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人に歴史あり、クルマに来歴あり! 魅惑的なエピソードを持つクラシックカー

2024.05.15 デイリーコラム 沼田 亨
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大事なのは価格にあらず

毎年のことだが、3月の半ばごろから梅雨が始まる6月の初旬ぐらいまでは、秋と並ぶ旧車イベントのハイシーズン。筆者の取材歴も考えてみればけっこうな長さになるが、珍しいクルマや初めて見るクルマを前にすると、いまだにテンションが上がる。

例えばどんなクルマかと問われたら、こう答える。タイプや車種、生産国や車格、ひいては車両価格などはあまり関係ない。引かれるのはこれまでに過ごしてきた時間、オーナーと紡いできたストーリーなどヒストリーの感じられるクルマ。極端なことをいえば、海外から輸入されて間もないレストア済みでピカピカの高級スポーツカーよりも、長年にわたって実用に供され、いい具合にヤレた軽自動車のほうに魅力を感じるのだ。

となれば、過日開かれた「オートモビル カウンシル2024」のようなイベントに並ぶクルマは興味の範囲外? 出展車両の多くは極上コンディションの希少車で、当然ながら価格も高価なのだから……と思われるかもしれない。

だが、実際はそうではない。最初に述べたように、価格はあまり関係ないからだ。たとえ高級車や高価格車であっても、現実問題として手が届く届かないは別としてヒストリーが感じられるクルマには興味を覚えるのである。会場にそんなクルマがあったのかって? もちろん、何台もありました。ということで、そうしたクルマのうち何台かを紹介していこう。

2024年3月31日に愛知県豊橋市周辺で開催されたクラシックカーイベント「ジーロ・ディ・三河~遠州」の光景。
2024年3月31日に愛知県豊橋市周辺で開催されたクラシックカーイベント「ジーロ・ディ・三河~遠州」の光景。拡大
「ジーロ・ディ・三河~遠州」に参加していた「品川 5」ナンバー付きの「ロータス・エランS1」。最初のオーナーは1960年代最強のプライベーターであるタキレーシングチームを率いた瀧進太郎氏、先代オーナーが「スカイラインGT-R」の開発者として知られる渡邉衡三氏というヒストリーを持つ。
「ジーロ・ディ・三河~遠州」に参加していた「品川 5」ナンバー付きの「ロータス・エランS1」。最初のオーナーは1960年代最強のプライベーターであるタキレーシングチームを率いた瀧進太郎氏、先代オーナーが「スカイラインGT-R」の開発者として知られる渡邉衡三氏というヒストリーを持つ。拡大
4月12日~14日に幕張メッセで開催された「オートモビル カウンシル 2024」の会場風景。
4月12日~14日に幕張メッセで開催された「オートモビル カウンシル 2024」の会場風景。拡大
「オートモビル カウンシル2024」に出展されたヘリテージカー販売店から、大阪の老舗であるジロン自動車のブース。手前から「アルピーヌA110」「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSS」「ランボルギーニ・イスレロ」「メルセデス・ベンツ280SL」。販売価格7000万円のイスレロを除く3台は、いずれも1000万円超だったがそろって売約済みとなった。
「オートモビル カウンシル2024」に出展されたヘリテージカー販売店から、大阪の老舗であるジロン自動車のブース。手前から「アルピーヌA110」「アルファ・ロメオ・ジュリエッタSS」「ランボルギーニ・イスレロ」「メルセデス・ベンツ280SL」。販売価格7000万円のイスレロを除く3台は、いずれも1000万円超だったがそろって売約済みとなった。拡大

超お宝の「911S」

しょっぱなからラスボスを紹介してしまうと、今回のオートモビル カウンシルでの個人的な「ベスト・オブ・ショー」は、ヘリテージカー販売店のAUTO DIRECTが出展した1967年「ポルシェ911S」だった。正直、ポルシェにはあまり興味がない私が心引かれる数少ないモデルが初期の「356」と911なのだが、この911Sはモノグレードで始まった911に高性能版の「S」が加えられた最初のイヤーモデル。操縦性改善のためにホイールベースが延長される前のショートホイールベース仕様である。

そのスペックだけでも貴重なのに、加えてこの個体は当時のインポーターだった三和(ミツワ)自動車による正規輸入車で、内外装は補修塗装などを除き未再生のフルオリジナル。しかも新車時からの「足立 5」のシングルナンバー付きという、プレミアム要素がすべてそろったお宝物件だったのだ。

さらにボディーカラーも私好みだった。1960年代後半から1970年代初頭にかけての流行色だった黄土色。アルファ・ロメオでは「ジアッロオクラ」、フィアットでは「マスタード」、日産では「サファリブラウン」や「サファリイエロー」といった色名を名乗っていたが、「バハマイエロー」と称したポルシェの911と「912」にこの色は一番似合っていると思うのだ(個人の感想です)。

