せっかくの自動運転も宝の持ち腐れ?
webCGほったが“昔ながら”のHMIに物申す
2017.10.02
デイリーコラム
急速に進化する自動運転技術の陰で……
自動車媒体のぺーぺー編集という仕事柄、新型車に乗る機会はとにかく多いし、まだ市場に出回っていない最新技術に触れることも珍しくない。誠に僥倖(ぎょうこう)であり、ありがたい職業である。なむなむ。
で、そんな時代のフロンティア(?)から自動車界を眺めてみると、まあとにかく進化の速いこと。特にここのところは、自動運転とそれに順ずる運転支援技術の発展が著しい。「こんなことができるようになりましたよ」というタテ方向と、「こんなクルマにも付くようになりましたよ」というヨコ方向の両方において、急速な伸長を実感する毎日である。
過日も「アイサイト・ツーリングアシスト」が付いた「スバル・レヴォーグ」で「こんなクルマに公道で乗れるようになったのか!」と感嘆し、はたまた「ホンダN-BOX」で「軽自動車にもACCが付くようになるなんて」と感慨にふけったもんである。……まあ、軽のACCについては、かつて「ダイハツ・ムーヴ」にオプション設定されたこともあるんですけどね。
近い未来に目を向けても、鈴木ケンイチさんのコラムで紹介されている通り、アウディが新型「A8」で「レベル3」の自動運転技術を市場投入するというし、ホンダも2020年をめどに、同じくレベル3のシステムを実用化すると表明している。いやはや。自動緊急ブレーキの普及で喜んでいたあのころからわずか数年。時代は進んだものよ……。
しかし、かように急速な自動運転&運転支援技術の進化の陰で、ちょっと置き去りにされている要素がある。運転環境の改善はもちろん、自動運転の具体化にも密接に関わるもののハズなのに、正直なところ「忘れられてません?」というくらい変化の見られないそれの名は、ずばりHMI。ヒューマン・マシン・インターフェイスである。
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インフォメーションが希薄なことの恐ろしさ
あれは、今年の初夏に催された某大手メーカーの技術体験会でのこと。先述の、レベル3相当の自動運転技術を体験したときのことだった。試作車に同乗した記者は、自動運転時の安定したクルマの挙動に感服し、ドライバーがハンドルから手を離してテレビ電話に応じるデモに、SF映画的未来を思った。
そして同時に、クルマからのインフォメーションの愛想のなさに、戸惑ってしまった。
レベル3相当の自動運転技術のキモは、一定の条件下でシステムが運転のすべてを請け負うことにある。この間に起きる一切のことは機械の側が責任を持ち、ドライバーは車内で飯を食っていようが『CAR GRAPHIC』を読んでいようが構わないのだ。そして逆に、“それ以外”のシーンで起きる一切のことについては、ドライバーがすべての責任を負う。
重要なのは、この「責任」のやりとりである。特にレベル3相当の自動運転技術では、システムのオン/オフと責任の所在が完全にリンクしておらず、「自動運転中だけど責任はドライバーにある」というシーンがあるからややこしい。「ここから先はボクが運転するよ」「ここからは君の責任だよ」という、ドライバーと機械の間のコミュニケーション。これがうまくいかないと、へっぽこ外野手がフライをゆずりあって“ぽてんヒット”になっちゃうような、目も当てられない事態が起きかねない。
このとき記者が焦ったのは、このやりとりがなにやら分かりづらかったからだ。音声やメーター表示などでそれっぽいシグナルは発せられているのだが、そのアピールはなんとも迂遠(うえん)で、いつ運転の責任が人から機械へ、機械から人へ手渡されたのか、現状がどういう状態なのかが直感的に理解できなかった。これって、非常におっかないことではないですか?
一方、機械側のドライバーに対する忖度(そんたく)っぷりはたいしたもので、ドライバーへと「責任」を返す際には、その目の動きを見て「ドライバーが走行の監視に戻っているな」と判断し、自動運転から手動運転への切り替えは、ドライバーがステアリングを握るだけで完了する。たいした気配りである。だからこそ、ドライバーへの働きかけが控えめなシステムの様に、「なんかアンバランスじゃね?」と思ったのである。
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どんな機能も使われなければ意味がない
先述の例は、目下開発中の技術だったから「これからに期待だよね」と言えるかもしれないが、正直なところ、こうした点はすでに実用化されているシステムでも見受けられる。例えば、操舵支援機構付きACCでステアリングアシストが切れる際の、警報や車両の挙動の唐突さ。今はどのメーカーも“アシスト”扱いなのでまだいいけど、この状態を是(ぜ)とするままで自動運転までコトが進むようなら、いくら「ここから自動運転モードでーす」と言われても、記者は怖くてハンドルから手を離せない。
そもそも、前走車追従に車間距離の調整、そして車線維持と、これほどまでにやれることが増えたというのに、いまだに一定速走行しかできなかった時代のクルコンの操作方法を引きずっている現状ってどうなのよ? 機能が増えれば増えるほどに、ステアリングにもセンターコンソールにもただボタンが増えるだけ。その煩雑さはもう、昭和56年生まれの記者には、わけが分からないレベルである。
流行のコネクテッドカー関連の機能についても似たようなもので、直感的に使えない、理解できないようなものはダメでしょう。以前、エンジニアの方に「一度設定しちゃえば大丈夫ですヨ」「慣れれば大丈夫ですヨ」的なことを言われたが、それはウソだ。わが実家の父親は、「使い方が分からん」という理由から、ステアリングのクルコンスイッチに触れようともしない。ひと世代前の「フォレスター」に付いている、これ以上単純な機構はないようなクルコンのスイッチに、である。
気がかりなのは、モーターショーのコンセプトカーなどで、何年も前からこの問題の解決法が模索されていることだ。メーカーもサプライヤーも問題を認識しているのに、何年たっても改善の兆候が見られないのはなぜなのでしょうね。
いずれにせよ、このままだとせっかくの運転支援もコネクテッドカー技術も、プリインストールされてるスマホのアプリとか、電子レンジの要らん機能みたいな存在になっちゃうかもよ?
(webCG ほった<Takeshi Hotta>)
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堀田 剛資
猫とバイクと文庫本、そして東京多摩地区をこよなく愛するwebCG編集者。好きな言葉は反骨、嫌いな言葉は権威主義。今日もダッジとトライアンフで、奥多摩かいわいをお散歩する。