クルマの“音関係の開発”はどのように行われている?
2026.09.08 あの多田哲哉のクルマQ&A特にスポーティーなクルマで「エンジン音や排気音にこだわった」というフレーズをよく耳にしますが、遮音・防音の取り組みを含め、車両の音関係の開発がどのように行われているのか、教えてください。
多くの場合、クルマの音について期待されるのは「良い音を響かせる」という演出の部分だと思いますが、自動車開発の歴史において「音」に関する技術というのは、基本的にすべて遮音・防音・消音のために進化してきました。不要な音を極力消して、車内でいかに快適に過ごせるようにするかというアプローチです。
つまり、エンジン音やロードノイズ、風切り音といった雑音をキャビン内部に入れない努力を延々とやってきたわけです。昔のクルマは車内が雑音でうるさくて、ラジオやカセットデッキを使うにも大音量でなければ聞こえないレベルでした。
そこから遮音材自体の性能が向上し、それをボディーのパネルの隙間に敷き詰めるようになりました。さらに窓ガラスも大きな進歩を遂げています。窓から入ってくる音というのは、実は非常に大きいのですが、割れた際に飛び散らないように挟み込んでいる樹脂膜に「遮音構造」を持たせたガラスが一般化し、窓からの音の侵入も大幅に抑えられるようになっています。
走行中の「ロードノイズ(路面からの音)」は、主にタイヤのパターン(溝)が原因で発生します。その品質向上に加えて、足まわりのサスペンションに取り付けるブッシュ(ゴム部品)などもどんどん進化していますから、今のクルマは昔に比べれば、ものすごく静かというレベルにまで到達しました。
余談になりますが、F1などのモータースポーツで使われる、溝のない「スリックタイヤ」を装着したクルマに乗ったことがありますか? スリックタイヤはグリップがいいだけではなく、実は「ものすごく静かでコンフォート性能が高いタイヤ」なんです。溝がないのでロードノイズがほとんど発生せず、一般道を走るとびっくりするほど静かで快適です。
あまりにも快適なので、私は昔「雨の日でも走れるスリックタイヤをつくって、新車に標準装着できませんか」とブリヂストンに真剣に相談しに行ったくらいです(笑)。もちろん雨の日は大変なことになるので市販車への採用は無理だったのですが、それくらい「タイヤの溝」は音の大きな発生源になっているのです。
ほかにも、イヤホンのノイズキャンセリングと同じように、車内のスピーカーから「騒音とは逆位相の音」を出して周波数を打ち消し、ドライバーに耳障りな音を感じさせない電子制御技術もあり、近年では各社でノウハウが蓄積されています。
そうやって車内が静かになりすぎた結果、今度はスポーツカーなどを好む層から「エンジンの音や排気音が聞こえなくてつまらない」「レーシングカーのような吸気音やアフターファイアの音を感じたい」という逆のニーズが出てきました。一方で、歩行者の保護のために「車外に騒音を出してはいけない」という法規制も厳しくなっています。
そんな「外には音を出せないが、車内にはエンジン車特有の音を届けたい」という課題に私がぶつかったのは、ちょうど初代「トヨタ86」を開発していた時期でした。
86では、エンジンルームと室内をつなぐ穴を開け、エンジン音や吸気音の振動を直接運転席に引き込む構造を取り入れました。一方で耳障りに感じる人のために、その穴の広さを調整できるパーツをオプションで用意し、さらに、昔のキャブレターが空気を吸い込む際に生じるような独特のサウンドを分析して、それに近い周波数の音を室内に響かせる装置(サウンドクリエーター)も取り付けています。
「スープラ」の時には、実際のエンジン音に加えて、若干の電子音を合成してスピーカーから流すことで、より気持ちのいいスポーツサウンドを演出する手法を採りました。
スープラについては排気音の工夫もあります。試作車をつくった際、通常の基準どおりにリアのフロアまわりに遮音材をガチガチに詰めたところ、マフラーからの音が車内で全く聞こえなくなってしまいました。そこで音を通すために、協業していたBMWの開発チームなどに「遮音材を3分の1に減らしてくれ」と指示を出したところ、担当者からは「そんなことをしたら大クレームになる」と大反対されましたが、押し切って遮音材を大幅に削り、マフラーの心地よい音を車内に響かせるようにしたのです。
自動車メーカーには「これくらい静かでなければならない」という社内マニュアルや基準が厳格に存在します。普通の車種であれば、音を大きくするような演出はまずあり得ません。開発の基準として「静かにする」のが大前提にあるからこそ、あえて音を聞かせるための引き算(=遮音材を減らす)や演出が必要になるのです。
しかし、これから電気自動車(EV)の時代になると、この音の開発プロセス自体が根本からガラッと変わります。燃料の爆発という最大の音源がなくなり、モーターに置き換わるため、これまでエンジンルームの遮音にかけていた莫大(ばくだい)なコストや重量を大幅に見直すことができます。その代わり、「モーターのキーンという高周波音をどう抑えるか」「どんなモーター音であればドライバーが心地よく感じるか」ということに対する、全く新しいノウハウが必要になってきます。
従来の遮音マニュアルどおりにEVをつくってしまったなら、無駄に重く高価なクルマになるでしょう。「EV時代の音の制御・演出」にどう取り組むかは、これからの自動車メーカーの技術的な差が出てくる面白いポイントだと思います。

多田 哲哉
1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。