現場にこだわり続けたレジェンド 高橋国光さんの偉業
2022.03.30 デイリーコラム日本に舗装路すら珍しかった時代
「飲み物は、みなさんありますか? 僕は(自分の分を)持ってきてしまったけれど……」
ちょうど1年前、私が最後に高橋国光さんをインタビューしたときの音声データは、高橋さんのこんな言葉で始まっていた。これを読み返しただけで、私は高橋さんの優しさを思い起こし、もう半ベソになっている。
高橋さんの偉業を書き出すのは簡単だ。
1958年、初出場した二輪の浅間火山レースで優勝。このとき高橋さんはまだ18歳だった。1960年には、二輪の世界グランプリへの挑戦を始めたばかりのホンダのワークスライダーに抜てきされ、1961年西ドイツGPの250ccクラスで初優勝を遂げる。これは、モータースポーツの世界選手権で日本人が記録した初の栄冠となった。
考えてみてほしい。60年前の日本には、まだ本格的なレーシングコースがなかったばかりか、舗装された道さえ少なかった。そうしたなか、ホンダのワークスライダーたちは荒川の河川敷に設けられた直線路だけのテストコースで腕を磨き、そして世界の猛者を相手に戦ったのだ。高橋さんの1961年西ドイツGPでの栄冠がどれほどの偉業だったかは、この一事だけでもわかっていただけるだろう。
翌1962年、高橋さんは開幕戦スペイン、第2戦フランスで優勝し、タイトル獲得が確実視されていたが、第3戦マン島TTで転倒。10日間も生死の境をさまよう瀕死(ひんし)の重傷を負った。さらに、翌年からホンダが活動方針を転換したこともあって高橋さんは活躍のチャンスを失い、1965年には先輩の田中健次郎さんからの誘いに応えるかたちで日産のワークスドライバーへと転身する。
こう聞くと、高橋さんが二輪から四輪へと“ステップアップ”したように思えるかもしれないが、当時の日産のレーシングカーといえば「フェアレディ」(SR311)や「ブルーバード」(510)が中心(両車ともデビューは1967年)。「ホンダの二輪レーサーはDOHC 4バルブで1万6000rpmとか1万8000rpmとか回っていたでしょ。それに比べたら、(日産のエンジンは)回っても5000rpmとか6000rpmだったから、まるでトラックのようでしたよ」。それから半世紀以上が過ぎた現代に暮らすわれわれには、これまた想像もできない話である。
何よりもファンを大事に
その後も高橋さんは、プリンスと合併した日産がつくった「R380」「R381」「R382」などを駆って日本GPに出走したものの、毎年のように不運に見舞われ、1967年の第4回日本GPにおける2位が最高位だった。それでも高橋さんは挑戦を続け、1972年には「スカイラインGT-R」で通算50勝目を達成。やがて富士グランチャンピオンシリーズやF2/F2000選手権が日本の代表的なレースとなって以降も、高橋さんは長く現役を貫き通した。
なかでも特に印象的だったのが、R32のGT-Rで土屋圭市さんと組んで全日本ツーリングカー選手権に参戦したり、土屋さん、飯田 章さんと一緒に「ホンダNSX」を駆って1995年のルマン24時間に挑戦し、GT2クラスで優勝したことだろう。
高橋さんは1999年に59歳で現役を引退。その後はチーム国光の代表としてSUPER GTに挑み、2018年と2020年にはタイトルを勝ち取っている。
そんな栄光に満ちた高橋さんの半生だけれど、ひとりの人として接したときの高橋さんは、冒頭で述べたように常に周囲への気遣いを忘れない、優しさあふれる紳士だった。富士スピードウェイで開催されたいつぞやの全日本F3000選手権レースでは、悪天候で決勝の中止が決まると、長時間グランドスタンドで待ち続けた観客に向けておわびの言葉を語りかけることもあった。本当に、高橋さんはファン思いのレーシングドライバーだったのである。
最後に、高橋さんが長年現役にこだわり続けた理由がうかがえる、こんなエピソードをご披露しよう。
「子供の頃、武蔵小金井駅前の交番の前でバイクに乗っていて転んでね、お巡りさんに家まで連れて帰ってきてもらったのよ(高橋輪業を営む高橋さんの生家は地元で有名な存在だった)。そのときオヤジに『オマエになんか(バイクは)乗りこなすことができない!』って言われたのが忘れられなくてね。レースを戦っていると、勝つときもあれば負けるときもある。でも、自分で満足できる走りができたことが何回あったかといえば、ほとんどないんですよ。だから、自分がこの年になってこんなことを言うのは恥ずかしいんだけれど、僕は落第生。もうちょっとマジメにやればよかったなあと思っているんですよ」
不世出の天才にして紳士を貫き通した高橋国光さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
(文=大谷達也<Little Wing>/写真=webCG/編集=藤沢 勝)

大谷 達也
自動車ライター。大学卒業後、電機メーカーの研究所にエンジニアとして勤務。1990年に自動車雑誌『CAR GRAPHIC』の編集部員へと転身。同誌副編集長に就任した後、2010年に退職し、フリーランスの自動車ライターとなる。現在はラグジュアリーカーを中心に軽自動車まで幅広く取材。先端技術やモータースポーツ関連の原稿執筆も数多く手がける。2022-2023 日本カー・オブ・ザ・イヤー選考員、日本自動車ジャーナリスト協会会員、日本モータースポーツ記者会会員。
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