第202回:黄金時代を駆け抜けたクルマとスターたち
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』
2019.08.29
読んでますカー、観てますカー
デカプーとブラピが初共演
1969年2月8日から8月9日までの半年間。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は、ハリウッド全盛期の物語だ。スティーブ・マックィーンなどのスターが実名で登場し、実際に起きた事件が描かれる。クエンティン・タランティーノ監督の作品だから、もちろんただの実録ものではない。彼は、“事実”を敢然と拒絶する。愛するハリウッドの黄金時代は、決して色あせてはならないものなのだ。
主人公の2人は、映画のために造形されたキャラクターだ。かつてのスターで落ち目のテレビ俳優リック・ダルトンを演じるのはレオナルド・ディカプリオ。親友で彼のスタントマンでもあるクリフ・ブースにブラッド・ピットを配する。心躍るビッグスターの初共演である。
リックはテレビの西部劇シリーズ『賞金稼ぎの掟(Bounty Law)』に出演して一時代を築いたが、映画俳優への転身を狙って失敗。すっかり過去の人扱いで、主演の声はかからない。まわってくるのは悪役ばかりで、有り体に言えば若手俳優の引き立て役。彼に仕事がないのだから、スタントマンのクリフもヒマということになる。2人でつるんでテレビを観ながら酒を飲む毎日だ。
一等地の豪邸に住んでいるが、そろそろ維持するのが難しくなってきた。隣に越してきたのは、『ローズマリーの赤ちゃん』で一躍人気監督となったロマン・ポランスキー。結婚したばかりの妻シャロン・テートは若手の新進女優だ。『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』のマーゴット・ロビーが生き生きと演じている。
スターが乗るのはキャデラック
仕事がある時は、クリフが運転手としてリックを撮影所に送り届ける。リックは飲酒運転で事故を起こし、免許がないのだ。ハリウッドスターだから、クルマはもちろんキャデラック。クリーム色の「クーペ ドゥビル」である。カーステレオからは、常にヒット曲が流れている。家に帰ればシリーズ物のドラマを観る。テレビとラジオが生活に欠かせなかった時代の話だ。タランティーノは、そんなライフスタイルが50年後の今も続いていてほしかったと思っているのだろう。
新世代の感性を持つポランスキー夫妻は、いかにもなキャデラックには乗らない。「MG-TD」でさっそうとパーティーに出掛ける。旧式のオープンカーだから容赦なく風を巻き込むが、シャロンはマキシコートとスカーフで完全武装しているから大丈夫。会場に到着したらコートを脱ぎ捨て、ホットパンツにブーツといういでたちで踊りだす。今をときめく監督と女優のカップルはパーティーの主役だ。
クリフは仕事を終えたリックを家に送り届けると、自分のクルマで帰宅する。いい感じにヤレた水色の「フォルクスワーゲン・カルマンギア」だ。サビサビだけど調子はいいようで、コーナーではきれいにドリフトをキメる。長回しで撮っていたから、ブラピが自ら運転していたようだ。彼が帰るのは、ドライブインシアターの裏手にあるトレーラーハウス。リックには十分な給料を払う余裕がない。
シャロンが夫から買い与えられているのは、ピカピカの「ポルシェ911」。黒のセーターに白いミニスカート、白のブーツというシンプルなスタイルで、街の映画館に出掛ける。自分が出演している映画『サイレンサー/破壊部隊』を観るためだ。観客の反応を見てうれしそうにほほ笑む表情が愛らしい。映画の仕事を始めたばかりで無限の可能性を秘めていた彼女は、その後も長く活躍してハリウッドを支えていかなければならなかったはずなのだ。
牧場に住み着いたヒッピー集団
現実のシャロン・テートは、ブルース・リーから武術指導を受けていたという。この映画にも、彼が登場するシーンがある。テレビの『グリーン・ホーネット』で助手のカトーを演じ、注目を集めていた頃だった。仕事にありついたクリフは、撮影所で彼に出会う。ちょっとした絡みがあるのだが、ブルース・リーのファンは納得いかないのではないか。ブラピはチャック・ノリスやスティーブン・セガールをしのぐハリウッド最強の男なのだと考えるしかない。
撮影所のエピソードと並行して描かれるのが、ヒッピー集団である。いわゆるフラワーチルドレンだ。クリフがキャデラックで街を流していると、ヒッチハイクの少女に声をかけられる。彼女を乗せて向かったのは、スパーン映画牧場。実在した施設で、西部劇の撮影で使われていた場所だ。西部劇が下火になって寂れてしまい、ヒッピーが住みつくようになっていたらしい。
彼らは自然を愛し自由と平和をモットーとするハッピーなコミュニティーを築いていたはずだが、中にはカルト化して危険な思想を抱くようになった集団もあった。代表格が、チャールズ・マンソンが率いるファミリーである。スパーン映画牧場を根城にしていたのが彼らだった。
ここで、2つのパートが結びつく。彼らは1969年に世界中を震撼(しんかん)させる大事件を起こしているからだ。シャロン・テートの名が刻まれた惨劇は、歴史的事実として誰もが知っている。ハリウッドもヒッピームーブメントも、取り返しのつかないダメージを受けることになった。世界は、その日から決定的に変わってしまったのである。
爆笑の残虐アクション
うれしいことに、リックとクリフは相変わらずのぼんくら生活を送っている。彼らはイタリアに渡って映画に出演するが、状況は大して変わらなかった。マカロニウエスタンの『ネブラスカ・ジム』や『007』のパクリ映画『素早く殺せリンゴ』なんていう二流作品に出ても評価が上がるはずがない。『荒野の用心棒』などに主演して名を上げたクリント・イーストウッドは、例外中の例外なのである。
ぼんくら2人組は時代から取り残されている。ファッションを見ても、最先端を行くポランスキー夫妻とは大違いだ。クリフは肉体美のおかげでそれなりにカッコいいが、リックの服装は悲しくなるほどダサい。彼らはどうでもいいことを話して一日を過ごす。映画全編に無駄話があふれているのが楽しい。一瞬たりとも退屈することはなく、タランティーノの作り出した夢の空間に陶然とする。
“事件”を扱っているのだから、ラストには激しいアクションの見せ場がある。もちろん普通の殺人が描かれるはずはない。目を覆いたくなるような残虐なシーンさえも、タランティーノにかかれば爆笑の場面となる。ダコタ・ファニングの雑な使われ方も見どころだ。
悲惨な題材を扱いながら、映画は多幸感に満ちている。ハリウッドは活気にあふれていて、ラジオからはポップな音楽が流れる。街にはゴキゲンなクルマが走っている。50年後の今も同じような世界が続いていたらどんなに素晴らしいか。タランティーノはヒトラーが居座る世界が許せなかったから『イングロリアス・バスターズ』を作った。チャールズ・マンソンによってハリウッドの夢が壊されてしまうことにガマンがならないのは当然である。かなわなかった理想を、彼は2時間41分の夢としてわれわれに届けてくれた。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
-
第283回:ドニー・イェン兄貴がE90で悪党を蹴散らす!
