「第9回クラシックカーフェスティバル in 桐生」の会場から
2014.11.06 画像・写真2014年11月2日、群馬県桐生市にある群馬大学理工学部 桐生キャンパスにおいて「第9回クラシックカーフェスティバル in 桐生」が開かれた。会場が大学のキャンパスという珍しい旧車イベントだが、9回目を迎えた今では、開催規模、内容ともに全国的に見ても有数のイベントとなっている。1975年以前に生産された車両という参加規定に沿って集まったクラシックカーは、特別展示車両や実行委員の車両を合わせると300台近く。珍しいモデルも少なくなく、これだけでも立派なものだが、数年前から企画されている特別展示車両がまたすごい。前回は「ホンダコレクションホール」から門外不出の第1期「ホンダF1」が2台もやってきて驚かされたが、今回も衝撃度ではそれらに劣らない「幻のクルマ」が2台展示された。1台は桐生の隣町である群馬県太田市にある富士重工業が所有する、これまた門外不出で、社内においても戸外に出すことはめったにないという試作車の「スバルP-1」。もう1台は残存台数が極めて少ない、戦前の国産車である1936年「オオタOC型フェートン」。どちらも今回がイベントデビューで、2度目はないかもしれないという貴重な機会だった。そうしたマニアをうならせる展示のいっぽうでは、子供向けのプログラムあり、フォークのライブあり、さらに20もの飲食店の移動販売車や屋台が軒を並べるフードコートもあるという、子供からお年寄りまで楽しめる地域の祭りでもあるのだ。それゆえに、およそ2万人という来場者が訪れる会場内の、人口密度の高さは、JCCAニューイヤーミーティングと同等かそれ以上で、取材者にとっては有数の“写真の撮りにくいイベント”でもある。そんな会場から、リポーターの印象に残ったモデルを中心に紹介しよう。(文と写真=沼田 亨)

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開会式の終了後、午前10時に「ラリー」と呼ばれる赤城山周辺を走るツーリングがスタート。エントリー車両のうち70台が参加し、30秒間隔で出発した。これは1969年「マツダ・コスモスポーツ」。世界初の2ローター・ロータリーエンジン搭載車であるコスモスポーツの後期型である。
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ギャラリーから盛大な見送りを受ける「ジャガーXK120フィクストヘッドクーペ」。1949年にデビューし、スポーツカーメーカーとしてのジャガーの名を確立した、オープン2座のXK120のクーペ版。3.4リッター直6 DOHCエンジンを搭載する。
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車齢90年近い「ブガッティT13」も参加し、無事完走した。ギャラリーの多くは、このドラム缶で作ったようなクルマが歴史に残る名車で、数千万円の価値があるなどとは知らないのではないかと思うが、みな笑顔で楽しんでいる。
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公道へと続く東門から出ていく「ホンダS600」。ここにもギャラリーが鈴なりである。
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会場周辺に設けられたギャラリー用の駐車場と会場を結ぶシャトルバスも、1960年代に製造された、いすゞのボンネットバス。やけに車高が高いが、4WDトラックのシャシーにバスボディーを架装した仕様だと思う。
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ラリーがスタートする東門からメイン会場に戻ってきたら、特別展示車両である「スバルP-1」と「オオタOC型フェートン」の周囲が大変なことになっていた。スバルP-1はルーフが見えるが、隣にある小さなオオタOC型フェートンは、人垣に隠れてまったく見えない。スバルP-1がエンジン始動のデモンストレーションを行うところをひと目見ようとギャラリーが押し寄せたわけだが、運転席にいる富士重工業のスタッフは迫る人波に戸惑いを覚えたのではないだろうか。
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「スバルP-1」、またの名を「スバル1500」という、1954年から試作車が20台だけ作られた富士重工業初の乗用車。全長4235mm、全幅1670mm、全高1520mm、ホイールベース2535mmというボディーに1.5リッター直4エンジンを積んだ、当時の小型車(5ナンバー)規格いっぱいのモデルである。つまり初代「クラウン」や「スカイライン」と同じ車格のモデルなのだが、両車より早く登場したわけだ。とはいえスバルの作だけあって、国産初のモノコックボディーや前輪独立懸架など進歩的な設計だった。運輸省(当時)による性能テストでもトップの成績を収めたが、諸事情により生産化には至らなかった。これは閉会後、ギャラリーが帰った後に撮ったショットである。
