歴代ロータスF1が激走! 「ジャパン・ロータスデイ2012」
2012.11.07 画像・写真2012年11月3日、静岡県小山町の富士スピードウェイで「ジャパン・ロータスデイ2012」が開かれた。これはロータスのインポーターである「エルシーアイ」が企画・実施するロータス愛好家のための公式イベントで、3回目となる今回は、全国からおよそ600台の新旧ロータスと1500人のオーナーおよびファンが集まった。プログラムは当然ながら走りが中心で、メインコースでは朝8時開始のスポーツ走行から夕方5時終了のパレードランまで、丸一日ロータスが走りっぱなし。中でも今回最大の呼び物は、F1をはじめとする往年のレーシングマシンのサービスを筆頭にさまざまな活動を行っている「クラシック・チーム・ロータス」の日本正規代理店「プラネックスコミュニケーションズ」の協力による、「ヒストリックF1スペシャルラン」。なんと9台もの歴代ロータスF1が同時に走行するという、前代未聞の超スペシャルなプログラムである。さらにこれに合わせてロータスの創始者である故コーリン・チャプマンの長男にして、「クラシック・チーム・ロータス」代表を務めるクライブ・チャプマンも来日するなど、ロータス・ファンにとってはこたえられない一日となった。エキサイティングな雰囲気に包まれた会場から、印象的なマシンとシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

富士スピードウェイのパドックを埋めた、約600台の新旧ロータスの一部。
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富士スピードウェイのパドックを埋めた、約600台の新旧ロータスの一部。
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コンペティション風のモディファイが施された「ヨーロッパ」の一団。右端の車両は、見た目はヨーロッパ(タイプ46)とほぼ同じだが、リアサスペンションが変更され、ハイチューンされた1.6リッターのロータス・ツインカムを積んだコンペティションモデルの「47」である。
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8台の「2イレブン」と9台の「エリーゼ」が混走する「ロータス・カップ」決勝で、終始トップ争いを演じていた2台の「2イレブン」。どこかで見覚えがあると思ったら、マシンもドライバーも、そしてバトルの展開も昨年の同レースとまったく同じだった。優勝したのは前を走るカーナンバー1で、ステアリングを握るのは現役GT300ドライバーの加藤寛規選手。
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3台の「2イレブン」による3位争いも激しかった。最終的に3位に入賞したのは、先頭にいるカーナンバー5。ドライバーはモータージャーナリストとしても知られる桂伸一氏。
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「エリーゼ」のなかでブッちぎりで速く、優勝したカーナンバー24。「2イレブン」を含めた総合でも6位だった。
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サーキット走行は参加希望者が多く、体験走行からスポーツ走行まで計9クラスも設けられた。これはスポーツ走行の「ヒストリック」クラスから、1960年「セブン S1」。現在もケータハムをはじめとするメイクによって発展型の製造が続けられている「セブン」の原点となるモデルである。
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1959年「エリート S1」。世界で初めてFRPモノコック構造を採用した、ロータス初のクローズドボディーを持つ量産スポーツカーだった初代「エリート」。エンジンは後にロータスF1のパワーユニットとしても名が知られるようになる「コベントリー・クライマックス」社製の1.2リッター直4SOHC。
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ロータス好きの間では「26R」のタイプ名で呼ばれる1964年「ロータス・レーシング・エラン」。標準でも600kgちょっとだった「エラン」のボディーをさらに軽量化してサスペンションを固め、ハイチューンされた1.6リッターのロータス・ツインカムを積む。
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1963年「コーティナ・ロータスMk1 Sr1」。平凡なファミリーサルーンだった英国フォードの「コーティナ」をベースにサスペンションを改め、「エラン」と同じ1.6リッターのロータス・ツインカムとクロスレシオのギアボックスを積んだスポーツサルーン。この個体は新車当時からの「品5」のシングルナンバーの付いた超希少車。
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1963年「ロータス23B」。同年に開かれ、日本の近代四輪レースの幕開けを告げた第1回日本グランプリで、たった1.1リッター〜1.6リッターながら、何倍も大きな排気量のエンジンをフロントに積むフェラーリやアストン・マーティン、ジャガーなどの市販スポーツカーを抑えて1〜3位を独占、日本人を驚かせたミドシップのレーシングスポーツ。
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F1の世界にスポンサーカラーを導入したロータスの、最初のスポンサーだったタバコメーカーのゴールドリーフ・カラーをまとった1967年「47」。前述したように「ヨーロッパ」をベースとするグループ4のコンペティションモデルである。
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1978年「エスプリ S2」。ジウジアーロの手になるシャープなウェッジシェイプのボディーが魅力的なミドシップスポーツ。エンジンはヴォクスホール(GMの英国子会社で、独オペルの兄弟ブランド)用をベースにした2リッター直4DOHC16バルブを積む。
