300台以上のヒストリックカーが集結! 第2回「熱海HISTORICA G.P.」開催。
2013.10.02 画像・写真2013年9月28日、29日の2日間、静岡県熱海市の長浜海浜公園をメイン会場として、今回で2回目となるヒストリックカーイベント「熱海HISTORICA G.P.」が開かれた。主催は旧車愛好家が中心となった熱海HISTORICA G.P.実行委員会だが、共催に熱海市観光協会、後援に熱海市や同商工会議所などが名を連ねる、なかなか力の入ったイベントである。参加資格は1986年までに製造された日本車および外国車で、今回は2つのテーマが設定された。ひとつは今年が第1回日本グランプリ開催から50年の節目となることから、同グランプリの参加車両と同型車。もうひとつは「Aから始まる熱海」にちなんで、ブランドがAに始まる歴代アルファ・ロメオである。絶好のイベント日和に恵まれ、青い空と海が間近に迫る第1会場の長浜海浜公園には、それらテーマカーを含め300台以上ものヒストリックカーが早朝から集結。車両展示およびゲストによるトークショーなどを実施した後、午後からは一部車両が第2会場である熱海銀座商店街に移動して展示、残りは市内ツーリング(パレード)を楽しんだ。29日には、山の斜面に作られたアカオハーブ&ローズガーデン内の特設コースで、“RED TAIL HILL CHALLENGER’S CUP”と題されたヒルクライムが行われた。会場から、リポーターの印象に残った車両とシーンを紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

1974年「トライアンフ・ドロマイト・スプリント」。そもそも65年にFFサルーンとして誕生した「トライアンフ1300」のボディーを流用して、72年に登場したFRサルーンが「ドロマイト」。「スプリント」はSOHC 16バルブ2リッターエンジンを積んだ高性能版で、BMWイーターを標榜(ひょうぼう)した。日本には正規輸入されておらず、非常に珍しい。
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1974年「トライアンフ・ドロマイト・スプリント」。そもそも65年にFFサルーンとして誕生した「トライアンフ1300」のボディーを流用して、72年に登場したFRサルーンが「ドロマイト」。「スプリント」はSOHC 16バルブ2リッターエンジンを積んだ高性能版で、BMWイーターを標榜(ひょうぼう)した。日本には正規輸入されておらず、非常に珍しい。
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1968年「フェアソープTX-S」。フェアソープはイギリスに数多い少量生産のスペシャリストで、この「TX-S」はオリジナルのリアサスペンションを除き、「トライアンフGT6」用のシャシーやパワートレイン(エンジンは直6 OHV 2リッター)を流用している。細かい仕様違いで数台が作られたが、これとまったく同じボディーは2台と存在しないという超希少車。
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1965年「ジャガーMk10」。61年に登場した「Mk10」は、全長5.1m、全幅1.8mを超える大柄なボディーに、「Eタイプ」譲りの直6 DOHC 3.8リッターエンジンや4輪独立懸架を備えた60年代ジャガーのフラッグシップサルーン。これは当時のインポーターだった新東洋企業が正規輸入した個体で、新車以来の「静岡3」ナンバーをはじめ、ほぼオリジナルの状態が保たれている。
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1968年「メルセデス・ベンツ280SL」。これも新車以来の「品川3」のシングルナンバー付きのフルオリジナルで、しかもワンオーナー車という極上の個体。オーナーによれば、68年製造の「280SL」の正規輸入車は7台で、右ハンドルはこれ1台のみ。初の右ハンドル仕様ということでインポーターだったウエスタン自動車(ヤナセの子会社)が型式認定を取得するのに時間がかかり、納車が遅れたといういわくつき。
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1967年「フォルクスワーゲン1300」。このイベントはエントリー台数も多かったが、希少なシングルナンバー車の割合も高かった。新車以来の「静岡5」ナンバーの付いたビートルはこれまたワンオーナー車で、オーナーが飾った46年の時間の経過を物語る写真の数々にギャラリーは見入っていた。
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1959年「BMW600」。「BMWイセッタ」をベースに、全長2.9mまで大型化して4人乗りとしたボディーのリアに、二輪から流用した空冷水平対向2気筒OHV 582ccエンジンを搭載。後席の乗降は右側のみに設けられたドアから行う。およそ3年間の生産台数は3万5000台に満たなかったため、今では珍しい存在である。
