第381回:「メリーさんのひつじ」が流れる工場じゃ、いいクルマは作れない?
2015.01.16 マッキナ あらモーダ!話し声が聞こえない東京
日本ではハイレゾ音源が、低迷するAV機器需要の起爆剤として期待されている。
いっぽう年末年始のボクはといえば、アルゼンチン生まれの女性ピアニスト、マルタ・アルゲリッチ(73歳)が20代だった1960年代に録音されたショパンを聴いていた。音質は当然ながら40数年前の水準である。しかし、彼女の情熱ほとばしる演奏は、その低い録音クオリティーをまったく忘れさせてしまう。オーディオ機器メーカーで日々研究を重ねているエンジニアには恐縮だが、やはり音楽鑑賞は機器のスペックではなく、中身であると痛感したのだった。
ハイレゾの話はこのくらいにして、今回は音にまつわる話を少々。
イタリアに住むボクが毎回東京に降り立った途端感じるのは、「人の話し声が聞こえない」ことである。公共の場所で余計な話をしている人が少ないのだ。最近はカップルであっても、別々にスマートフォンをいじっていたりする。ボクなどは男子に「デート前に、女子が喜ぶ話のネタをいろいろ仕込んでおけよ」と説教したくなってしまう。
対して、イタリア人はよくしゃべる。知り合いはもちろん、見ず知らずの人にも、ボクのような外国人にも平気で話しかける。昨日も焼きたてのピッツァを入れた箱を抱えてバスに乗ったら、向かいに座っていたおばあさんから、「ピッツァだね。いい香りだねえ」といきなり親しげに話しかけられた。
銀行や役所などの窓口行列では、退屈しのぎに話しかけられる。そして自分の順番が来る頃には、相手の家族の話から、夏休みにどこに行ったかまで、ぜんぶわかってしまうことがある。
アラーム音・東京 vs パリ
そんなイタリアと比べると静かな東京だが、代わりに気になるものといえば、街中にあふれるBGMやアラーム音である。ある商店街では、フランスのシャンソンが昼間から通りに流れている。「別にそんなもの流さなくても、風情のある街並みなんだからよいのに」と思うのだが、ひっきりなしに街路に取り付けられたスピーカーから聞こえてくる。
駅に立てば、発車チャイムが鳴り響く。ボクが少年時代は「チリチリチリチリ~」というヒステリックな古典的ベル音で、少なからず神経を逆撫(さかな)でされたものだが、メロディー式の発車音も滞在中何日も聞かされているとつらくなってくる。
家の中もしかりだ。石油ファンヒーターからは灯油切れのたび「キラキラ星」が流れる。換気を促すのは「ラブ・ミー・テンダー」だ。冷蔵庫、オーブンレンジ、さらには沸いた風呂からも、何かしら有名な曲のワンフレーズが流れる。
永井荷風は1930年代に著した『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の中で、隣家のうるさいラジオを描写している。あふれる音は「江戸の華」なのかもしれない。
ヨーロッパの公共の空間で、ポピュラーな曲のメロディーを繰り返すアラームというのは、ボクが知る限り主要な場所にはない。いっぽうアラームのセンスにたけているのは、フランスのパリである。地下鉄駅の発車ベルである「プー!」という音は、単音だが乗客に注意喚起させるには十分だ。どこかアコーディオンの音色のような哀愁も漂う。同じ地下鉄構内で、アナウンスの前に流しているオルゴールのメロディーもよい。極めて短いが、ほのぼのとして心が和む。
シャルル・ドゴールやオルリー空港でアナウンスの前に流れる「ピロロロピロピロ」という電子音は、ちょっと昔の人がイメージした「未来」を感じさせて楽しい。「シトロエンCX」にも共通するムードがある。フランス国鉄SNCFは全国の駅や列車内におけるアナウンス前の注意喚起だけでなく、CMまで、女声スキャット風のもので長年統一している。
いずれの機関のものも、ラジオ局でいうジングル(番組の節目に挿入する短い音楽)に匹敵する格好よさがある。
フランスといえば、昨年夏にレンタカーで借りた「シトロエンDS3」のライト消し忘れアラームは、音階でいうところの「ラ・シ・ド」を繰り返すものだった。後日わかったのは、より安い「C3」にも同じアラームが使われていることである。ドイツ車系ブランドによくある無機質な「ベー!」というアラーム音と警告効果も同等かつ、より心地よい。
日・伊自動車工場を比較する
日本における必要以上のメロディー乱用に話を戻せば、実は自動車工場にもいえる。数年前、あるメーカーの工場を見学したときだ。機械のさまざまな作動を工場従業員に知らせるメロディーが、行く先々で鳴り響いている。かつて同じメーカーの工場を訪れたときよりも気になったのは、さまざまな工程で自動化が進んでいるためだろう。
見学当日の手帳を見返してみると、ボクは面白がって曲名を記録していた。少なくとも「大きな古時計」「静かな湖畔」「メリーさんのひつじ」が聴こえてきて、無人搬送機は「アマリリス」を鳴らしながら移動していたとある。
「従業員の安全のために、アラーム音は必要不可欠だ」という意見もあろう。しかし、繰り返し同じ音を聞かされた脳は、逆に疲れて鈍感になってしまう。従業員の疲れは、製品品質につながる。いくらカタログに「高度な静粛性を追求した室内空間」などとつづられていても、かくも余計なメロディーに満ちた工場で作られたのかと思うと、がっかりしてしまう。小学生時代、同級生の女子の家に遊びに行ったら、ボクがいる間テレビがつけっ放しで幻滅したのに似た心境である。
対して、参考にすべきはフェラーリのマラネッロ本社工場であろう。計画時点から建物内は63デシベル以下に抑えられるよう、さまざまな工夫がなされている。実際、多くの工程で、大声を上げなくても普通の声で会話できる。そうした環境では、たとえ名曲のワンフレーズではなくても、単なるブザー音だけで十分警報になりうる。
フェラーリを語るとき、日本では性能ばかりが語られるが、それが造られている環境を知ると、さらに見る目が変わってくる。
と、書くボクであるが、声が人よりデカいうえ、机に座っている間も唄を歌ったり手拍子をとって「ヘイ!」などと意味不明な雄たけびをあげたりする。時には踊らないと原稿書きが進まない。フリーランス生活19年。周囲の人にはうるさすぎて、とても会社員には戻れないことに気づいた。
(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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