産セドリック カスタム6」。1965年にピニンファリーナによる(当時は非公表だった)ボディーをまとって登場した2代目セドリック。その生涯に何度もマイナーチェンジを重ねていくが、個人的にはピニンファリーナのオリジナルデザインに忠実だったであろう、この最初期型のカスタム6および「デラックス/ワゴン6/ワゴン」の顔つきが、最も美しく、魅力的だと思う。
-
13/351968年「日産プレジデントC仕様」。1965年に誕生した初代プレジデントは、主にショーファードリブンとして使われた当時の国産最高級車であり、全長5mを超える国産最大のボディーにA/B仕様は3リッター直6、C/D仕様は日産初となるV8の4リッターエンジンを搭載していた。エクステリアデザインは、日産が2代目「セドリック」用として進めていたが、ピニンファリーナ案が採用されたため浮いてしまった案をアレンジしたものという。白いボディーカラーは非常に珍しいが、オリジナルカラーとのことなので、これまた珍しくオーナーカーとして使われていた個体かもしれない。
-
14/351967年「ダットサン・ブルーバード1300エステートワゴン」。ブルーバード史上の最高傑作といわれる3代目510型の、希少な最初期型の5ナンバーの乗用ワゴン。510の特徴といえば前マクファーソン・ストラット、後ろセミトレーリングアームの4輪独立懸架だが、4ナンバーの商用バンとシャシー/ボディーを共用するワゴンのリアサスペンションはリーフ・リジッドだった。
-
15/351968年「日産スカイライン バン」。同年に登場した通称「ハコスカ」こと3代目スカイラインの4ナンバーの商用バン、それも珍しいスタンダード仕様である。商用車とはいえ、セダンと同じSOHCクロスフロー、ヘミヘッドという高級な設計の1.5リッターエンジンを搭載していた。
-
16/35特徴的な縦型デュアルヘッドライトから「タテグロ」と俗称される、日産との合併後の1967年に登場した3代目「グロリア」。左が1969年、右が1970年の、どちらもグレードは「スーパーデラックス」である。見たところフロントグリルのパターンが異なるくらいだが、実は中身も違う。2リッター直6 SOHCエンジンが、69年式は旧プリンス設計のG7型だが、70年式は日産製のL20型に換装されているのだ。それに伴い型式名もPA30からHA30に変更された。
-
17/351967年「日産ジュニア」。通称「ダットラ」こと小型の「ダットサン・トラック」と大型トラックの間を埋める、1.5t〜2t積みのボンネットトラックとして1956年に誕生したジュニア。これは1961年に登場した2代目の、後期型(41型)の2t積み標準タイプで、2リッター直4 OHVエンジンを搭載する。
-
18/351963年「日産キャブオール」。前出の「ジュニア」と基本的にシャシーを共用するキャブオーバートラックが、1957年にデビューしたキャブオールである。これは2t積み標準ボディーで、初代「セドリック」などと共通の1.9リッター直4 OHVエンジンを搭載。
-
19/351972年「日産パトロール60型」。1951年に誕生したパトロールは、大型トラック用のメカニカルコンポーネンツを流用するという、ライバルである「トヨタ・ランドクルーザー」と同様の成り立ちを持つオフロード4WDだった。これは1960年から80年まで作られた2代目の、基本となるショートボディーのソフトトップ仕様。4リッター直6 OHVのガソリンエンジンを搭載し、駆動方式はパートタイム4WDである。
-
20/351970年「ダットサン・サニー1200 4ドアデラックス」。型式名B110こと2代目サニーの最量販モデルである4ドアセダン。話題を呼んだ、「隣のクルマが小さく見える」というキャッチフレーズを掲げてデビューした当初の広告やテレビCMに使われていたのが、まさにこのグレード/ボディーカラーだった。
-
21/351973年「日産スカイライン ハードトップ2000GT-R」。初代「スカイライン2000GT-R」と同じ、直6 DOHC 24バルブ2リッターのS20型エンジンを搭載した、通称「ケンメリ」こと4代目スカイラインのGT-R(KPGC110)である。歴代スカイラインGT-Rのなかで唯一レースに参戦していないが、生産台数が200台未満と少ないことから、昔からヴィンテージ市場でプレミアム価格が付けられていた。中でもこの赤いボディーカラーは希少とのことで、昨今ではなんと9800万円の値札を掲げた個体も出現している。ちなみに新車価格は162万円だった。
-
22/351973年「日産バイオレット ハードトップ1600 SSS-E」。510ブルーバードの実質的な後継車種として同年にデビューしたモデルが、型式名710こと初代バイオレットである。1600 SSS-Eは510譲りの4輪独立懸架を持つシャシーに、EGI(電子制御インジェクション)を備えた直4 SOHC 1.6リッターのL16E型エンジンを積んだホットグレードだった。
-
23/351975年「日産チェリーF-II 1400 4ドアGL」。1970年に日産初のFF車として誕生した初代チェリーが1974年にフルモデルチェンジを果たし、チェリーF-IIを名乗った。最近寄贈されたというこの個体は、フルオリジナルのワンオーナー車だそうで、程度も極上である。
-
24/351975年「日産ブルーバードU 2000GTX」。1971年にデビューした4代目ブルーバードは、ややサイズアップしてブルーバードU(610型)を名乗った。車格が近い同門のライバルである「スカイライン」が、直6エンジン搭載の「2000GT」系の人気に引っ張られてセールス好調なことから、ブルーバードUにも同じ手法で作られた2000GT系が追加設定された。すなわちノーズを延ばして、直6 SOHC 2リッターのL20型エンジンを搭載している。アグレッシブにも見える独特の顔つきから、通称は「鮫ブル」。