『プロセキューター』 2025.9.26 ドニー・イェン兄貴は検事になっても無双! 法廷ではシルバーのウィッグをつけて言葉の戦いを挑むが、裁判所の外では拳で犯罪に立ち向かう。香港の街なかを「3シリーズ」で激走し、悪党どもを追い詰める! -
第282回:F-150に乗ったマッチョ男はシリアルキラー……?
『ストレンジ・ダーリン』 2025.7.10 赤い服を着た女は何から逃げているのか、「フォードF-150」に乗る男はシリアルキラーなのか。そして、全6章の物語はなぜ第3章から始まるのか……。観客の思考を揺さぶる時系列シャッフルスリラー! -
第281回:迫真の走りとリアルな撮影――レース中継より面白い!?
映画『F1®/エフワン』 2025.6.26 『トップガン マーヴェリック』の監督がブラッド・ピット主演で描くエンターテインメント大作。最弱チームに呼ばれた元F1ドライバーがチームメイトたちとともにスピードの頂点に挑む。その常識破りの戦略とは? -
第280回:無差別殺人者はBEVに乗って現れる
『我来たり、我見たり、我勝利せり』 2025.6.5 環境意識の高い起業家は、何よりも家族を大切にするナイスガイ。仕事の疲れを癒やすため、彼は休日になると「ポルシェ・タイカン」で狩りに出かける。ただ、ターゲットは動物ではなく、街の人々だった……。 -
第279回:SUV対スポーツカー、チェイスで勝つのはどっち?
『サイレントナイト』 2025.4.10 巨匠ジョン・ウーが放つ壮絶アクション映画。銃撃戦に巻き込まれて最愛の息子を奪われた男は、1年後にリベンジすることを決意する。「マスタング」で向かった先には、顔面タトゥーのボスが待ち受けていた……。
-
NEW
アストンマーティン・ヴァンキッシュ クーペ(FR/8AT)【試乗記】
2025.10.7試乗記アストンマーティンが世に問うた、V12エンジンを搭載したグランドツアラー/スポーツカー「ヴァンキッシュ」。クルマを取り巻く環境が厳しくなるなかにあってなお、美と走りを追求したフラッグシップクーペが至った高みを垣間見た。 -
「マツダ スピリット レーシング・ロードスター12R」発表イベントの会場から
2025.10.6画像・写真マツダは2025年10月4日、「MAZDA FAN FESTA 2025 at FUJI SPEEDWAY」において、限定車「マツダ スピリット レーシング・ロードスター」と「マツダ スピリット レーシング・ロードスター12R」を正式発表した。同イベントに展示された車両を写真で紹介する。 -
第320回:脳内デートカー
2025.10.6カーマニア人間国宝への道清水草一の話題の連載。中高年カーマニアを中心になにかと話題の新型「ホンダ・プレリュード」に初試乗。ハイブリッドのスポーツクーペなんて、今どき誰が欲しがるのかと疑問であったが、令和に復活した元祖デートカーの印象やいかに。 -
いでよ新型「三菱パジェロ」! 期待高まる5代目の実像に迫る
2025.10.6デイリーコラムNHKなどの一部報道によれば、三菱自動車は2026年12月に新型「パジェロ」を出すという。うわさがうわさでなくなりつつある今、どんなクルマになると予想できるか? 三菱、そしてパジェロに詳しい工藤貴宏が熱く語る。 -
ルノー・カングー(FF/7AT)【試乗記】
2025.10.6試乗記「ルノー・カングー」のマイナーチェンジモデルが日本に上陸。最も象徴的なのはラインナップの整理によって無塗装の黒いバンパーが選べなくなったことだ。これを喪失とみるか、あるいは洗練とみるか。カングーの立ち位置も時代とともに移り変わっていく。 -
マツダ・ロードスターS(前編)
2025.10.5ミスター・スバル 辰己英治の目利き長きにわたりスバルの走りを鍛えてきた辰己英治氏が、話題の新車を批評。今回題材となるのは、「ND型」こと4代目「マツダ・ロードスター」だ。車重およそ1tという軽さで好評を得ているライトウェイトスポーツカーを、辰己氏はどう評価するのだろうか?