トヨタが掲げる「マルチパスウェイ」ってなに? その意味と特徴、強みを知る
2024.04.04 デイリーコラムBEV一択の“脱炭素”に異議あり
最近、自動車関連の報道で“マルチパスウェイ”という言葉を見聞きすることが増えた。
いま自動車業界が直面している最大の課題はいうまでもなく“カーボンニュートラル(CO2排出実質ゼロ化)”である。世界中の多くの国や地域が、なんとかバッテリー電気自動車(BEV)を普及させようと苦心しているのも、(もちろん国家的な経済戦略の意味もあるが)少なくとも原理原則としては、カーボンニュートラル化して地球の気候変動を抑止しようという目的のためである。
世界がすべてBEVになれば、その瞬間に、クルマから排出されるCO2はたしかにゼロとなる。また、エンジン(内燃機関)を搭載しなければ有害な排ガスも出さなくなり、さまざまな排ガス規制もすべて不要となる。クルマの環境規制当局からすれば、そこですべての仕事が完遂される。まさに理想の実現だ。
しかし、BEVはCO2を直接排出することはないが、バッテリーの製造工程まで含めると、車両1台を生産するためのCO2排出は純粋なエンジン車より多いともいわれる。バッテリーに使われるリチウムの生産工程では鉱石を炉内で燃やす際に大量のCO2を発生するし、バッテリー生産工程は電力消費も多い。また、BEVを走らせる電力に火力発電などが使われていれば、そもそもCO2排出ゼロとはいえないのではないか……。
そうした現実を踏まえて、BEV一択のカーボンニュートラル論議に対する、もうひとつの考えとして存在するのがマルチパスウェイである。マルチパスウェイ=Multi Pathwayを直訳すると“複数の小道”となる。
カーボンニュートラルを実現するための手段=道は、なにもBEVの1本だけではない。というか、先述の製造工程や発電の現実、あるいは思いどおりにいくとはかぎらないBEVの普及速度を考えると、BEVだけでは逆にカーボンニュートラル化が遠のく可能性もある。BEVに加えて燃料電池車(FCEV)、エンジン車、ハイブリッド車(HEV)、プラグインハイブリッド車(PHEV)、水素エンジン車など、あらゆる手段=複数の小道を使うのが、総合的なCO2排出を減らしてカーボンニュートラル化に向かう本当の意味での早道ではないか……というのが、マルチパスウェイのココロだ。別の言葉でいえば“全方位戦略”である。
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BEVは重要な解決策だが唯一の選択肢ではない
そんなマルチパスウェイという表現を、最近、積極的に使っているのが日本のトヨタだ。
トヨタの全方位戦略=マルチパスウェイを印象づけるきっかけとなったのは、2021年9月におこなわれた日本自動車工業会(自工会)の記者会見だろう。トヨタはかねて、急進的なBEV戦略を掲げる欧米自動車メーカーと比較されて「BEV化に積極的でない。時代遅れ」と批判されていた。加えて、欧州連合が2021年7月、2035年までに域内での内燃機関を搭載するクルマの実質販売禁止を打ち出した。その直後に開かれた記者会見で、当時自工会会長だった豊田章男トヨタ会長(同会見時は社長)が「敵は炭素(カーボン)、内燃機関ではない」と発言して話題となった。さらに「(BEV以外の)選択肢を広げるのは、日本の雇用と命を背負っているから」と続けて、その発言がトヨタだけでなく、日本の自動車産業全体の利益のためであることを強調した。
トヨタ関連の公式発言やプレスリリースに「マルチパス(ウェイ)」という文言が目立つようになるのは、その翌年の2022年からだ。さらに、同年11月の自工会記者会見では、「日本の自動車産業は、(電動化へ向けて)すべての選択肢の準備ができています。BEVは重要な解決策のひとつですが、唯一の選択肢にはならない」と豊田会長が発言すると、副会長(当時)の片山正則いすゞ会長が「(カーボンニュートラルのためには)多様な選択肢、いわゆるマルチパスの大切さを感じております」と続けた。ここでマルチパス(ウェイ)は、日本の自動車産業全体に共通する基本戦略になったともいえる。
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実はトヨタよりホンダが先?
というわけで、トヨタきっかけで日本のクルマ用語としては急速に浸透しつつあるマルチパスウェイだが、じつは、これはトヨタよりホンダが先に使いはじめた言葉だったりもする。さまざまな報道を振り返ると、ホンダは2019年にはマルチパスウェイという表現を使っている。
ホンダが想定するマルチパスウェイでは、使うのはあくまで再生可能電力やバイオマスなどのカーボンフリーエネルギー。それを、電力やバイオ燃料のままで使うだけでなく、さらに水素や合成燃料にも転換することで、BEVやバイオ燃料車だけでなく、FCEV、さらにはPHEVやHEV、航空機などの内燃機関にも使う……という戦略である。まあ、ここまではトヨタの主張と似ている。
しかし、2021年4月に三部敏宏社長が就任すると、ホンダは2040年までにBEVとFCEVの販売比率を100%とする“脱エンジン”を宣言。それにともなって同社のマルチパスウェイも「乗用車やバイクはBEV、トラックなどの大型車はFCEV、ホンダジェットはカーボンニュートラル燃料による内燃機関」という内容に微妙に変化している。
このように「BEV一択でない」という意味では、ホンダとトヨタのマルチパスウェイは同じだが、中身は微妙にちがう。今後はどうなるか分からないが、現時点ではそうだ。
もっとも、2035年までの内燃機関販売禁止を掲げていた欧州連合も、(カーボンニュートラル燃料にかぎって)内燃機関の販売を2035年以降も認める方針に転換したり、合わせて欧米メーカーのいくつかが、BEV化のスピードを緩めたりする動きを見せている。いっぽうで、BEVにかぎれば、欧米勢、あるいは中国に出遅れ気味だったことは否めない日本メーカーは、ここぞとばかりにBEVの開発に熱心だ。マルチパスウェイはBEVに依存しすぎない戦略ではあるが、BEVも重要な柱のひとつであることにはちがいない。結局のところ、世界中がマルチパスウェイで争うことになるのか。
(文=佐野弘宗/写真=トヨタ自動車、ダイムラー、日本自動車工業会、本田技研工業、ルノー/編集=櫻井健一)
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佐野 弘宗
自動車ライター。自動車専門誌の編集を経て独立。新型車の試乗はもちろん、自動車エンジニアや商品企画担当者への取材経験の豊富さにも定評がある。国内外を問わず多様なジャンルのクルマに精通するが、個人的な嗜好は完全にフランス車偏重。
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