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「スバルP-1」の後ろ姿。リアウィンドウは当時としては大きく、フロントのウインドシールドが1枚ガラスなのも新しかった(1955年に登場した初代「クラウンRS」は2分割式)。テールレンズがテール/ストップ用のレッドとウインカー用のアンバーに分かれているのも進んでいた。他車はみな赤一色のレンズで、テール/ストップ/ウインカーを兼用していたのである。ちなみに作られた20台のうち、14台はナンバーを取得。8台は社用車として使用され、残り6台は群馬県内のタクシー会社に渡り、営業車として使われた。現存はこれ1台のみという。
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ウエストラインのモールから上がパカッと開く構造のボンネットを開けた図。前輪懸架はダブルウィッシュボーン/コイルの独立だが、ショックアブソーバーがストラットのようにサスペンション上部にあるため、ボンネットの下にストラットタワーのような隆起がある。またフードのヒンジにはゼンマイのようなスプリングが備わり、ダンパー付きのようにステーなしで開けた状態で固定される。現在は経年劣化のため、安全対策としてステーで支えているが。
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「スバルP-1」のエンジン。20台の試作車のうち、最初の11台は富士重工業とルーツを同じくする富士精密工業(後のプリンス)製の1.5リッター直4 OHV、つまりは初代「スカイライン」と基本的に同じエンジンを積んでいた。この個体を含めた残りの9台は大宮富士工業製というスバル・オリジナルのエンジンを積む。直4 OHV 1485ccから最高出力55ps/4000rpm、最大トルク11.0kgm/2700rpmを発生する。
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「スバルP-1」の運転席。前席3人掛けベンチシートの6人乗りで、変速機はコラムセレクトの4段MT。ステアリングホイール中央のホーンボタンには、スバリストにはおなじみの富士重工業の「フ」印が。
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1936年「オオタOC型フェートン」。2010年に日本自動車殿堂入りした太田祐雄が1912年に創業したオオタは、規模は小さいながら戦前はダットサンをしのぐほどの性能を持つ小型車を作っていたメーカー。戦後も55年に終焉(しゅうえん)を迎えるまで小型乗用車やトラックを製造したが、残存車両は極めて少ない。その意味で非常に貴重なこの個体は、現オーナーが67年に都内の解体屋で入手し、いったん修復したものの、その後40年以上不動状態で保管されていた。2年前からレストアを開始し、ここまで仕上げたという。
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「オオタOC型フェートン」の運転席。楕円(だえん)形のメーターのデザインがシャレている。足元のペダル配置を見ると、アクセルペダルがずいぶん手前にある。それでもアクセルペダルが中央(通常のブレーキペダルの位置)にある同時代のダットサンよりは、素人にも運転しやすいかもしれない(あくまで比較の問題だが)。
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「オオタOC型フェートン」のエンジンは、直4サイドバルブの750cc。同時代のダットサンもほぼ同じ大きさだが、これは当時の法規で750cc以下の小型自動車には運転免許が不要だったためである。オオタの性能には定評があり、戦前に多摩川スピードウェイで開かれたレースでも活躍した。そのDNAは今日まで受け継がれており、太田祐雄の子孫が経営するタマチ工業は、トヨタのWECマシンをはじめとするレーシングエンジン用部品製造の国内トップメーカーである。
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2008年の第3回から恒例となっているプログラム「子供のお絵描き大会」で、「オオタOC型フェートン」を描く女の子。特徴をうまくとらえている。
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これも特別展示車両である1933年「アルファ・ロメオ8C 2300」。2.3リッターの直列8気筒DOHCスーパーチャージドエンジンを搭載、ルマンやミッレミリアなどのロードレースで活躍したスーパースポーツ。隣は先に紹介した「ブガッティT13」。
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もう一台の特別展示車両である1964年「フェラーリ275GTB」。1気筒あたり275cc×12で3.3リッターのV12 SOHCエンジンを積み、デフの直前に5段ギアボックスを置くトランスアクスル方式を採用した、当時のフェラーリの最高性能モデル。隣には黄色と赤の「ディーノ246GTB」が。
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戦後の「アルファ・ロメオ」でもっとも成功したといわれる「ジュリア」シリーズが、クーペ、ベルリーナ(セダン)合わせて12台並んでいた。
