安全な交通社会の実現へ向けて(後編)
事故撲滅へ向けた官民を上げた取り組み
2019.05.13
デイリーコラム
高齢者の免許返納を促すために
「今回の事故をきっかけにさまざまな議論がなされ、交通事故による犠牲者のいなくなる未来になってほしい」
悲痛な表情でそう訴えたのは、交通事故遺族の男性だ。男性の家族は、87歳のドライバーが運転するクルマにはねられて亡くなった。事故現場にブレーキ痕はなく、ドライバーはアクセルを踏み込んだままだったと見られる。
「またか」と思った方も少なくないだろう。死亡事故原因の内訳を見ると、ハンドル操作のミスやブレーキとアクセルの踏み間違えといった「操作不適」の比率が、75歳未満の運転者では16%にとどまっているのに対し、75歳以上では31%となっている(いずれも警察庁配布「平成29年中の高齢運転者による死亡事故に係る分析」より)。
年齢を重ねれば視力などの身体能力、身体を動かす運動能力、記憶力や注意力などの認知機能が低下するのは当然のこと。そこで始まったのが運転免許自主返納制度である。初年度の1998年は返納者が2600人未満だったが、昨2018年は42万人(75歳以上は29万人)と、20年間で返納者は確実に増えた。しかし、65歳以上の運転免許保有者は1863万人以上(75歳以上は564万人)。全体から見れば、返納者は数%にすぎない。
自主返納ではなく運転免許に定年制を導入すべきとの声もあるが、そうなると「定年後の移動をどうするか」という新たな問題が生まれる。離島に住む高齢者は「私だって本音は免許を返納したい。事故の加害者になりたくないし、子どもや孫に小言を言われながら運転したくない。でも、ほかに移動手段がない」とため息をつく。
アメリカのフロリダ州では高齢者の足として免許不要の電動カートが利用されている。速度が遅く、車両は簡素だが、日常の移動には十分だという。実は、日本国内でもカートを使った自動運転の実証実験が行われている。福井県永平寺町では、遠隔操作や路面に電磁誘導線を埋め込む方式による自動運転なども検証し、新しい地域交通の可能性を模索中だ。高齢者に運転させないことばかりではなく、こういった取り組みも含めて、未来の交通社会を考えていくべきだろう。
ペダルの踏み間違いによる事故を予防する
とはいえ、事故は待ってくれない。当面は高齢者が普通のクルマを運転することを前提にした対策が必要だ。
政府は、2017年から高齢運転者による交通事故防止策の一環として、被害軽減ブレーキやペダル踏み間違い時加速抑制装置などを搭載したクルマを「セーフティ・サポートカー(サポカー)」と呼称し、広く推奨している。運転支援機能はメーカーごとに名称が異なり、装備内容なども分かりにくかった。これに対し、サポカーは装備の有無に応じて4タイプに分類されており、特に被害軽減ブレーキとペダル踏み間違い時加速抑制装置を備えたクルマを、高齢運転者に推奨する自動車「サポカーS」としている。クルマ選びの参考になるだろう。
また、トヨタ自動車は昨年、後付け装着できる「踏み間違い加速抑制システム」を発売した。車体の前後に4つの超音波センサーを装着し、自車の前後約3m以内に壁などの障害物を検知したらブザーとランプで警告、アクセルを踏み込んだ場合には加速を抑制するというもの。想定するのはこんな場面だ。コンビニで買い物を終えて発進しようとしたらなぜかクルマが後退。あわててブレーキをかけたつもりが、間違えてアクセルを踏み込んでしまい、急加速して壁にぶつかった……。このとき踏み間違い加速抑制システムを装着していたら、アクセルを踏み込んでも速度が出ないため、壁にぶつかる前にブレーキを踏んで止まれる。自動停止装置ではないので衝突リスクはゼロではないが、速度が低ければ被害も小さい。
対象車種は限られるものの、クルマを買い替えることなく、わずか5万5080円(取り付け費別)で安全機能を強化できるのは画期的だ。トヨタグループのダイハツも同種のコンセプトの装置を「ペダル踏み間違い時加速抑制装置『つくつく防止』」の名称で発売。こちらは3万4560円(標準取り付け費込みで5万9508円)とさらにリーズナブルだ。
先のコンビニの事例はドライバーがあわてたという設定だが、これは特別なことではない。想定外の方向にクルマが動き出せば、誰もが驚く。問題はそのあとだ。条件反射でブレーキを踏めればよいのだが、認知機能が低下すると判断や行動に時間がかかり、焦ってパニックに陥りやすい。そうなると、ペダル踏み間違えなどのリスクは格段に上がる。また、パニックになった自分にショックを受けて混乱に拍車がかかり、頭が真っ白になってしまうこともあるという。
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事故の予防にも貢献する「つながる」技術
高速道路の逆走も、高齢者の運転者に多い事案といえる。国土交通省の統計によると、免許保有者における75歳以上のドライバーの割合は6%であるのに対し、逆走した運転者では45%を占めるという。事案(事故または確保に至った逆走事案)の件数で見ても、75~79歳のドライバーが起こしたものは年平均39.8件と最多。次いで多いのが80~84歳のドライバーが起こしたもので、35.5件となっている(平成23年~28年の平均)。
NEXCOは逆走事故を減らすべく対策技術を公募し、応募総数100件から有望な案を選定して実道検証を実施。昨年末に18件の検証結果を発表した。防眩(ぼうげん)板に逆走側からだけ見えるように「逆走中」と表示する技術や、錯視を利用した注意喚起の図案を路面表示する技術など、設置物を使った技術には実用可能なものが多かった一方、道路側で逆走車を検知して情報収集する技術や、車載器を活用して注意喚起する技術については、非選定、ないしさらなる検証を要するという評価がほとんどだった。
確かに設置物による注意喚起は現実的だが、今後はITを活用して対策を強化したいところだ。いま自動車業界では「CASE(つながる、自動化、シェア&サービス、電動化)」がトレンドだが、中でも「つながる」が最重要テーマであり、通信業界やITベンチャーなども交えてV2X(Vehicle to X)の研究開発が進められている。ゆくゆくは路車間通信や車車間通信、クラウド接続まで可能になるだろうし、高速道路だけでなく一般道でも恩恵を受けられるようになるはずだ。
周辺情報をリアルタイムで得られれば、ドライバーの死角をカバーできるので、例えば右折時に対向車の陰から出てきた二輪車と接触するような事故は防げる可能性が高い。また、インフラ情報と車両の制御を連携させることができれば、高速道路での逆走や信号無視のような危険行為はシステム側で阻止できるようになる。
もちろん、実用化は簡単なことではない。安全技術には確実性や正確性が求められるし、技術の普及は市場性や採算性も見込めてこそ成立する。ものによっては法律や社会制度、社会受容性といったハードルも越えなければならないだろう。しかし、決して不可能ではない。こうした技術が一つひとつ実用化されていき、交通事故の悲劇がなくなることを願ってやまない。
(文=林 愛子/写真=経済産業省、国立研究開発法人産業技術総合研究所、日産自動車/編集=堀田剛資)
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林 愛子
技術ジャーナリスト 東京理科大学理学部卒、事業構想大学院大学修了(事業構想修士)。先進サイエンス領域を中心に取材・原稿執筆を行っており、2006年の日経BP社『ECO JAPAN』の立ち上げ以降、環境問題やエコカーの分野にも活躍の幅を広げている。株式会社サイエンスデザイン代表。