開発中にボツになった「素晴らしいアイデア」は、その後どうなる?
2026.03.31 あの多田哲哉のクルマQ&A多田さんの過去のQ&Aを拝読して、車両を開発するなかで製品化に生かされなかった良いアイデアや素晴らしい技術もたくさんありそうだと思いましたがどうでしょう? また、それらが再び日の目を見ることはあるのでしょうか?
かなり昔は、一度ボツになったアイデアが世の中のニーズの変化によって復活する、ということもあったかと思います。しかし、ここ10年ほどは、そういったことはほとんどありません。
理由は、クルマに関する技術開発のスピードが、全体的に非常に速くなっているからです。 当時は「素晴らしい」と思ったアイデアでも、5年もたてば関連する技術自体がどんどん進み、かつての目的を達成するためには別の新しいアイデアやテクノロジーで実現したほうがはるかに効率的になってくる。そのため、古いものを掘り起こす必要がなくなってしまうのです。
そもそも、良いアイデアがなぜボツになってしまうかといえば、理由のほとんどは「コスト」にあります。 内容は素晴らしいけれど、値段・費用が折り合わない。あるいは、他の車種への拡大や展開が難しく合意が取れないといったケースです。 工場の流れ作業で大量生産するにはつくるのが難しすぎるという「生産技術」のハードルにぶつかりボツになることも多いですね。
しかし最近では、トヨタの「GRファクトリー」のように、大量生産のラインとは別に、少量生産・手づくりのラインを設ける動きが出てきました。 かつてフェラーリのような少量生産メーカーにしかできなかったことが、トヨタのような大メーカーでも可能になってきたのです。大量生産と少量生産、それぞれのノウハウが蓄積されたことで、「このアイデアを生かすなら、どちらのアプローチでつくるのが最適か」を選べるようになりました。 そのため、本当に良いアイデアであれば、コストの問題さえクリアできれば実現しやすくなっています。
実際、GRファクトリーでつくられるクルマは、手間がかかっているぶんだけ価格も高くなります。 しかし、お客さまがその価値を理解し、高い価格設定や値引きなしの状況に納得のうえ購入してくださるという「新しいビジネスモデル」が確立されました。 昔のように「安さこそが正義」だった時代から、クオリティーや個性を求める時代へと変わったことで、つくり方も多様化しています。
つまり、良いアイデアであれば実現できる環境が整いつつある一方で、開発スピードが速すぎるため、「過去のボツ案を再利用する」という発想自体が、現代の車両開発にはなじまなくなっている、ということです。例えば、ステアリングを電子制御する「バイワイヤ」の技術が実用化され始めていますが、数年もすれば、また今の私たちが想像もできないような新しい機能がどんどん生まれてくるはずです。 過去に固執するよりも、常に新しいアプローチで挑むのが、今の開発現場なのです。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。