このようにすばらしい911Sだが、新車価格も立派だった。比較対象として紹介しておくと、同じ年に発売された国産スポーツカーの最高峰だった「トヨタ2000GT」が238万円。同門の「クラウン」の最上級グレードだった「スーパーデラックス」(112万円)の2倍以上だが、それでも開発・生産コストを考えたらバーゲンだったと思う。とはいえ庶民の生活水準からすれば、とんでもなく高価なことは間違いなかった。

対してポルシェは標準の911で435万円、911Sはなんと510万円! 当時、輸入車には関税(小型車40%、大型車35%)がかけられていたこともあって、同級のトヨタ2000GTの2倍以上もした911Sをいったいどんな人が購入し、どんな乗り方をしていたのか……。実車を前にあれこれ妄想が膨らんでしまうのである。

今回は参考出品とのことだったが、販売については「ナンバーをはじめすべてのヒストリーを受け継いでくれる方がいらっしゃれば考えます」とのことだった。

新車時からの「足立 5」のシングルナンバーを付けた1967年「ポルシェ911S」。911Sを名乗った最初のモデルである。
新車時からの「足立 5」のシングルナンバーを付けた1967年「ポルシェ911S」。911Sを名乗った最初のモデルである。拡大
「911S」のリアビュー。2リッターフラット6ユニットは標準の130PSから160PSにスープアップされ、最高速が225km/h、0-400mは15.8秒のパフォーマンスを誇った。
「911S」のリアビュー。2リッターフラット6ユニットは標準の130PSから160PSにスープアップされ、最高速が225km/h、0-400mは15.8秒のパフォーマンスを誇った。拡大
エンジンフードに貼られた「911S」のエンブレム。当時の雑誌によると本国での価格は邦貨換算で約220万円と記されており、単純比較では日本における「トヨタ2000GT」とほぼ同じである。
エンジンフードに貼られた「911S」のエンブレム。当時の雑誌によると本国での価格は邦貨換算で約220万円と記されており、単純比較では日本における「トヨタ2000GT」とほぼ同じである。拡大
ポルシェでは「バハマイエロー」と称する、この系統のカラーがはやった証拠。左上から時計回りに「ダットサン・ブルーバード1600SSSクーペ」(サファリブラウン)、「スバルR-2」(キャニオンゴールド)、「フィアット850スポルトクーペ」(マスタード)、「アルファ・ロメオ1300GTジュニア」(ジアッロオクラ)。
ポルシェでは「バハマイエロー」と称する、この系統のカラーがはやった証拠。左上から時計回りに「ダットサン・ブルーバード1600SSSクーペ」(サファリブラウン)、「スバルR-2」(キャニオンゴールド)、「フィアット850スポルトクーペ」(マスタード)、「アルファ・ロメオ1300GTジュニア」(ジアッロオクラ)。拡大

正規輸入2台のうちの1台

前出のポルシェ911Sよりさらに古く、さらに高価だった最高級グランツーリズモが、プラネックスカーズが出展していた1966年「マセラティ・セブリング シリーズ2」。シルバーのボディーが美しいこの個体も、驚いたことに新車で2台だけ入った正規輸入車のうちの1台というのだ。

当時のインポーターは新東洋企業。ジャガー/デイムラーをはじめフェラーリ、マセラティ、サーブ、プジョー、そして後にはランボルギーニも扱っていた会社だ。一時的ではあるが、フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニという、いわば“イタリアンスーパーカー御三家”は同じ輸入元が商っていたのである。

この個体かどうかは不明だが、2台輸入されたセブリングのうち1台が『CAR GRAPHIC』1966年5月号の「今月入荷」コーナーで紹介されている。その記事によると、それまでに新東洋企業によってフェラーリとマセラティが2台ずつ輸入されており、セブリングは3台目のマセラティになるという。その価格は950万円で、「トヨペット・クラウン デラックス」(96万円)のおよそ10台分だった。会場での販売価格はその2倍以上の2200万円だったが、気づいたときには売約済みとなっていた。

もう1台気になった正規輸入の高級車が、Mars Inc.が出展した1987年「ロールス・ロイス・カマルグ」。長期間納屋で眠っていたという、走行わずか2000kmのフルオリジナル車両である。

主力車種だった「シルバーシャドウ」をベースとするシャシーにピニンファリーナがデザインした2ドアクーペボディーを架装した最高級パーソナルカーで、インポーターだったコーンズによって正規輸入が始まった1977年当時の価格は3810万円。シルバーシャドウのオープン版である「コーニッシュ」(2600万円)より1000万円以上も高く、注文生産のリムジンである「ファントムVI」を除き当時世界で最も高価な市販乗用車だった。

