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第460回:『ポケモンGO』より面白い!
イタリア・シエナのちょっと古いクルマ探し

2016.07.29 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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イタリアにもポケモンは“いる”ものの……

現実世界を舞台にスマートフォンの位置情報を使って遊ぶゲーム『Pokemon GO(ポケモンGO)』は、イタリアのテレビニュースでも連日のように話題になっている。

さて、ボクが住むシエナのような地方都市ではどの程度盛り上がっているのか? まずはアプリケーションをダウンロードしてみないと始まらない。

プレイをスタートすると、早速わが家にも「ポケモンが何匹か潜んでいる」ことが判明した。それらを「捕まえた」あとで自宅の近隣をディスプレイ上で検索してみると、ある教会が“ポケモン捕獲用アイテム”を無料でもらえる「ポケストップ」に指定されていた。教会といっても、日ごろはただ通り過ぎてしまうような、なにげない地元の教会である。

日本や米国で、ポケモンGOを楽しむ人が、ゲームとつながりのある特定の公園などに群がってるのをテレビで見ていたボクは、「どんな人がプレイしているのだろう? あわよくばインタビューできるかもしれない」と思い、近所のそうした場所に向かってみた。
しかし、土曜の午前だというのに、人気(ひとけ)がまったくない。15分近く待っていたものの、ボク以外誰も現れなかった。話は前後するが、2日後、同じ教会にもう一度出向いてみたときも、やはり人はいなかった。

その晩、気をとり直してシエナの旧市街に行ってみると、数十メートル歩くたびに「ポケモンが出没」した。途中、公文書館などの施設が、教会同様にポケストップになっていたのも確認した。
ただし、人出が最も激しい土曜の夜に2時間以上散策しても、明らかにポケモンGOを楽しんでいる人には遭遇しなかった。ひとりでスマートフォンを操作している人を発見して、さりげなくのぞき込んでみたところで、『WhatsApp』というインスタントメッセンジャーを楽しんでいたり、自撮りをしたりしているだけだった。

その一方、カフェやレストランは、家族やカップルで大盛況。やはりイタリアの歴史的な都市では、“リアル”のほうが楽しいのに違いない。

『ポケモンGO』を試す筆者。まずは家庭内でモンスターを追う。写真は、プレイ中のスマートフォンの画面。
『ポケモンGO』を試す筆者。まずは家庭内でモンスターを追う。写真は、プレイ中のスマートフォンの画面。 拡大
夜の0時近く、イタリアのシエナ旧市街を散策中に発見したモンスター「ニョロゾ」。
夜の0時近く、イタリアのシエナ旧市街を散策中に発見したモンスター「ニョロゾ」。 拡大
『ポケモンGO』のモンスターよろしく、現実世界の町では興味深いクルマに出会えるものだ。写真はポーランド車「FSOポロネーズ」で、1990年代初頭のプジョー製エンジンが搭載されたモデルだが、その起源は冷戦時代の1972年にさかのぼる。イタリア北部の村で。
『ポケモンGO』のモンスターよろしく、現実世界の町では興味深いクルマに出会えるものだ。写真はポーランド車「FSOポロネーズ」で、1990年代初頭のプジョー製エンジンが搭載されたモデルだが、その起源は冷戦時代の1972年にさかのぼる。イタリア北部の村で。 拡大

街にはレア車が潜んでいる

ボク自身にも、ポケモンGOよりも面白いと思っている街歩きの方法がある。
さまざまなところにたたずむ、ちょっと古いクルマ&レアな自動車探しだ。特に、中世そのままの迷路のようなシエナで、曲がり角の先で突然そうしたクルマたちに出くわすのは、感動的ですらある。カメラを持っていれば、迷わずシャッターをきる。

レアなクルマといっても、スーパースポーツカーは、あえて選ばない。一般イタリア人の日常生活の匂いがしないし、乗っているオーナーが、いかにも「はい、撮って撮って」という顔をしていると、さらに興味がうせる。

そうして撮りためたクルマたちの写真を分析してみると、ボクの好みがわかってくる。

その1. 自動車メーカーの相次ぐ合併・提携のはざまで、忘れられてしまったモデル:
例として挙げた写真★は、スペインの「セアト・マラベーリャ」だ。フィアット傘下時代のセアトによる、初代「フィアット・パンダ」の前期型をベースにした大衆車である。セアトが後年フォルクスワーゲン・グループに入ってからも1998年まで生産され続けた。

その2. 商用車:
その少々武骨かつ不器用ともいえるデザインに、かえって萌(も)える。

その3. 社会主義圏の匂いを残すモデル:
イタリアは政治・経済的に、東西冷戦時代から旧ソビエト連邦や東ヨーロッパの社会主義圏に近かった。そのため、他の西欧諸国よりもそうした国々の製品が輸入され、今も生き残っている。

そして、もうひとつの対象が日本車だ。
遠くイタリアの地に渡り生き延びているレアな日本車に出会うたび、同胞に対するエールを、知らず知らずのうちに心の中で送っているのだ。

