「ホンダと日産の統合話」をどう見るか?
2025.02.09 あの多田哲哉のクルマQ&A2024年12月にホンダと日産の経営統合に向けた発表があり、以来、その動向が注目されています。多田さんはトヨタのご出身ですが、自動車業界の方として、この動きをどのように見ていますか? ご意見をお聞かせください。
当記事をまとめている2025年2月9日の時点では、「この経営統合の話は、近々破談に向かう見通し」との報が飛び交っています。どうなるかわかりませんが、今回はいま思うところを述べることにします。この件は、どうもお上(=政府機関・関連省庁)の主導で始まったとしか考えられない話で、内容的に無理なことが大変多いですね。
経営統合や、小さなところでは製品の共同開発、つまり他社と協力してクルマをつくるということ自体は、昔からさまざま行われてきました。トヨタに在籍していた私の場合、スバルやBMWとの協業経験があるのですが、どういう組み合わせにしても、そう簡単にいくものではありません。
よく「1足す1を3にする」などとうたわれ、それこそが協業のメリットだ! などと強調されるのですが、現実問題としては「2以上になる」ことなどめったになくて、2になったらかなりの成功。それどころか、「1にも満たない」「途中で破談」という事例が世の中にはザラにあります。
歴史を振り返ると、自動車メーカー同士もくっついたり離れたりを繰り返しています。で、今回のホンダと日産は、本当に両社が今の立ち位置を考えて積極的にくっついたのかと思いきや、どうもそうではない。
要するに、そこにはお上の介入があったはずであり、日産の経営がかなり難しい状態に近づいたところで、これまで世間でうわさされたとおり、海外の資本に買われてしまうことが懸念された。それはシャープの例を見ても看過できないと、お上が動いて強引に日産をホンダに押し付けた、ということでしょう。どう見ても。
ホンダって、皆さんもご存じのとおり、他社とくっつくことを好まない会社ですし、そういうことの功罪をよく理解していたと思うんです。これまでにソニーと付き合って、「けっこう大変だ」という思いもあることでしょう。そう、今回は、ホンダ・日産だけではなく、ホンダの向こうにソニーが、日産の向こうには三菱もつながっていて、ものすごく複雑な統合話になっているのです。
それをまとめようというのですから、例えば税制優遇であるとか、いろいろな裏取引というか甘い話も聞かされてのことであったろうと想像します。しかし、お上の意向にイヤイヤ応じての協業なんて無理がある。
そもそも、組織と組織がくっつくというのは大変な作業です。たとえ「協力し合えば、これまで望めなかったこの製品が世に出せる」という具体的な目的があってもうまくいかないことが多いのに、「経営状態が悪くて海外資本に持っていかれそうだから役所が働きかけてくっつけた」みたいな話では、現実問題として、非常に困難な状況になったときに、現場で仕事にたずさわる人間が“がんばるモチベーション”を持てるはずがない。私は、そのことが最も気がかりです。
望んでいないことをやらされて「結果を出せ」と攻められれば、状況的にはどんどん負のスパイラルに落ち込んでいくことは明白なんです。
現状でも、取り扱い製品(四輪)の多くが両社で重複しています。かつ、求められている課題が次世代のクルマとされるSDV(ソフトウエアディファインドビークル)=莫大(ばくだい)な投資を必要とする仕事で、そういうリスク分散を両社でしろ、みたいな話なのです。うまくいくわけがないのです。
SDV開発の難しさというのは、自分の会社の資産、つまりガソリンエンジン車時代に積み上げてきた電子制御の仕組みを引き継ぎつつ、次のEVやFCV、そしてインフォテインメントシステムをコントロールする制御ソフトをつくることの難しさそのものです。
その開発において、自分の会社の製品だけでも大変な困難を伴うのに、経営統合する相手の会社の資産まで対象にしなければならないというのは、聞いただけで卒倒しそうな話です。
例えば、トヨタもフォルクスワーゲンもそのための次世代OSをつくるなどと言ってはいますが、全然うまくいっていない。これら2つのグループでさえ大いに苦労しているのに、ホンダや日産が、面倒なしがらみを2倍かかえてやっていくなんて……。そういう大変さが、両社のトップは本当に理解できているのか、はなはだ疑問です。ちなみにトヨタだって、電気関係の専門スタッフは「上層部は、次世代SDVの開発がどれほど困難なことなのかまるで理解していない」と嘆いていますよ。
かような次第で、そこからどういうプロダクトが出てくるかは、まるでイメージが湧きません。
どうしてこの2社だったのかという点については、今回の経営統合話に役所の働きかけがあったと仮定して、その担当者や、ホンダと日産の社長という個人レベルの人間関係がきっかけになっているのかもしれません。そちらの関係がトヨタとの関係よりも強かったから、トヨタは絡まなかっただけなのかもしれない。
「非公式な場での個人間のごあいさつから社交辞令に、そしてやがては会社として意気投合」みたいな。こういうことの第一歩って、実際のところ、そんな流れであることが多々あります。そして、ご覧のとおり今のトヨタは、そういうつながりを重視していないのです。外部への情報発信も『トヨタイムズ』などオウンドメディアを介しているし。今回のような話が仮に持ちかけられても、途中で遮断されてしまっただろうと想像します。
冒頭で触れたように、この“ムリな話”は白紙に戻る可能性が高いといわれています。その場合は、シャープのように、台湾の鴻海(ホンハイ)に日産が買収されてしまい、それで「結果オーライ」となってしまうかもしれません。
今の苦境において、日産社内に優秀かつ剛腕な経営者がいないことや、かつてはたくさんいた、優秀な経営者となるはずだった人材がどんどん流出してしまったことは周知の事実です。
そのなかでも注目すべきは、日産社内で優秀かつ人望のあった関 潤(せき じゅん)副COOが、社長就任をめぐって今の経営陣に追い出されるようなかたちで日産を辞め、日本電産の代表取締役社長を経て現在はホンハイでEV事業の最高戦略責任者を務めていることです。あるいはそんな背景から、日産経営陣に「ホンハイに買われるくらいなら、ホンダでもいいのではないか」という安易な判断があったのか、どうか。
台湾は世界をリードする半導体大国であり、これからのSDV時代で必要とされる技術ネットワークを、関さんがホンハイを軸に広げていることも明らかです。まわりまわって、そういう人が結果的に日産再建に辣腕(らつわん)を振るうことになるとしたら……。なんの因果か、とても興味深いことではないでしょうか。そしてそれは、日産経営陣には悪夢のような状況かもしれないが、日産の社員やファンにとっては、夢のある結果が期待できる最後のチャンスになるような気がします。
→連載記事リスト「あの多田哲哉のクルマQ&A」

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。