
走行確認テストに備える3台のF1マシン。手前から「マクラーレン・ホンダMP4/6」、「RA300」、そして「RA272」。
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走行確認テストに備える3台のF1マシン。手前から「マクラーレン・ホンダMP4/6」、「RA300」、そして「RA272」。
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1965年までにロードレース世界GPの50、125、250、350ccクラスを制したホンダは、66年に最後に残された最高峰の500ccクラスに「RC181」で参戦し、見事全5クラスを制覇した。これは翌67年シーズン用の同型車で、空冷並列4気筒DOHC16バルブエンジンは、499.7ccから当時としては常識破りの85psを絞り出した。
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走っては止まり、メカニックにインフォメーションを伝えてアジャストしていく。マシンはホンダのF1参戦2年目、そして1.5リッター最後のシーズンとなった1965年にロニー・バックナムが駆った「RA272」。230ps以上を発生するV12DOHC48バルブ1495ccエンジンを、オートバイのように横向きにミドシップしている。
(走行シーンが動画で見られます) -
ロードレース世界GPとF1、二輪と四輪双方の最高峰でチャンピオンを獲得した唯一の男であるジョン・サーティースのドライブで、1967年イタリアGPで勝利した「RA300」。サーティースの発案により、開発期間短縮のためイギリスの「ローラ」のインディカー用シャシーを改造して用いたため、外国では「ホンドーラ」などとも呼ばれた。
(走行シーンが動画で見られます) -
1991年シーズンを戦った「マクラーレン・ホンダMP4/6」。700ps以上を発生するV12DOHC48バルブ3498ccエンジンを搭載、第二期ホンダF1最後となるドライバーズ/コンストラクターズのダブルタイトルを獲得した。この個体はゲルハルト・ベルガーが同年の日本GPで優勝した(セナに勝利を譲られた)マシン。
(走行シーンが動画で見られます) -
全8台のマシンをテストした“ドライダー”の宮城光氏。1982年、19歳で二輪ロードレースにデビュー。翌83年から参戦を開始した全日本選手権で、いきなり250ccとF3(400cc)のダブルタイトルを獲得、鈴鹿4時間耐久でも総合優勝という離れ業を演じた彼も、来年は五十路。だが、笑顔と謙虚な姿勢は、まるで少女マンガの登場人物のような名前にふさわしいルックスで、「アイドルレーサー」と呼ばれた頃と変わらない。
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