文中で触れた「セアト・マラベーリャ」(★)。フィアット傘下にあったセアトが、1986年から98年まで生産した大衆車。初代「フィアット・パンダ」の前期型がベース。イタリア南部サレルノ港で2016年4月撮影。
文中で触れた「セアト・マラベーリャ」(★)。フィアット傘下にあったセアトが、1986年から98年まで生産した大衆車。初代「フィアット・パンダ」の前期型がベース。イタリア南部サレルノ港で2016年4月撮影。 拡大
同じくセアトの初代「イビーザ」。デザインはジウジアーロ、エンジニアリングはポルシェという、ゴールデンコンビによる1984年のコンパクトカー。生産終了は1993年だから、車齢は少なくとも23年である。シエナ旧市街で。
同じくセアトの初代「イビーザ」。デザインはジウジアーロ、エンジニアリングはポルシェという、ゴールデンコンビによる1984年のコンパクトカー。生産終了は1993年だから、車齢は少なくとも23年である。シエナ旧市街で。 拡大
1980年から1985年に生産された「フィアット900E」のトラック。シエナ県ポッジボンシのDIYセンター駐車場で。ドアはオーナー自ら塗装し直したと思われる。
1980年から1985年に生産された「フィアット900E」のトラック。シエナ県ポッジボンシのDIYセンター駐車場で。ドアはオーナー自ら塗装し直したと思われる。 拡大
数日前に遭遇したチェコの「シュコダ・ファヴォリート」。登場は1987年。ベルリンの壁崩壊前、フォルクスワーゲン・グループ入り直前のオリジナルモデルである。デザインはベルトーネ。
数日前に遭遇したチェコの「シュコダ・ファヴォリート」。登場は1987年。ベルリンの壁崩壊前、フォルクスワーゲン・グループ入り直前のオリジナルモデルである。デザインはベルトーネ。 拡大
「レクサスSC」。もはや車齢10年以上だが、こうした日本製ラグジュアリーカーは今日欧州で入手困難とあってか、大切に乗られている場合が多い。2015年冬、クリスマスを控えたフィレンツェで。
「レクサスSC」。もはや車齢10年以上だが、こうした日本製ラグジュアリーカーは今日欧州で入手困難とあってか、大切に乗られている場合が多い。2015年冬、クリスマスを控えたフィレンツェで。 拡大

珍しいチョウや鳥を追うように

かつて東京で自動車雑誌『SUPER CG』の編集部に籍を置いていたとき、「溜池放談」という座談会を企画したことがあった。

1950年代、東京・赤坂の輸入車ディーラー街華やかなりしころを知る方々に、クルマについて大いに語ってもらおうというものだった。そのとき出席者のひとりだった故・小林彰太郎『CAR GRAPHIC』初代編集長は、学生だった当時を振り返りながら「探検隊が珍しいチョウとか鳥を捕まえにいくような気分で、カーウォッチングをしていたものです」と回想した。

こうした時代の方々が追いかけていたのは、ボクが追っている何十万台と生産された量産車ではなく、GHQや占領軍の公用車、そして日本に1台しかないクルマたちだった。“ありがた度”が違う。
撮影機材も今とは違い、1950年代は、時に映画用を切り売りしたフィルムで代用し、1枚撮影するのにも気合を入れていたという。

昔、東京・溜池周辺や横浜を散策していたエンスージアストのスナップや回顧が、たびたび写真集となって愛好家を楽しませてくれるのは、そうした今とは違う背景があるからである。

一方、ボクが撮りためた写真は、女房の理解すら得られない。少し前、街で見たレア車の話を移動中に解説していたら、「もう2時間以上、クルマの話ばかり」とあきれられてしまった。

イタリア人にしたって、ボクの相手をしてくれる人は少ない。100年前を昨日のことのように語る彼らゆえ、ちょっと前の量産車など話題の種にならないのだ。特に最近は、イタリアでも若者のクルマに対する関心が薄れている。

子供がいないボクがあの世に行ってしまえば、こうした撮りため写真はファイルごと消去、いやソフマップのハードディスク破壊コーナーでドリルにかけられ消えてゆくだろう。誰も相手にされぬ孤独な趣味である。
でも、ボクにとってのポケモンは、そうした見向きもされないクルマたちなのだ。

(文と写真=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>)

初代「ルノー・カングー」の姉妹車である、「日産キュービスター」。2008年、カングーが2代目に移行したのにともないカタログから静かに消えた。
初代「ルノー・カングー」の姉妹車である、「日産キュービスター」。2008年、カングーが2代目に移行したのにともないカタログから静かに消えた。 拡大
これはドイツのフランクフルト・アム・マインで見かけた「トヨタ・ハイラックス」。記されている店名は、海外でデフォルトの“日本風書体”である。
これはドイツのフランクフルト・アム・マインで見かけた「トヨタ・ハイラックス」。記されている店名は、海外でデフォルトの“日本風書体”である。 拡大
原付き免許で乗れるマイクロカーも、撮影の対象である。これはカザリーニという企業がかつて製作していた「スルキー(サルキー)」というモデル。
原付き免許で乗れるマイクロカーも、撮影の対象である。これはカザリーニという企業がかつて製作していた「スルキー(サルキー)」というモデル。 拡大
絶滅危惧種も、きちんと撮影しておきたい。「アウトビアンキA112」は、ファンイベント以外では見かけなくなった。
絶滅危惧種も、きちんと撮影しておきたい。「アウトビアンキA112」は、ファンイベント以外では見かけなくなった。 拡大
未来のレア車も、今からおさえておく。米国製「クライスラー200」の“バッジ・エンジニアリング”版である「ランチア・フラヴィア」。2012~2013年のたった2年だけ販売されたモデルだ。
未来のレア車も、今からおさえておく。米国製「クライスラー200」の“バッジ・エンジニアリング”版である「ランチア・フラヴィア」。2012~2013年のたった2年だけ販売されたモデルだ。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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