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構内の小道に沿って、「フィアット・アバルト595SS」を先頭に4台並んだヌオーバ・チンクエチェント(フィアット500)。
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これも特別展示車両である、超希少な1957年「フェラーリ250TR」……なのだが、スケールは1/1ではなく1/6。透明部品やホイールに張るワイヤーなどを除くほとんどの部分にバルサ材を使い、新旧フェラーリのモデルをスクラッチビルドしている群馬県高崎市在住のモデラー、山田健二さんの作品。10台以上の作品が展示されていた。
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「ロータスMk6」。現在もケータハムなどが販売している「スーパーセブン」のオリジナルである「ロータス・セブン」のひとつ前の世代だから「Mk6」。実はこれがロータス初の市販車で、1953年から56年にかけておよそ100台が作られた。
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オリジナル「ミニ」に対抗して1963年に登場した大衆車である「ヒルマン・インプ」が2台並んでいた。ミニとは対照的にコルベア・ルックをまとったボディーのリアに、50~60年代にF1エンジンで名をはせたコベントリー・クライマックス設計の875cc直4 SOHCエンジンを搭載している。
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5台並んだ初代「日産シルビア」。オープン2座スポーツである「ダットサン・フェアレディ1600」のシャシーにハンドメイドされた2座クーペボディーを載せた高級パーソナルカーで、1965年にデビュー。個人的には、日本車史上における美しいクルマのトップ5に入る。
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1966年「トヨペット・スタウト1900」。現在も存在するキャブオーバートラックの「ダイナ」と基本構造を共有していたトヨタの小型ボンネットトラック。初代/2代目「クラウン」などと共通の1.9リッター直4 OHVエンジンを積み、最大積載量は1750kg。だいぶ前に国内では消滅してしまった小型ボンネットトラックだが、当時はこのクラスに限ってもトヨタ、日産をはじめプリンス、三菱、いすゞ、ダイハツなどがラインナップしていた。
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試作のみで終わった前出の「スバルP-1」から10年以上を経た1966年にデビューした富士重工業初の市販小型車が「スバル1000」。これは翌67年に追加された高性能版の「スポーツセダン」だが、ボンネットの開き方がP-1と同じであることに注目。
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閉会後に退場するエントリー車両が、共催に名を連ねている地元の新聞社から配られた小旗を振るギャラリーが並んだ“花道”を、見送られながら進んでいく。これは1970年にデビューした「アルファ・ロメオ・モントリオール」。「ジュリア」系のシャシーにガンディーニが手がけた2+2ボディーを架装し、レーシングスポーツの「ティーポ33」用をデチューンした2.6リッターV8 DOHCエンジンを搭載。
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1969年「BMW 2000CS」。近代BMWの祖として61年に登場した「ノイエ・クラッセ」こと「1500」に始まる4ドアセダンをベースとするクーペで、少々アクの強いマスクを持つボディーに2リッター直4 SOHCエンジンを積む。今日の「6シリーズ クーペ」のルーツである。
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後輪がクローラ!? これは1967年に登場した軽トラック「ホンダTN360」にオプション設定されていた「スノーラ」を装着した状態なのだ。雪上走行時には前輪にスキーを履かせるのだが(どんな形状かは“スノーラ”で検索してください)、残念ながらオーナーはスキーは所有していない。よって「雪上走行は全然ダメです」とのこと。
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正門前の歩道橋まで小旗を振るギャラリーがいっぱい。見送られるのは「日産フェアレディZ432」。「スカイライン2000GT-R」用の2リッター直6 DOHC 24バルブエンジンを移植した、初代フェアレディZのトップグレード。
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往年のフランス車特有の、イエローバルブのヘッドライトをともし、ギャラリーに見送られながら目下、工事中の正門から出ていく1972年「シトロエン・アミ8」。