-
25/351975年「日産シルビアLS タイプS」。もともとは日産が自社開発したロータリーエンジンの搭載車として企画されたが、石油危機によってロータリーがお蔵入りとなったため、レシプロエンジンに積み替えて登場したモデル。シルビアを名乗るものの、ハンドメイドの高級パーソナルクーペだった初代とは異なり、量産スペシャルティーカーである。エンジンは直4 SOHC 1.8リッターのL18型だが、シャシーは「サニー」がベースのため、ボディーに対してホイールベースが短く、トレッドも狭い。
-
26/351980年「日産スカイライン2000TI-E・S」。通称「ジャパン」こと5代目スカイライン(C210)の、俗にショートノーズと呼ばれる(本来はこちらが標準ボディーなのだが)直4エンジンを搭載したTI系の最強グレード。リアサスペンションは「1600/1800TI」の4リンク/コイルのリジッドとは異なり、ロングノーズに直6エンジンを積んだ「GT」系と同じセミトレーリングアーム/コイルの独立懸架で、4輪ディスクブレーキを備えたレアなモデルだった。エンジンは直4 SOHCクロスフロー、ツインプラグ方式の2リッターにEGIを備えたZ20E型。
-
27/351982年「日産レパード2ドアハードトップ ターボSGX」(手前)と、1985年「4ドアハードトップ 200X ZGX」。輸出専用モデルだった910「ブルーバード」の直6エンジン搭載車のシャシーをベースに、独自の2/4ドアハードトップボディーを架装した高級パーソナルカーとして1980年にデビューした初代レパード。この種のモデルでは日本初となる4ドアハードトップが設定されており、グラスエリアの広い大胆なスタイリングが特徴だった。
-
28/351981年「日産オースターJXハッチバック1800GT-EX」。1977年に2代目「バイオレット」の双子車として誕生したオースター(当初は「バイオレット オースター」と名乗っていた)。1981年に「JX」のサブネームとともに登場した2代目は、日産の世界戦略車として開発された。駆動方式はFRからFFに転換されており、4ドアセダンとこの3ドアハッチバックが用意されていた。
-
29/351984年「日産プレーリーJW-G」。ミニバンの先駆けである初代プレーリーは、1982年に「びっくり BOXY SEDAN」といううたい文句とともにデビュー。前出の「オースターJX」や「スタンザ」をベースとしたFFプラットフォームに、左右ともにBピラーがなく、スライド式のリアドアを持つボディーを架装していた。全高を1600mmに抑えながらも、低床設計により広い室内空間を確保。多彩なシートアレンジも可能で、優れたパッケージングを実現した意欲作だった。
-
30/351985年「日産パルサー エクサ コンバーチブル」。1982年に登場した2代目パルサーをベースとする、リトラクタブルヘッドライトを備えた2ドアノッチバッククーペがパルサー エクサであり、そのルーフを取り去り、ロールバー付きのオープン4座としたのがエクサ コンバーチブルである。パルサーの取り扱いディーラーだった日産チェリー店の創設15周年記念として企画され、限定100台が購入希望者に抽選で販売された。
-
31/351986年「日産エクサ キャノピー タイプB」。同年に「パルサー」が3代目に世代交代した際にシリーズから独立した「エクサ」。最大の特徴は、カリフォルニアに設立されたNDI(Nissan Design International)が手がけた「着せ替えボディー」である。Tバールーフを備えたボディーのリアセクションはデタッチャブル式で、ノッチバックの「クーペ」にもスポーツワゴン風の「キャノピー」にもなった。だが日本では法規上「着せ替え」は許されておらず、いずれかの形態でのみ販売された。
-
32/351989年「日産サニーRZ-1ツインカム ニスモ」。「トラッド・サニー」を標榜(ひょうぼう)した6代目サニーをベースとする3ドアハッチバッククーペがRZ-1。ツインカム ニスモは、直4 DOHC 16バルブ1.6リッターエンジン搭載グレードをベースに、専用サスペンションやエアロパーツを装着し、インテリアにも専用シートやステアリングホイール、ホワイトメーターなどを備えた特別仕様車である。
-
33/351990年「日産NXクーペ タイプB」。7代目「サニー」をベースとする、前出の「サニーRZ-1」の後継となる3ドアハッチバッククーペだが、サニーの名は消えて単にNXクーペと名乗った。スタイリングはカリフォルニアにあるNDIの手になるもので、同じくNDIの作品である4代目「フェアレディZ」(Z32)と共通のモチーフが随所に見られる。「タイムマシンかもしれない」というキャッチコピーと、コンピューターグラフィックスによって軟体動物のように車体が曲がりくねる姿が往年のTVアニメ「スーパー・ジェッター」の流星号を連想させる、デビュー時のテレビCMが話題になった。
-
34/351993年「日産スカイラインGT-R」。9代目となるR33スカイラインに設定されたGT-R(BCNR33)の工場試作車である。ニュルブルクリンクで先代GT-R(BNR32)より約21秒も速い7分59秒887のラップタイムを記録したことから、デビュー時の広告には「マイナス21秒ロマン」というキャッチコピーが掲げられた。この個体は、そのタイムトライアルに使用されたマシンだという。
-
35/352012年「日産GT-R ボルトスペシャル」。プライベートで日産GT-R(R35)を愛用していたことから、2012年にGT-Rのブランドアンバサダーに就任した「人類史上最速の男」ことウサイン・ボルト。これはゴールドメダリストの彼にちなんで3台だけ作られた金色のGT-Rのうちの1台。ボンネットには2012年に彼が来日し、日産本社ギャラリーでセレモニーを実施した際に書かれた直筆サインが入っている。