新旧アバルト大集合! 「第3回アバルト・デイズ」開催
2012.04.24 画像・写真2012年4月21日、22日、静岡県沼津市のリゾート施設「ニューウェルサンピア沼津」およびその周辺で「第3回アバルト・デイズ」が開かれた。これは新旧アバルト車とその愛好家が集うワンメイクイベントで、初日は伊豆・箱根方面に約200kmのツーリングを行い、2日目は施設内の芝生広場におよそ50台のアバルト車が展示された。参加車両には1950年代生まれから現行モデルまで半世紀以上の幅があったが、会場内ではごく自然に融合しているのが、初回からこのイベントの特徴である。メイクによっては、同じブランドを冠していても新旧モデルの愛好家の間に微妙な空気が流れたりすることもあるのだが、このイベントに関してはその手の心配は無用。「時代やモデルにかかわらず、アバルト好きはみんな仲間」という明るくフレンドリーな雰囲気が、取材する側にとっても心地よかった。ヒリヒリするほどホットなモデルがそろいながらも、あくまで和やかなムードが漂っていた会場から、リポーターの印象に残ったモデルを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

ニューウェルサンピア沼津の芝生広場に並んだ参加車両。
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ニューウェルサンピア沼津の芝生広場に並んだ参加車両。
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1963年「フィアット・アバルト1000ビアルベーロ」。当時のインポーターだった山田輪盛館によって正規輸入されたモデル。65年に船橋サーキットで開かれた、浮谷東次郎の「トヨタ・スポーツ800」と生沢徹の「ホンダS600」の名勝負が語り継がれる「全日本自動車クラブ選手権レース大会」にも出走したという、文句なしのヒストリーを持つ。ちなみにそのレースでは、トップを快走するもエンジントラブルでリタイアした。「ビアルベーロ」とはツインカムの意味で、その名のとおり、1リッター直4DOHCエンジンを積む。
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1959年「フィアット・アバルト850スコルピオーネ」。ズバリ「サソリ」を車名に冠するが、レーシングカーではなく小粋なツーリングクーペ。ボディーのスタイリングはミケロッティ、製作はアレマーノで、同じコンビの手になる「日野コンテッサ900スプリント」(63年の東京モーターショーに出展されたショーカー)とよく似ている。
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1962年「フィアット・アバルト・モノミッレ」。丸っこいお尻がかわいらしい総アルミ製のクーペボディーはアバルトの自社デザインで、カロッツェリア・ベッカリスが製作。エンジンはDOHCではなく、直4OHV1リッターのシングルキャブユニットを積む。エンジンフード上のエアスクープはエンジン冷却に確かな効果があり、冬季は閉めていないとオーバークールになってしまうという。
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1964年「アバルト・シムカ1300」。戦前にフィアットのライセンス生産から始まったフランスの「シムカ」。61年に登場した「シムカ1000」は、当時の大株主だったフィアットの影響が濃いリアエンジンのセダンだった。「アバルト・シムカ1300」は、それをベースにしたレーシングスポーツで、63〜65年のマニュファクチャラーズ選手権のGTIクラス(1.3リッター以下)を3連覇した成功作である。
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1960年「フィアット・アバルト750スパイダー・ザガート」。珍しいザガート製のオープンボディーを持ったスパイダーで、オーナー氏によれば新車時からアメリカにあったクルマだろうとのこと。古いアバルトのオープンというと、ペラペラの申し訳程度のソフトトップしか備えていないように思えるが、シート後ろのラゲッジスペースの背後から立派な折り畳み式のソフトトップが出現する。その優れた格納方法には、ちょっと感動した。
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1955年「フィアット・アバルト1100 207A」。独自のシャシーに、1.1リッター直4OHVエンジンなど「フィアット1100」のメカニカルコンポーネンツを流用したバルケッタ。カロッツェリア・ボアーノの手になるボディーはレトロフューチャーな雰囲気で、オーナー氏によれば子供、特に幼稚園児のウケがバツグンとのこと。
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上斜め後方から見た「フィアット・アバルト1100 207A」。60年近く前に作られたとは思えないほど斬新で、わかりやすいカッコよさをたたえている。「マッハ号」にも通じるその姿が、子供にアピールするのもわかる気がする。
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まるで新車のように美しい「フィアット・アバルト695SSベルリーナ」。空冷2気筒OHVエンジンを695ccまでスープアップした“スーパー・チンクエチェント”である。595ccの「595SS」も存在した。
