第283回:ドニー・イェン兄貴がE90で悪党を蹴散らす!
『プロセキューター』
2025.09.26
読んでますカー、観てますカー
香港映画が復活の兆し
『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』や『ジョン・ウィック:コンセクエンス』に出演したから、ドニー・イェンのことをハリウッド俳優だと勘違いしている人もいるようだ。彼は武道家でありスタントマン出身の香港映画スターで、『イップ・マン』シリーズで世界的な人気を得た。幼い頃から少林拳や武術太極拳を学びしっかりした基礎を身につけていて、無駄のない洗練されたアクションを見せる。“宇宙最強”とも称される彼が監督・主演・製作を兼任したサスペンス・アクション映画が『プロセキューター』だ。
1970年代から1990年代にかけて、香港映画は黄金時代だった。ブルース・リーがカンフー映画を世界に広め、ジャッキー・チェンがエンターテインメント性を高めた作品で広く愛された。『男たちの挽歌』はカンフーとは異なる香港ノワールと呼ばれる新しいトレンドをつくる。チョウ・ユンファ、アンディ・ラウはアジアを代表する俳優と目されるようになった。彼らはハリウッドに進出し、監督のジョン・ウーも活躍の場をアメリカに移す。
香港映画が世界レベルになったのは喜ばしいが、人材が流出して肝心の本国では勢いが衰える。1997年に香港が中国に返還されると自由な映画製作が行えない状況に。派手な暴力描写やギリギリの政治風刺が封印されたのでは、面白い作品が生まれるはずもない。その環境に飽きたらない俳優や監督は新天地を求めて離れていく。悪循環が香港映画の衰退を加速させていった。
このまま没落してしまうのかと心配していたら、思いがけず救世主が出現した。日本では2025年1月に公開された『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』である。ルイス・クー、アーロン・クォック、サモ・ハンなどの懐かしい顔がそろい、レイモンド・ラム、テレンス・ラウといった若手も奮闘。フィリップ・ンの怪演も強いインパクトを残した。
検事なのに鬼強い
香港映画はまだまだ生命力を保っている。復活の狼煙(のろし)が上がったところで、ドニー・イェンの兄貴がノリノリで新作をぶち込んできた。彼が演じるのは薬物密輸事件をめぐる誤判を告発する熱血検事。裁判が舞台となるから法廷劇だ。言葉のやり取りが中心となるのは仕方がない。もちろんドニー・イェンがおとなしくしているはずもなく、裁判所の外では大暴れしてくれる。当然、鬼強い。2016年に発生した実際の事件をモデルにしているというが、大幅に脚色されているのは明らかだ。いくら香港でも武術で事件を解決する検事は存在しない。
ドニー・イェンが演じるフォクは、香港警察の刑事だった。組織犯罪を追って悪人を逮捕するが、裁判では無罪になってしまう。限界を感じたフォクは警察を辞め、法律を猛勉強して検事になった。しかし、そこでも理不尽な司法取引を目の当たりにし、法曹界にも裏社会の力が及んでいることに気づく。悪徳弁護士が暗躍し、裁判官や検事も真剣に悪を追及しているとは思えない。
フォクが担当した麻薬密売事件では、貧しい青年が薬物を隠した海外からの荷物を受け取ったとして逮捕された。彼は住所を貸しただけだと主張するが、担当弁護士は自白すれば刑が軽くなると言って罪を認めさせる。実際には10年も服役しなければならないことが判明し、青年は供述を覆す。フォクは本来ならば被告を有罪にする役割のはずだが、弁護士のやり方に疑問を抱いて調査を開始する。古巣の警察も巻き込み、香港社会の闇に挑むのだ。
カーチェイス受難の時代
香港ではイギリスの法曹制度を受け継いでいて、裁判所では法服とウィッグを着用することになっているらしい。これまでドニー・イェンはさまざまな役柄を演じてきたが、シルバーのウィッグをつけた姿は初めてだろう。ファンにはたまらないコスプレである。残念ながら裁判所の中で大立ち回りすることはなく、アクションは香港の街なかが舞台だ。
刑事時代の後輩と「BMW 3シリーズ(E90)」に乗って街を走っていると、警察が追っている密輸犯を見かけた。後輩はすぐさまクルマを降りて追いかける。犯人を追い詰めたものの、大勢の仲間が現れて窮地に陥った。フォクはBMWに乗ってバックでドリフトしながら突っ込み、悪党どもを蹴散らす。このBMWは後半でもう一度登場する。密輸組織を壊滅させる証拠をつかみ、裁判所に向かっているとトラックに側面から衝突されて横転するのだ。
ほかにも被告青年の祖父が働く駐車場で「ランドローバー・フリーランダー」にひき殺されそうになるシーンがあるが、正直なところクルマが大活躍するわけではない。この作品を取り上げたのは、最近のアクション映画ではそれでも比較的クルマの登場場面が多いからだ。以前に比べてカーチェイスなどが描かれることは少なくなっているように思う。『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』ですらクルマの場面は数分しかなく、複葉機と潜水艦が主役だった。
香港映画には、古き良き時代のわかりやすいエンタメ魂が残っている。クルマを使ったアクションは、サービス精神の表れだ。ハリウッドのように莫大(ばくだい)な予算をかけたVFXを使う派手な映像はつくれないが、俳優たちが自らの肉体を使って観客を魅了しようとする気概がある。全盛期のアクションを継承しながら現代的に再解釈した『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』の後には1980年代のアクションスターにオマージュをささげた『スタントマン 武替道』が公開された。そして満を持して登場したのが兄貴の『プロセキューター』なのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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