第21回:まさかの事態(後編)
2013.07.09 リーフタクシーの営業日誌ピンチの時はあの人に相談
左前輪がパンク。しかし応急修理キットは使用不能。
リーフタクシーの運転手(=矢貫 隆)は絶体絶命(大げさ)のピンチ、と思いきや、いやいや、運転手は少しも慌てることはなかった。
あの人に相談しよう……。
そう考えていたのだ。
「あの人」とは、オペレーターのお姉さんである。
リーフタクシーの担当になってほぼ1年。この1年の経験はだてじゃない。
リーフに装備されているカーナビはリーフ専用のもので、画面の右端に「オペレーター」の表示がある。そのすぐ下は「マップメニュー」、そのまた下は地図を縮小・拡大する「広域」「縮小」の表示。で、つい手がすべり、誤って、用もないのに「オペレーター」にタッチしたことが2度ほどあった。すると画面中央に「オペレーターにおつなぎします」の表示がでて、待つ間もなく女性の声が聞こえてくるのである。「はい。どうかなさいましたか」――と。
で、そのたびに運転手は思ったものだった。どこの何者かは謎だけれど、リーフを運転中に困った事態に陥ったら、きっと、このお姉さんが助けてくれるのだ、と。
あの人に相談しよう。応急修理キットの取説を手に、いったんはぼうぜんとした運転手だったけれど、この時点では「さすがはリーフだけのことはある」とか思った。
「どうかなさいましたか?」
オペレーターの表示にタッチすると、例によって、正体不明のお姉さんの声が聞こえてきた。
パンクしちゃったんですけど……。
謎のお姉さんの「応急修理セットがトランクルームに……」と始めた説明を制し、シガレットソケットが使えない事情を伝えると、お姉さんは言った。
「困りましたね」
そうなのだ。リーフタクシーの運転手は、困ったからこそお姉さんに相談していた。
お姉さん、こう続けた。
「では、お近くのリーフ販売店をお調べいたします。少しお待ちください」
待つこと1分弱。
「お待たせいたしました」
さすが、対応が早い。
お姉さんがしゃべりだした「直近の販売店は日産自動車販売、〇△×の」まで聞いて、運転手は、お姉さんが言おうとしていることのすべてを理解した。
「直近の日産自動車販売、〇△×店の者をそちらに派遣いたしました」
しかし、お姉さんが言った実際の言葉は違っていた。
「直近の日産自動車販売、〇△×店の電話番号をお知らせします」
えッ!?
それだけ?
運転手はがくぜんとし、ぼうぜんとした。期待が大きかっただけに、お姉さんに裏切られたように気にもなった。電話番号だけなら、リーフ専用カーナビを操作すれば簡単に直近のリーフ販売店を検索できる。運転手は、そんなことは百も承知だった。
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結局、頼りになるのは……
気を取り直した運転手。こうなっては教えられた電話番号だけが頼りとばかり、販売店にSOSの連絡を入れたわけである。その際の、サービススタッフの応対の要旨は以下のごとくだった。
「自分のところにエアコンプレッサーを動かす電源があるか否か不明。あれば持参。なければ自分のところでは対処できず。確認するから待ってて」
リーフユーザーの気持ちを不安の谷に突き落とすがごとくの言葉ではあったけれど、朗報が届いたのは、それから10分もたたないうちだった。
「電源がありました。これから現場に向かいます」
リーフタクシーの運転手がホッと胸をなでおろし、これで事態は収束と安心したのはつかの間でしかなかった。現場に到着し、パンクしているリーフの左前輪を確認したサービススタッフはこう言ったのだ。
「これ、だめですね」
えッ!?
「応急修理キットでは対処できません。穴が大きすぎます」
「では、失礼します」
えッ!?
リーフタクシー運転手は謎のお姉さんに見放され、販売店のサービススタッフに見放され、結局は厚生年金病院前で途方に暮れるという最初の事態に立ち戻ってしまったのだった。
もう、会社に連絡して助けにきてもらうしか手段は残っていなかった。そのときの、運行管理者のなんとも心強い言葉がこれだ。
「立ち往生? 全然問題ないよ。今からレッカー車を向かわせる」
救助のレッカー車が現着したのは15時ジャスト。会社に戻りついたのは、パンクから3時間弱後の16時15分。まさかの事態に身も心も疲れ果てた、リーフタクシー運転手の、ある日の出来事だった。
(文=矢貫 隆)

矢貫 隆
1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。