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第1回日本グランプリの出場車両および同型車というテーマに沿ったエントリー車両のうち、唯一グランプリに出走した個体が、この1961年「フィアット1500S」。「国内スポーツカーレース 1300~2500cc」で、これを駆って6位に入賞したオーナーが、今日までずっと所有しているワンオーナー車だ。「オスカ」が設計した直4 DOHC 1.5リッターエンジンを積んでいる。
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1969年「マセラティ・ギブリ・スパイダー」。ジウジアーロの傑作のひとつに数えられる初代「ギブリ」は、66年「クーペ」がデビュー、「スパイダー」は68年に追加された。この個体はクーペからコンバートされたそうだが、その仕事ぶりはパーフェクト。美しいシャンパンゴールドのボディーのフロントミドに4.7リッターのV8 DOHCを積む。
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数カ月前にイタリアから入れたばかりで、今回がイベントデビューという1972年「ランボルギーニ・エスパーダ」。マルチェロ・ガンディーニによるフル4シーターボディーのフロントに、「ミウラ」と同じV12 DOHC 4リッターを積んだ高速グランツーリズモ。オーナーいわく後席の居住性も悪くなく、ガラスハッチのリアウィンドウを開ければ貨物スペースにも不満はないとのこと。
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スペシャルゲストであるモータージャーナリスト浅岡重輝氏のトークショー。いすゞがライセンス生産していた「ヒルマン・ミンクス」で、第1回日本グランプリにレースデビューして以来、いすゞがレース活動を中止する1973年までワークスドライバーとして活躍した。「50年前と比べて、もっとも進化が顕著なのはタイヤじゃないかな」などと語っていた。
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もうひとつのテーマ展示は熱海の「A」から始まるメイクということで、アルファ・ロメオの新旧モデル。青く澄んだ初秋の空と紺碧(こんぺき)の海に赤いボディーカラーがすばらしく映える。
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1965年「アルファ・ロメオ・グランスポルト・クアトロルオーテ」。イタリアの自動車専門誌“QUATRORUOTE”の企画により、「ジュリアti」のシャシーに戦前の名車「6C1750」を模したザガート製ボディーを載せたモデル。この個体は新車で日本に輸入された2台の右ハンドル車のうちの1台で、先に紹介した「フィアット1500S」と同じオーナーが所有するワンオーナー車。
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午後2時に第1会場である長浜海浜公園から第2会場である熱海銀座商店街に向けて、55台のエントリー車両が出発。園内の海沿いの“花道”を行くこれは、1963年「ジャガーEタイプ Sr.1」。「54」のコンペティションナンバーが描かれた黄色と青のデカールは、第1回日本グランプリで使われたものを模したデザインである。
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女性オーナーがドライブしていた1959年「シボレー・コルベット」。アメリカ初のスポーツカーとして53年にデビューした、「C1」こと初代「コルベット」である。57年まではヘッドライトがシングルだったが、58年からこのデュアルになった。4.6リッターのV8 OHVエンジンを積む。
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1960年「ダットサン・フェアレディ」(型式名SPL212)。「フェアレディ」の名を最初に冠したモデルで、58年の豪州ラリーでクラス優勝した「ダットサン1000」(210)をベースにした輸出専用車。初代「ブルーバード」(310)と同じ直4 OHV 1.2リッターエンジンを積む。赤と白の塗り分けこそお隣さんとよく似ているが、成り立ちには当時の国力の差が如実に表われている。
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1974年「ディーノ246GTSビッザリーニ・スペシャル」。フェラーリやランボルギーニでマシン設計に携わり、自身の名を冠したスポーツカーもリリースしているジョット・ビッザリーニが、「ディーノ246GTS」をベースにワンオフで仕立てたというモデル。
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マルーンのボディーに黒のルーフというシックな塗り分けがよく似合う、美しく仕上げられた1967年「シトロエンDS19」。60年近く前、初代「クラウン」と同じ55年にデビューしたとは思えない、今見ても前衛的な造形は驚異である。