展示車両の販売価格は2900万円だったので、このイベントの出展車両には珍しく新車価格より安かった。とはいえ絶対的には高価には違いないのだが、会場内にいると金銭感覚が狂って割安に思えてしまうのだ。もちろん、実際に手が届くはずもないのだが。

1966年「マセラティ・セブリング シリーズ2」。フェンダーミラーはノンオリジナルとのことだった。
1966年「マセラティ・セブリング シリーズ2」。フェンダーミラーはノンオリジナルとのことだった。拡大
「マセラティ・セブリング シリーズ2」。エンジンは1950年代のF1マシンやレーシングスポーツの血を引く3.5リッター直6 DOHCだが、ボディーは意外にコンパクトで5ナンバー枠に収まるサイズ。
「マセラティ・セブリング シリーズ2」。エンジンは1950年代のF1マシンやレーシングスポーツの血を引く3.5リッター直6 DOHCだが、ボディーは意外にコンパクトで5ナンバー枠に収まるサイズ。拡大
上品な「オールドイングリッシュホワイト」をまとった1987年「ロールス・ロイス・カマルグ」。6.75リッターのV8 OHVエンジンを搭載、生産台数は525台といわれる。
上品な「オールドイングリッシュホワイト」をまとった1987年「ロールス・ロイス・カマルグ」。6.75リッターのV8 OHVエンジンを搭載、生産台数は525台といわれる。拡大
上質なウォルナットとレザーでしつらえた、古き良き英国車の香りが漂う「ロールス・ロイス・カマルグ」のインテリア。
上質なウォルナットとレザーでしつらえた、古き良き英国車の香りが漂う「ロールス・ロイス・カマルグ」のインテリア。拡大

フルオリジナルの証明書付き

正規輸入車ではないが、すばらしくオリジナル性が高かったのが、WARASHINA Carsが出展していた1960年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。日本では“カニ目”と俗称される愛嬌(あいきょう)のある顔つきの英国製ライトウェイトスポーツだが、「オールドイングリッシュホワイト」の塗装から内装のゴムマットに至るまですべてが工場出荷時の状態、すなわちフルオリジナルという英国自動車博物館発行の証明書が付いていた。

64年もの歳月を経ているとは信じがたいコンディションだが、筆者のようなズボラな人間には、たとえ入手できたとしても到底この状態を維持することなどできない。積み重ねてきた歴史の重みという意味では、ライトウェイトどころか超ヘビー級の逸品だった。

日本車にも年輪を感じさせる車両があった。初回から毎回極上コンディションの日本車をそろえているヴィンテージ宮田自動車が展示した1975年「日産フェアレディZ-L」。1973年のマイナーチェンジ以降で、かつ本格的な排ガス対策が施される直前の、俗にいうところの“ツーテール”の中期型だが、展示車両はワンオーナーの未再生、雨天未使用で走行8300kmという、こちらも限りなく工場出荷時に近い個体だった。

販売価格は2000万円で、先に紹介したマセラティ・セブリングに迫る。1975年当時のZ-Lの新車価格は約130万円だったから、およそ15倍! ちなみに同社のブースには「スカイライン2000GT-R」と同じDOHC 24バルブのS20型エンジンを積んだ1970年「フェアレディZ432」のフルレストア済み車両も展示されていたが、そちらは3500万円(新車価格185万円の19倍弱)だった。とどまるところを知らない国産旧車相場の高騰ぶりには、いまさらながら驚くばかりである。

「世界一オリジナルに忠実な個体」と英国の書籍でも紹介されている1960年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。
「世界一オリジナルに忠実な個体」と英国の書籍でも紹介されている1960年「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」。拡大
シートはもちろんフロアカーペットやゴムマットまで未再生のオリジナルという「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」のインテリア。
シートはもちろんフロアカーペットやゴムマットまで未再生のオリジナルという「オースチン・ヒーレー・スプライトMk1」のインテリア。拡大
1975年「日産フェアレディZ-L」。オプションのヘッドライトカバーが装着されていることを除き、エクステリアは工場出荷時のまま。
1975年「日産フェアレディZ-L」。オプションのヘッドライトカバーが装着されていることを除き、エクステリアは工場出荷時のまま。拡大
新車からの「愛媛 55」ナンバーが付いた「日産フェアレディZ-L」。テール/ストップライトとウインカーが分かれてバックライトが独立した、俗に“ツーテール”と呼ばれる中期型である。
新車からの「愛媛 55」ナンバーが付いた「日産フェアレディZ-L」。テール/ストップライトとウインカーが分かれてバックライトが独立した、俗に“ツーテール”と呼ばれる中期型である。拡大

