自動車を取り巻く環境の転換期

公害および交通安全問題という、自動車社会が抱えるネガティブな側面が急速に表面化したこの年には、数年後に昭和48年規制や50年規制として実施されることになる自動車排出ガス対策基本計画が取りまとめられ、ガソリン無鉛化の早期実現も推進されることになった。新型車には同年9月1日から、継続生産車は翌1971年1月1日から、ブローバイガス還元装置の装着が義務づけられ、従来はハイオク仕様のみだったDOHCやツインキャブユニット搭載の高性能モデルにもレギュラー仕様が設けられるなど、初期段階の排ガス対策も始まった。

また、秋に予定されていた日本のモータースポーツ界における最大のイベントである日本グランプリの開催が中止された。公害安全対策に注力することを理由に日産が不参加を表明、トヨタが同調したことを受けての結果である。唐突ではあったが、世のクルマ好きにとっては、どこかひとごとのようだった公害問題を現実としてとらえるきっかけとなったといえる。

海の向こうのアメリカでは、この年に世界初の排ガス規制法であるマスキー法が可決された。ガソリンの無鉛化も進み、夏から秋にかけて発表された1971年型のモデルでは、ハイオクを必要とするのはわずか数車種のみとなった。多くのモデルではレギュラー対応とすべくエンジンが低圧縮化されたため、必然的にパワーダウン。逆を言えば、ほとんどの車種ではストレスフリー時代の最終年度となった1970年型が過去最強のパワーを誇っていたのである。

大阪万博や公害問題のほかにも、よど号ハイジャック事件や三島由紀夫割腹自殺といった、後世に語り継がれる衝撃的な出来事もあり、話題には事欠かない年だった1970年。次ページからは、自動車界にとってもターニングポイントとなったこの年にデビューした、代表的なモデルを紹介しよう。

1970年に制定されたマスキー法を、1972年に世界で初めてクリアしたホンダのCVCCエンジン。翌73年には「シビック」に搭載して市販化された。
1970年に制定されたマスキー法を、1972年に世界で初めてクリアしたホンダのCVCCエンジン。翌73年には「シビック」に搭載して市販化された。拡大
1968年、69年と日本グランプリで日産の連覇を許したトヨタが、雪辱を果たすべく開発した「トヨタ7ターボ」。5リッターV8 DOHCエンジンにツインターボを装着して最高出力800PSといわれたが、日本グランプリ中止により実戦参加はかなわなかった。
1968年、69年と日本グランプリで日産の連覇を許したトヨタが、雪辱を果たすべく開発した「トヨタ7ターボ」。5リッターV8 DOHCエンジンにツインターボを装着して最高出力800PSといわれたが、日本グランプリ中止により実戦参加はかなわなかった。拡大
硬軟織り交ぜ、さまざまな出来事があった1970年の話題のひとつが、ザ・ビートルズの解散。5月にリリースされた『LET IT BE』はラストアルバムとなった。同名の映画も公開され、そのワンシーンが東芝の家具調ステレオ「ボストン」のテレビCMで流れていた。
硬軟織り交ぜ、さまざまな出来事があった1970年の話題のひとつが、ザ・ビートルズの解散。5月にリリースされた『LET IT BE』はラストアルバムとなった。同名の映画も公開され、そのワンシーンが東芝の家具調ステレオ「ボストン」のテレビCMで流れていた。拡大
あなたにおすすめの記事
新着記事