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これも新車のようにきれいな1976年「アルファ・ロメオ・アルフェッタ」。72年に登場した「アルフェッタ」は、ギアボックスをデフの直前に置くトランスアクスルとド・ディオン・リアアクスル、インボードタイプのリアブレーキといった、量産セダンとしては異例に高度なメカニズムがおごられていた。このレイアウトは2代目「ジュリエッタ」、「75」およびそれをベースにした「SZ/RZ」(ES30)などにも踏襲された。
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1966年「プリンス・スカイライン2000GT-B」。「スカイライン1500」のノーズを延長し、「グロリア・スーパー6」用の直6 SOHC 2リッターエンジンを押し込んだ、64年の第2回日本グランプリ出場用のホモロゲーションモデルだった「スカイラインGT」を量産化した初代「スカG」。「千5」のシングルナンバー付きのこの個体は、第2回日本グランプリ仕様を模している。
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これも「愛5」のシングルナンバーの付いた1962年「日野コンテッサ・デラックス」。53年から「ルノー4CV」のライセンス生産を行っていた日野が、その経験を元に61年にリリースした初のオリジナル乗用車で、直4 OHV 893ccエンジンを「4CV」と同様にリアに搭載。コンテッサは第1回日本グランプリのツーリングカーレース(700~1000cc)で優勝している。
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熱海銀座商店街には55台のエントリー車両が2時間半にわたって展示された。その後はギャラリーに見送られながら、再びパレード形式で市内ツーリングに向けて出発、ホテルニューアカオ駐車場でチェッカードフラッグを受けた。
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熱海銀座商店街にて。「あら、小さくてかわいいわね」とばかりに、1959年「フィアット・アバルト750FZ」といっしょに、お座敷前のお姐(ねえ)さん方もスマホで写真を撮りっこ。
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29日の早朝には、ヒルクライムが行われた。コースは山の斜面に作られたアカオハーブ&ローズガーデン内の全長1km弱のワインディングロードで、19台のエントリー車両は2回タイムアタックし、2本のタイム差の少なさを競った。これは5リッターV8エンジンの、あり余るトルクを巧みにコントロールして上っていく1969年「フォード・マスタングBOSS302」。
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ヒルクライムの参加車両中、唯一の日本車だった1967年「日産シルビア」。直4 OHV 1.6リッターエンジンを積んだ「フェアレディ1600」のシャシーに、セミハンドメイドされた美しいボディーを載せた日産初の高級パーソナルカーである。
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1933年「MG Cタイプ・モンレリー・ミジェット」。戦前のMGのレコードブレーカー(速度記録車)風のマスクを付けた「Cタイプ・ミジェット」。唯一の戦前車、わずか750ccのエンジンながら元気に駆け登っていた。
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DOHC48バルブV12の快音を響かせながら上っていく1986年「ランボルギーニ・カウンタック5000QV」。狭いワインディングコースに似つかわしくない巨体を操るドライバーの腕はたいしたものである。
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ヒルクライムは、上位9台の2本のタイム差が1秒以内というハイレベルな戦いとなった。これは3位に入賞した1974年「フィアット・アバルト124ラリー」で、タイム差はコンマ302秒。
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非常に珍しい1979年「イノチェンティ・ミニ120SL」。オーナーは同型の高性能版である「ミニ・デトマゾ」も所有しているそうで、そちらでエントリーしていたが、修理が間に合わなかったためにこれで参加したとのこと。しかしタイム差はコンマ217秒で、見事2位入賞。
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2回目となる“RED TAIL HILL CHALLENGER’S CUP”のウィナーは、この1979年「フィアットX1/9」。2本のタイム差はわずかコンマ179秒という驚異的な記録だった。
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ヒルクライム終了後、フィニッシュ地点である山頂にて、参加全ドライバーと車両がそろって記念撮影。