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1998年「エスプリV8 GT」。87年にロータスの社内デザインに衣替えした2代目「エスプリ」に96年に追加されたモデルで、350psを発生する3.5リッターV8ツインターボエンジンを搭載。見た目はもちろん、性能的にも価格的にも(日本に導入された豪華版のSEで1000万円以上)、いわゆるスーパーカーの領域に入るモデルである。
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F2、F3、FJなどF1を除く往年の葉巻型フォーミュラカー11台が参加した「ヒストリック・フォーミュラ」。グリーンとイエローのワークスカラーに塗られた1967年「41C」をはじめ、続々とコースインしていく。
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「ヒストリック・フォーミュラ」に参加した、ロータス・ツインカムを積んだ1966年「ブラバムBT21」。つまり車体はロータスではないのだが、映画『男と女』における仏モンレリーのテストコースでのシーンに、「GT40」や「マスタング」とともに登場するフォード・フランスのマシンを模したカラーリングが印象的だった。
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1967年の「49」から89年の「101」まで、10台のロータスF1が並んだピット。太っ腹なことにギャラリーは出入り自由で、貴重なマシンを至近距離から子細に眺めることができた。
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10台のなかで唯一デモランを行わず、展示のみだった1967年「49」。軽量コンパクトでハイパワー、剛性も高くメンテナンス性にも優れ、67年から83年までに155勝というとてつもない記録を残した、F1史上に輝く名機である「フォード・コスワースDFV」を搭載。車体、エンジンともに初戦だった67年オランダGPで、ジム・クラークのドライブによりデビューウィンを飾った。この個体は1968年の開幕戦南アフリカGPで、ジム・クラークが自身25勝目、そして生涯最後となるF1優勝を挙げたメモリアルマシンという。
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デモランに向けて続々とコースインしていく、9台の歴代ロータスF1。これは1977年「78」。サイドポンツーンをウイング状としてグラウンドエフェクト(ダウンフォース)を得る、いわゆるウイングカーの先駆。この個体は真っ赤なインペリアル・タバコのカラーに塗られ、77年にここ富士で開かれたF1日本グランプリを走ったヒストリーを持つ。
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ゴールドリーフ・カラーに塗られた1970年「72C」。ウェッジシェイプのボディーにサイドラジエター、インボードブレーキなど数々の新機軸を導入したマシンで、同年のアメリカGPで3位に入賞した個体という。
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1973年「72E」。前出の「72C」の発展型で、71年に「72D」として製作され、72年に「72E」へとアップデート。そして73年シーズンにロニー・ピーターソンのドライブでフランス、オーストリア、イタリア、そしてアメリカGPで優勝したという輝かしいヒストリーを持つ個体である。
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1977年「78」。前出の78のシャシーナンバー違いだが、こちらはエースドライバーだったマリオ・アンドレッティのドライブでアメリカ西、スペイン、フランス、イタリアで4勝を挙げ、翌78年の開幕戦アルゼンチンでも優勝という、これまたすばらしいヒストリーを誇る個体。
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1979年「79B」。「78」で導入したグラウンドエフェクトをさらに発展させ、78年シーズン半ばから投入されたマシンで、アンドレッティ&ピーターソンのコンビで6勝を挙げ、ドライバーズ(アンドレッティ)とコンストラクターズのダブルタイトル獲得に貢献した。グリーンがベースのマルティーニ・カラーに塗られたこの個体は、79年の南アフリカおよびアメリカGPで4位に入賞している。
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1981年シーズン用に開発されたものの、画期的なアイデアだったツインシャシーがレギュレーションに違反とされ、一度も実戦を走らなかった「88」。ツインシャシーとは、通常のシャシー(セカンダリーシャシー)と、グラウンドエフェクトを発生させるボディーカウル(プライマリーシャシー)を分離し、双方をスプリングダンパーを介してマウントした構造である。しかし、こうして真横から見るとコクピットがものすごく前寄りであることがわかる。
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1985年「97T」。ルノーV6ターボエンジンを搭載、この年からチーム・ロータスに加入したアイルトン・セナが全16戦中7度のポールポジションを獲得と、予選では圧倒的な速さを発揮したマシン。ちなみに決勝ではセナがポルトガルとベルギー、僚友のエリオ・デ・アンジェリスがサンマリノGPで勝ち、計3勝を挙げている。これはモナコGPでデ・アンジェリスが3位入賞した個体という。
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ネルソン・ピケと中嶋悟が1989年シーズンを戦ったキャメル・カラーの「101」のランデブー走行。規定によりこの年からエンジンはNAの3.5リッターのみとなったが、“ホンダパワー”を失い、代わりに搭載したジャッドV8が非力で、どちらも最高位は4位にとどまった。前を行くカーナンバー12は中嶋のレースカーで、後ろの11はピケがカナダで4位入賞した個体という。