「三次試験場50周年マツダファンミーティング」の会場から(前編)
2015.09.24 画像・写真2015年9月20日、広島県三次市にあるマツダ株式会社三次自動車試験場において「三次試験場50周年マツダファンミーティング」が開かれた。会場となった三次試験場は、高速走行をはじめ自動車に要求される性能を総合的にテストする施設として、1965年に開設。全長4.3kmの“おむすび形”の高速周回路や全長1.8kmの水平直線路などを備えた、当時国内最大級のテストコースで、以来半世紀にわたってマツダ車の技術を磨き、育んできた。その三次試験場の開設50周年を祝うために、マツダ愛好家による実行委員会が企画・実施したのが、この里帰りミーティングである。シルバーウイークの2日目、絶好のイベント日和に恵まれた会場には、全国から1047台、1864名ものマツダファンが集結。会場内では歴代マツダ車の展示を筆頭に、高速周回路での高速走行体験や試験場内見学バスツアー、「マツダ787B」のエキシビション走行、そして参加車両によるパレードなどが行われた。前編では、会場から参加車両を中心にミーティングの様子を紹介しよう。(文=沼田 亨/写真=沼田 亨、マツダ)
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参加車両の会場入り風景。先頭は1972年「ファミリア・プレスト・ロータリーTSS」。2代目ファミリアの4ドアセダン・ボディーに10A型ロータリーエンジン(491cc×2)を積んだ高性能セダン。
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参加車両の会場入り風景。先頭は1972年「ファミリア・プレスト・ロータリーTSS」。2代目ファミリアの4ドアセダン・ボディーに10A型ロータリーエンジン(491cc×2)を積んだ高性能セダン。
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レストアされ新車のような輝きを放つ1964年「キャロル360 4ドアデラックス」。軽初だった4ドアセダン・ボディーのリアに総アルミ製OHVヘミヘッドの水冷4ストローク4気筒エンジンを積んだ高級軽乗用車。
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メイン会場内には、参加車両のなかからおよそ80台の歴代車が展示された。
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1964年「ファミリア 4ドアデラックス」。マツダ初の小型乗用車だった初代ファミリアの最初期型。「シボレー・コルベア」に倣った、当時の流行であるクロムのモールがウエストラインをぐるりと囲んだボディーに、総アルミ製OHVヘミヘッドの水冷4ストローク4気筒782ccエンジンを積む。
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1966年「ファミリア1000クーペ」。前出のセダンボディーを2ドアクーペに改め、985ccに拡大してSOHC化、ツインキャブ仕様としたエンジンを搭載。前輪ディスクブレーキやタコメーターなども備え、1リッター級としては高級なスペックを持つモデル。
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1973年「サバンナ・クーペGSⅡ」。12A型ロータリーエンジン(573cc×2)を積んだGTはイベントでも時折見かけるが、10A型(491cc×2)搭載モデルの残存車両は珍しい。しかもフルオリジナルのワンオーナー車で、純正オプションのレースのシートカバー付き!
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1975年「グランドファミリア・クーペ1600GFⅡ」。前出のロータリーエンジン搭載の初代「サバンナ」と基本的に同じボディーに、レシプロエンジンを積んだモデルがグランドファミリア。この個体もフルオリジナルのワンオーナー車、しかも珍しい3AT仕様。
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1975年「ルーチェ・ロータリーAPワゴンGRⅡ」。ジウジアーロ・デザインの初代からアメリカンなスタイリングへとガラリと変わった2代目ルーチェの、13B型ロータリーエンジン(654cc×2)を積んだワゴン。APとはAnti Pollution(反公害)の頭文字で、2代目ルーチェのロータリー車は日本初の低公害車だった。
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1982年「ファミリア 3ドア1500XG」。大ヒットして社会現象にまでなったのに、残存車両が極めて少ない“赤いファミリア”の、超希少なフルオリジナル車両。コンディションもすばらしい。ちなみにXGは電動サンルーフが標準装備だったが、この個体は装着していないレスオプション仕様という。
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1988年「ルーチェ 4ドアハードトップ」。ルックスから“広島ベンツ”の異名をとった5代目ルーチェ。エンジンは13Bロータリーターボをはじめ2リッター直4、3リッターV6などが積まれたが、この個体は2リッターV6ターボを搭載。
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1990年「サバンナRX-7」。13Bロータリーターボを積んだ型式名FC3Sこと2代目RX-7。この個体は走行26万km以上というワンオーナー車。
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1992年「ファミリアGT-R」。WRC(世界ラリー選手権)参戦を見据えて7代目ファミリアに加えられた、ファミリア史上最強のモデル。210psまでチューンされた直4 DOHC 16バルブ1.8リッターターボエンジンとフルタイム4WDを搭載。
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1993年「アンフィニMS-6」。バブル期の販売網5チャンネル時代の、 いわゆる“クロノス6兄弟”の5ドアハッチバックセダン。生産期間が約2年半と短命だったが、なかでもこの個体は1年3カ月しか販売されなかった2リッター直4スーパーチャージドディーゼル搭載車。
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これも販売期間2年4カ月と短命だった1994年「ファミリア・ネオ」。ネオ(NEO)のサブネームが与えられた8代目ファミリアの3ドアハッチバックである。リアビューは「メルセデス・ベンツCクラス」の「スポーツクーペ(C203)」に似ているが、デビューはこちらのほうが5年以上早い。
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1994年「ランティス・クーペ」。「ファミリア・ネオ」と同時代に、同じデザイン文法にのっとって作られたスタイリッシュな5ドアクーペ。2リッターV6エンジンを搭載。
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4台並んだ歴代「ロードスター」。右端の1993年「ユーノス・ロードスター(NA)」は、走行距離95万6000km以上!
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ロードスター(ND)の開発主査を務める山本修弘氏を聞き手にメインステージで行われた、ルマン参戦29回を数え“ミスター・ルマン”と呼ばれる寺田陽次郎氏のトークショー風景。寺田氏は、「『コスモスポーツ』のテスト走行中に、いきなりボンネットが開いた」話をはじめ、三次試験場における数々のエピソードを披露した。
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50周年記念として行われた“署名 on ガードレール”。高速周回路のガードレールに来場者が本名でサイン、ミーティング終了後にクリア塗装を施して周回路に設置されるという。
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来場者を対象とする、高速周回路での同乗体験や試験場内見学バスツアーも実施された。
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ステージ上から、1864名を数えた来場者の一部と記念撮影。