第285回:愛のためにフルヴィアクーペで突っ走れ!
『トリツカレ男』
2025.11.06
読んでますカー、観てますカー
豪華スタッフの組み合わせ
映画にはさまざまなジャンルがある。ドキュメンタリーとフィクションがあり、実写とアニメの違いも重要だ。さらにアクション、ホラー、ラブコメ、サスペンス、SF、コメディーなどに分けられる。なるべく広い範囲の作品を観たいと思っているが、どうしたって好き嫌いが生まれてしまうのは仕方がない。『トリツカレ男』には、正直なところあまり食指が動かなかった。ファンタジックなアニメでミュージカルでもあり、主人公の声を担当しているのはアイドルなのだ。
それで興味を持てずにいたのだが、とんだ見込み違いだった。アバンギャルドと感じてしまうほど攻めたアニメ表現で、ストーリーは思わぬ方向に進んでいって結末が見えない。主人公はもちろん、すべてのキャラクターが魅力にあふれている。スタッフクレジットを見たら実に豪華な布陣で、そりゃあいいものができるだろうと思わされる。
監督の髙橋 渉は、主に『クレヨンしんちゃん』シリーズを手がけてきた実力派。特に2014年の『ガチンコ!逆襲のロボとーちゃん』は大人の鑑賞にも堪える名作で、高く評価されている。原作小説は寓話(ぐうわ)的な作風で人気のいしいしんじ。ブレイク前の河合優実が出演していた2021年の映画『サマーフィルムにのって』に参加した三浦直之が脚本を担当している。キャラクターデザインは長いキャリアを誇る荒川眞嗣で、音楽は映画の仕事は初めてだというAwesome City Clubのatagi。新旧の手だれが集い、思いがけない組み合わせが実現した。
イギリスの町にやってきたロシア少女
主人公のジュゼッペに声を当てているのは佐野晶哉。Aぇ! groupのメンバーだからバリバリのアイドルなのだが、高校では声楽、大学では作曲を学んでいたという。ヒロインのペチカは上白石萌歌。adieu名義で歌手としても活動している。ミュージカル『魔女の宅急便』でキキを演じたことがあり、2018年のアニメ映画『未来のミライ』では声優として4歳の男の子を演じた。25歳ながら経験豊富なのだ。森川智之、水樹奈々といったベテランが脇を固め、若い2人をサポートしているから盤石である。
ジュゼッペは「トリツカレ男」と呼ばれている。何かに夢中になるとほかのことが見えなくなってしまうからだ。トリツカレの範囲は多岐にわたり、オペラ、探偵ごっこ、三段跳び、昆虫採集、サングラス集め……と雑多でまったく脈絡がない。最後にトリツカレてしまったのは、公園で風船売りをしている女の子だった。ペチカという名の彼女は、東の国から一人でやってきたらしい。小説でも映画でも国名ははっきりと示されてはいないが、故郷はロシアである。過酷な運命にもてあそばれながらけなげに生きる彼女を、ジュゼッペは献身的に支えるのだ。
ジュゼッペはもちろんイタリア人だろう。ただ、街の風景はイギリスをイメージしている。石畳や重厚な建築物で陰気なイメージになりそうだが、ジュゼッペやペチカはカラフルな服装で、色とりどりの風船が明るい気分をもたらしている。それだけでなく、背景にサイケデリックな色彩が使われたり人物がグリーンやイエロー、ピンクなどのヴィヴィッドな色で染められたりして、彩り豊かな画面となっている。舞台の照明を参考にしたという直線的な色分けがなんともアーティスティックだ。
「冬のラリー用レースカー」って?
オリジナリティーに富んだアニメ表現が魅力的なのだが、このような描き方になったのは予算の制約も関係しているのかもしれない。アニメ超大作には巨額な予算が注ぎ込まれるようになっており、『アナと雪の女王』の制作費は1億5000万ドルだとされる。600人以上のスタッフで3年かけて製作し、CG処理にもお金がかかる。もちろん制作費は必ずしも作品の評価に直結するわけではない。第97回アカデミー賞長編アニメ映画賞ではドリームワークスの『野生の島のロズ』が大本命とされていたが、予算20分の1のインディペンデント作品『Flow』が受賞した。日本でも堀 貴秀監督のストップモーションアニメ『JUNK HEAD』、鈴木竜也監督がiPadを使って一人でつくった『無名の人生』といった素晴らしい作品が生み出されている。
『トリツカレ男』はこれらの個人製作映画よりは予算規模が大きいはずだが、ふんだんにお金を使えたわけではないだろう。厳しい条件ではあっても、スタッフの数が少ないほど製作者の意図がストレートに表れるというメリットもある。そのことを強く感じたのは、終盤に登場するクルマだ。ペチカがジュゼッペの危機を知ってギャングの親分に「スピードの出る自動車を1台用意して!」と命じる場面がある。小説では「冬のラリー用レースカー」と表現されていたが、映画では「ランチア・フルヴィアクーペ」を走らせていた。さすがに「ストラトス」はやりすぎと考えたのだと思われる。
荒川眞嗣は2014年のアニメ映画『ジョバンニの島』で“車両設定”という不思議な役職名でクレジットされており、クルマに一家言を持っている人物のようだ。アニメでも、登場するクルマがリアルに描かれることは多い。最も有名なのは『ルパン三世』の「フィアット500」だろう。ジブリ作品ではほかにも『千と千尋の神隠し』の「アウディA4」や『魔女の宅急便』の「シトロエン・トラクシオン アヴァン」などがある。
『トリツカレ男』には、もう1台はっきりと車名のわかるクルマが登場する。これから観る人の楽しみを奪うのは忍びないので、イギリス車とだけ言っておこう。こちらも実に的確なセレクトで、この映画がきめ細かな計算のもとに製作されていることにあらためて感心した。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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