第238回:空爆された工場から新型「フィアット500L」
2012.03.30 マッキナ あらモーダ!第238回:空爆された工場から新型「フィアット500L」
そのクルマ、セルビア製
フィアットが2012年3月のジュネーブモーターショーで新型5ドアワゴン「500L」を公開したことは、イタリア車ファンならご存じのとおりだ。ショー会場ではついぞドアキーが解錠されることがなく、フィアットファンとしてはちょっとしたお預け状態を味わったが、欧州では2012年秋から販売が予定されている。
このミニMPVは「L0(エルゼロ)」のコードネームで開発が行われてきて、ネーミングに関してはさまざまな臆測が飛んだが、最終的には往年の「フィアット500」の1モデルとして「500L」に決まった。
ラインナップ上は、従来のミニMPV「イデア」および「ムルティプラ」の後継車であることは明らかだ。しかしこの500Lに関し、もうひとつの関心は、その生産工場である。セルビアのクラグイェヴァツにある工場だ。
「旗」という名のクルマ
クラグイェヴァツ工場は今回の500Lのために建設したものではない。背後には長い歴史がある。
起源はフォードのトラックを生産していた第二次大戦前の旧ユーゴスラビア王国時代にさかのぼる。
この工場は戦後ティトーによる社会主義体制下に、「Zavodi Crvena Zastava(赤旗工場)」として、まずはウィリスのジープをライセンス生産することで再スタートを切った。その後トラック部門は別の歩みをしてゆくので今回は割愛するが、乗用車部門は1954年にイタリアのフィアットからライセンスを取得。「Zastava(ザスタバ)」ブランドとして生産するようになる。
「ザスタバ」とはセルビア語で旗を意味し、工場の名称にちなんで名付けられた。
個人的なことを記せば、16年前ボクがイタリアで学生だったとき、ユーゴスラビアからやってきた留学生が、「『旗』と名がついたクルマなんて、社会主義っぽいだろ」と言って自嘲気味に笑っていたものだ。たしかに中国・第一汽車の高級車「紅旗(ホンチー)」に通じるセンスである。
やがて1960年代に入り、フィアットの大衆車「600D」をベースに誕生した「750」は、なんと1981年まで生産されるロングセラーとなった。
欧米でも人気だったコラール
ザスタバは、1981年には「フィアット・リトモ」をベースに「127」のエンジンと独自のボディーを載せた新型車「ユーゴ45」を発表。このクルマは東欧圏だけでなく、北米や西ヨーロッパ諸国にも輸出された。アメリカでは当時、「ヒュンダイよりも安い激安カー登場」として話題になったものだ。
欧州では「コラール」の名前で販売され、イタリアではイノチェンティの1モデルとして販売された。コラールがどうやって売られたかを知るには、当時イノチェンティ販売店経営者として年間200台近くを売っていたイタリア人の知人による貴重な証言がある。
1980年代後半からイノチェンティは業績が安定せず、1990年にはフィアットの傘下に入った。
「(イノチェンティの元オーナー)デ・トマソとしては、提携先のダイハツに買って欲しかったのでしょう。しかし、日本企業上陸を嫌うフィアットが買収してしまったのです」
しかし、取得してみたものの車種といえば旧態化した「イノチェンティ・ミニ」しかなかった。そこで後継車としてフィアットが急きょ考えたのがユーゴスラビア製のコラールを輸入して販売することだった。コラールのセールスは悪くなかったからだ。
「『フィアット・ウーノ』なら中古しか買えない値段で、新車のコラールが買えたからです。多くのフィアット製パーツも流用でき、かつ超人気車種のウーノよりも盗難被害が少なかったのも、隠れた人気の秘密でしたね」
ナポリでは、コラールの販売だけで財を成したディーラーもいたという。
参考までに当時のコラール人気を証明するように、ボクがイタリアに来た1990年代中頃は、まだ路上でたびたび見かけたものである。
激動の時代
コラールの好調を背景にザスタバは1988年、新型車「フロリダ」(サーナ、もしくはマイアミ)を発表する。かのジウジアーロのデザインによる5ドアハッチバックボディーは、西欧メーカーもうらやむほどスタイリッシュなものだった。
だが順風満帆のザスタバに、激動の時代が訪れる。社会主義の崩壊を受けて1992年に建国された新ユーゴスラビアでは、1996年になるとコソボ紛争が勃発(ぼっぱつ)する。それに前後して、西側諸国による経済制裁が敷かれるようになり、ザスタバは思うように輸出できなくなっていった。1999年には、ついに北大西洋条約機構(NATO)による空爆が開始された。ザスタバ工場も攻撃対象となり、破壊されてしまった。
紛争終結後、ザスタバはコラールにポルシェ設計の新トランスミッションを搭載したり、フロリダにフィアット初代「ブラーボ」のエンジンを搭載したバージョンを追加したものの、過去の成功を取り戻すには至らなかった。
ようやく安定への一歩を踏み出したのは2005年、2代目「フィアット・プント」のユーゴスラビア版である「ザスタバ10」の生産開始だった。
2008年、フィアット・グループ・オートモビルズは、独立したセルビア政府と新たに合弁会社を設立し、クラグイェヴァツ工場を正式にフィアットの一生産拠点とすることで合意した。人件費の安い新興国工場を求めるフィアットと、産業復興の足がかりとしたいセルビア政府の思惑が一致したかたちだった。
これによってザスタバブランドの自動車は姿を消し、代わりに冒頭で紹介したフィアット500Lが新生クラグイェヴァツ工場生産第1号車となった、というわけだ。
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わずか13年前の紛争地帯で
次なる問題は、500Lにその座を明け渡すイデアやムルティプラが造られていたイタリア・ミラフィオーリ本社工場の余剰生産能力をどうするのか? ということである。これはまた深い話になるので別の機会に譲り、500Lに焦点を合わせて続けよう。
ポーランド工場製のフィアット500や2代目「パンダ」でその品質が十分に満足ゆくものであることを知ったヨーロッパの人々である。500Lがセルビア製であっても「イタリア製じゃない」と嘆く人は極めて少ないだろう。ボク自身も、今やフィアットがどこで造られようと構わない。それが品質管理担当者に対するリスペクトというものである。
しかしながら、ここイタリアのお茶の間で毎晩セルビア空爆やコソボ難民のニュースを聞かされ、それまで自分の人生とは関係なかった地域紛争という事態が海ひとつ挟んだ所で行われていることを実感したのはわずか13年前のことである。
その地で今、最も新しいフィアットが造られようとしていることに時代の流れを感じざるを得ない。
ちなみに今回執筆するにあたり、1枚の興味深い写真を見つけた。かつてセルビアと同じくユーゴスラビアを形成していたクロアチアを旅したときのものである。
1台の車高が低められた「ザスタバ750」だ。大ざっぱに塗り変えられた白いボディーに、これまた稚拙な黒のアクセントが加えられている。そのさびの浮き加減からして、今日の若者が廃車同然の車両を改造して遊んでいるというより、かなり以前にモディファイされたものだ。
冷戦終結・地域紛争と激動の道を歩んだバルカン半島にも、それなりのかたちでクルマを楽しむ人たちが存在したかと思うと、どこか心温まるではないか。
(文=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA/写真=大矢アキオ、FIAT、Italdesign-Giugiaro)
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大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、25年間にわたってリポーターを務めあげる。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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