3台あるという都市伝説の真相

これまでに紹介した車両とは毛色の異なるヒストリーを持つモデルが、WANNA DRIVEが展示した1974年「フェラーリ365GT/4 BB」。珍しい英国向けの右ハンドル仕様で、仕上げられて間もないと見えてボディーは新車以上ではないかと思える輝きを放っていた。自慢するほどのことではないが、長年クラシックカーを眺めてきた筆者のアンテナが“ワケあり”な雰囲気をキャッチしたのでスタッフに尋ねたところ、やはり大いにワケありの個体だった。

今からさかのぼること19年の2005年、かつて『CAR GRAPHIC』の出版元だった二玄社から発行されたムック『クルマの神様』に掲載された福野礼一郎氏による記事「フェラーリを通販で買う方法」。あの記事で紹介された、海外サイトで見つけ不見転で個人輸入され、フルレストアすべくエンジンを含めすべてバラバラにされた、あの個体だったのである。

その後の経過についてはしばらく愛好家の間で話題となっていたが、やがてコアなマニアを除いては忘れられた存在となっていた。それが20年近くを経た今になって、それこそ工場出荷時のような姿で現れたというわけだ。全バラの状態から仕上げたことは紛れもない事実とあって、プライスタグは9580万円とほぼ1億円。正規輸入されていないので新車価格は不明だが、インポーターだったコーンズが扱った後継の「512BBi」は2980万円だった。

最後にヘリテージカー販売店ではなくメーカーが展示した車両から「マツダRX500」。1970年の東京モーターショーでお披露目されたワンオフの高速実験車だが、半世紀の間にカラーが塗り替えられ、ライトがリトラクタブルから固定式になるなどモディファイを受けてきた。

ボディーカラーについては、1970年に発表された時点ではグリーンだった。しかし同年の東京モーターショーのマツダブースをデザインした建築家の黒川紀章氏の、展示車両はイエローで統一すべしという意見に従いショー出展時に塗り替えられた。その後1978年、初代「サバンナRX-7」(SA22C)のデビューキャンペーンに起用された際に、「イエローでは目立ちすぎて主役を食ってしまう恐れがある」ということで、今度はシルバーに塗り替えられた。

その状態で現在に至る……という話は今ではかなり浸透しているが、一時はワンオフではなく3台つくられたから3色存在するのだ、という説がささやかれたこともあった。そんなことを会場でマツダのスタッフと話していたら、「ここに証拠が残ってますよ」とドアを開けて後端の内側を指さした。するとそこにはオリジナルのグリーン、そして次に塗られたイエローのペイントの痕跡があったのだ。それらを見て、ここにも半世紀を超えるヒストリーがある……と感じ入ってしまったのである。

(文=沼田 亨/写真=沼田 亨、マツダ、webCG/編集=藤沢 勝)

珍しい英国向け右ハンドル仕様の1974年「フェラーリ365GT/4 BB」。仕上げたばかりとあって新車同様かそれ以上の美しさだった。
珍しい英国向け右ハンドル仕様の1974年「フェラーリ365GT/4 BB」。仕上げたばかりとあって新車同様かそれ以上の美しさだった。拡大
「フェラーリ365GT/4 BB」のエンジンルーム。エンジンはいったん組み上げられたものの、パフォーマンスに納得がいかないビルダーによってイベント直前に組み直されたという。
「フェラーリ365GT/4 BB」のエンジンルーム。エンジンはいったん組み上げられたものの、パフォーマンスに納得がいかないビルダーによってイベント直前に組み直されたという。拡大
1970年に発表された「マツダRX500」のメーカーオフィシャル写真。ご覧のようにグリーンに塗られ、ライトはリトラクタブル式だった。
1970年に発表された「マツダRX500」のメーカーオフィシャル写真。ご覧のようにグリーンに塗られ、ライトはリトラクタブル式だった。拡大
会場に展示された「マツダRX500」。1970年のスパ・フランコルシャン24時間で残り3時間までトップを快走した「ファミリア ロータリークーペ」用にハイチューンされた10A型エンジンをミドシップしている。
会場に展示された「マツダRX500」。1970年のスパ・フランコルシャン24時間で残り3時間までトップを快走した「ファミリア ロータリークーペ」用にハイチューンされた10A型エンジンをミドシップしている。拡大
「マツダRX500」の、はね上げたドア後端の裏側にグリーンやイエローのペイントの痕跡がポツポツと見える。
「マツダRX500」の、はね上げたドア後端の裏側にグリーンやイエローのペイントの痕跡がポツポツと見える。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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