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2台並んだ「フィアット・アバルト1000TCRベルリーナ・コルサ」。1970〜71年に作られた、フィアット600ベースのツーリングカーレース用マシンの最終発展型で、1リッターエンジンはOHVのまま100ps以上、すなわちリッターあたり100ps超までハイチューンされている。
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「フィアット124スパイダー」をベースに、1972年にラリー用ホモロゲーションモデルとして登場した「フィアット・アバルト124ラリー」。軽量化したボディーにスープアップした1.8リッター直4DOHCエンジンを搭載。リアサスペンションはノーマルのリジッドから独立式に変更され、LSDも備えていた。72年から75年まで、4年連続でWRCメイクス部門2位を獲得している。
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グループ内の「ランチア・ストラトス」の後を受けて1976年に登場した、ラリー用ホモロゲーションモデルの「フィアット131アバルト・ラリー」。大きく張り出したオーバーフェンダーとエアロパーツで武装した2ドアボディーに、2リッター直4DOHC16バルブエンジンを搭載。「124ラリー」と同様に、標準では固定軸のリアサスペンションを独立式に替えるなどして、足まわりも強化。77、78、80年と、WRCメイクスタイトルに3度輝いた。
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1993年「フィアット・チンクエチェント・トロフェオ」。正規輸入されなかったために日本での知名度は低い「チンクエチェント」をベースに、アバルトが限定生産したラリー用コンペティションモデル。903cc直4OHVエンジンは基本的にスポーティーモデルの「チンクエチェント・スポルティング」と同じだが、専用のECUがおごられ、エキマニやマフラーなど排気系もモディファイされている。
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2009年「アバルト・グランデプント」。一見したところノーマルと変わりないが、ポイントはアバルトグレーのボディーカラー。正規では日本未導入の、200台限定の本国仕様という。
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気合十分の「アバルト500」。「ロータス・エリーゼ/エキシージ」および「フィアット/アバルト500」用アフターパーツをプロデュースする「MT-DRACO」のデモカー的なモデルで、オリジナルの鍛造アルミホイールに注目。往年のカンパニョーロ103Eに似たデザインは、「自分の欲しいものを、採算を度外視して作ってみた」というスタッフの言葉どおり、筆者を含めたオヤジ連中の心に刺さること間違いなし。
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ゲストとして華を添えた、先だって開通した新東名のPRカー「アランチア・アバルト500」とキャンペーンガール「バンビーナ・アランチア」。「アランチア」は、イタリア語でNEXCO中日本のコーポレートカラーである「オレンジ」を意味するという。「アランチア・アバルト500」は内装もオレンジとブラックのツートーンで仕上げられていた。
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こちらもゲストとしてやってきた「フィアット・アダルト」。軽自動車の耐久レース「K4GP」ではおなじみのマシンで、「日産ザウルスJr」のシャシーに「ホンダ・ビート」用の660ccエンジンを搭載、「1000TCRベルリーナ・コルサ」を模したボディーをかぶせている。サソリの代わりに女体をかたどったエンブレム(写真左上)の文字は「ABARTH&C.」ならぬ「ADULT&H.」、トレーラーをけん引するサービスカーも同じカラーリングと、徹底してシャレている。
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会場ではフィアット・オート・ジャパンの協力による、来場者を対象とした「アバルト500」と「アバルト695トリブートフェラーリ」の試乗会も実施され、好評を博していた。
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「アバルト695トリブートフェラーリ」を撮ろうと待ち構えていて、赤いクルマが来たのでシャッターを押したところ、「フィアット・アバルト850TCニュルブルクリンク」だった。「850TC」は「セイチェント」こと「フィアット600D」をスープアップしたモデルだが、1961年のニュルブルクリンク500kmでのクラス優勝を記念して追加された「850TCニュルブルクリンク」は、さらにチューンが高められている。
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「フィアット・アバルト850TCニュルブルクリンク」に続いて、帰路の渋滞を避けるべく早めに会場を後にした「アバルト・シムカ1300」がやってきた。熱気抜きのために開けられたエンジンフードの隙間からのぞくビアルベーロ(ツインカム)のヘッドに、冷却フィンの切られたオイルパンには後続車に見せつけるように「ABARTH」の文字。アバルトは後ろ姿も格別だ。