日産の中村氏 国際的デザイナー賞を受賞
2010.07.27 自動車ニュース日産デザインのトップ中村史郎、国際的なデザイナー賞を受賞
日産自動車のデザインとブランドマネージメントを担当する中村史郎CCO(チーフクリエイティブオフィサー)が2010年6月18日、あるアメリカのデザイン賞を授けられた。それはその生涯を自動車デザインに捧げた人間だけに贈られる、素晴らしい賞である。
■Lifetime Design Achievement賞
今、世界でもっとも名が通っている日本人自動車デザイナーは、間違いなく「シロー・ナカムラ」だろう。もちろん個人で活躍している有名なデザイナーも何人かいるが、日産自動車常務執行役員、チーフクリエイティブオフィサーのタイトルの下、この巨大な企業のデザインを10年以上にわたって率いてきているという点で、やはり中村史郎氏の仕事は高く評価されていい。
トヨタ・デザインのトップは誰か、ホンダのチーフデザイナーの名は? と聞かれても、海外はおろか日本でも大半の人は知らない。でも日産は? と問われるなら、多くの人はシロー・ナカムラと答えるだろう。
それゆえ同氏はこれまで、さまざまな賞を内外から授与されているが、最近、本人としては「これほどうれしいものはない」という賞を授けられた。
Detroit Institute of Ophthalmology(デトロイト眼・視覚学学会)は、彼らが主催するEyes on Design(デザインの視覚的価値)なる一連の自動車デザインのコンテストの中で、長い間自動車デザインに貢献した人間に与えられるLifetime Design Achievement賞の2010年受賞者に、中村史郎を選んだのである。
■きら星のような大物がシローを選んだ
ライフタイムというその賞の名前が示しているように、これは特別なクルマとか作品を手がけたデザイナーを対象としたものではなく、デザイナーとして長年活躍してきた人、過去から現在につながる業績を評価して与えられる賞である。場合によっては故人であっても対象にされる。
1988年から始まったこの賞の過去の受賞者名簿には、自動車デザイン史におけるきら星のような名前が並んでいる。
デトロイトで行われるイベントゆえに、アメリカのメーカーやアメリカで成功している企業のデザイナーが多いが、主な過去の受賞者を紹介するとこうなる。
まずGMデザインでは、初代のハーリー・アールに始まり、ビル・ミッチェル、チャック・ジョーダンなどの大物が受けている。フォードはジャック・テルナックとボブ・ラッツというこれまた有名人。クライスラーではかつてテールフィンをはやらせたヴァージル・エクスナーと、後のクライスラー・デザイン再興の祖といわれたトム・ゲイル、今はなきAMCで活躍したディック・ティーグなどの名前が見える。
一方ヨーロッパのデザイナーでは、古いところではジャガーのウィリアム・ライオンズに始まり、ポルシェ一族、セルジオ・ピニンファリーナやヌッチオ・ベルトーネ、ジョルジェット・ジウジアーロ、マルチェロ・ガンディーニ、そして長年メルセデス・デザインを率いて来たブルーノ・サッコらが受けている。
あくまでもアメリカ市場に影響力が大きかったデザイナーが選ばれているとはいえ、その中に初めて日本人が選ばれ、しかもそれが日産の中村史郎だったということの意味は大きい。
実はEyes on Designの他の賞と違って、デザイナー個人を対象としたこの賞に意味があるのは、過去のこの賞の受賞者が、審査員として最終的に決めるということなのだ。つまりボブ・ラッツやチャック・ジョーダンなどのアメリカ側の大物、ジウジアーロやガンディーニ、ブルーノ・サッコら、ヨーロッパの名だたる大物デザイナーたちが、シロー・ナカムラを選んだのだという。
■育ててもらったアメリカに認められた
「率直に言ってすごくうれしいです」。同氏は語る。
「賞そのものよりも、選んでくれた人に感動しました。皆かつてのあこがれの人、私にとっては雲上人のような人たちが私を選んでくれて、言ってみるなら僕らの仲間にようこそ、と誘ってくれたようなものですからね」
「しかもそれを選んだ時期は、例のGM経営危機などで日本メーカーへの風当たりが強い頃だったし、ボブ・ラッツなんて日本には厳しい発言で有名ですね。でも個人的には、ラッツは私にいつも親しく声をかけてくれています」
「私はね、心の中でアメリカにデザインを教えていただいたと今でも思っているのです。本当にアメリカから受けたものは大きいから、そこで認めてもらえてうれしいのです」
「そうですね。やはり日産に10年以上席を置いて、責任ある立場に付けていただいてきていることが大きいのでしょうね。この10年間に思い切ったことを沢山させていただきましたから。日本の自動車メーカーで、デザインのトップを10年やっていることは珍しいのです。10年になるとクルマでは二世代見ることができるし、企業デザイナーとしてきちんとしたことをするには、最低それだけの時間は要るのですね。そういう点で欧米のメーカーは、優れたデザイナーは皆、一社で10年以上やっていますね。そういうことも今回評価されたのだと思います」
■企業デザイナーを超えて
「11年前、初めて日産に入ったときは、ここまでこられると思っていませんでした。カリフォルニアのアートセンターで学んだのが30年前、GMのデザイナーとしてデトロイトにいたのが25年前、あの頃、こんなこと想像もできませんでしたね。だから今、ああ、自分はとても長い距離を歩いて、やっとここまで来たのかという、何ともいえない感動があります」
「本当に日産ではさまざまなことをやらせていただきました。単にクルマをデザインするだけでなく、厚木のデザインセンターの一新という仕事もできたし、ついにはここ横浜の本社新築計画にもデザイナーとして関わることができました。まさにトータルで企業をデザインするという最高のチャンスをいただいたと思います」
「で、ここまで来たのだから、これからどうするかですか? そうですね。私自身、一つの節目にきていることは確かだと思います。10年過ぎ、年齢も60になりますから、そろそろ次のステップを考えなくてはいけないでしょうね。日本では、他のクリエイターと比較すると、自動車デザイナーの社会的地位が低いから、これをなんとかしてもっと高くしたいし、単なる企業デザイナーを超えて、もっと広く社会のために役立てるようになりたい。最近はそう思っています」
(文=大川悠)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |