第318回:VWのディーゼル不正はなぜ起きたのか――
エンジン開発のプロフェッショナルが事件の背景を語る
2015.10.19
エディターから一言
アメリカで発覚したフォルクスワーゲン(以下VW)の排ガス規制逃れは衝撃的だった。今も世界中が成り行きを注目している。なぜこんな事件が起きてしまったのか。これからディーゼル自動車はどうなっていくのか。エンジン技術に詳しい畑村耕一氏に解説してもらった。
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“エンジンご意見番”の悲しみ
「不正は普通やらんですよ。こんな割の悪いことないもん。何でこんなことをやったんですかね」
畑村耕一氏は残念そうだった。何度も「どうすりゃいいんですかね」とつぶやき、首をかしげる。技術者の良心が踏みにじられたことが、悔しいのだろう。
畑村氏はマツダで長年低公害・低燃費のエンジンを研究していた技術者である。退社後は研究所を設立して自動車関連企業の技術指導を行っている。自動車専門誌『モーターファン・イラストレーテッド』ではご意見番的存在だ。毎号1台のクルマを取り上げて批評する連載があり、このたび、それをまとめた3冊目の本『博士のエンジン手帖3』が発売された。
発売を記念して行われたトークショーが、ちょうどフォルクスワーゲンのディーゼル問題発覚の直後だった。自動車業界を揺るがす大事件に触れないわけにはいかない。聴衆から次々に質問が飛び、関心の高さが伝わってくる。自動車を愛する者は、誰もがやり場のない怒りを抱えているのだ。人々を幸せにするはずのクルマが、世界中から疑惑の目で見つめられている。無念であり、心が痛む。
畑村氏は、著書の中でディーゼルエンジンの排ガス問題について何度も触れている。厳しくなる環境規制にどうやって対処すべきかを、ずっと考えていたのだ。VWだけでなく、日本の自動車メーカーにとっても喫緊の課題である。イベントの後で、あらためてディーゼル不正問題についてお話を伺った。
アメリカEPAの調査で発覚した規制逃れ
まだ事態は進行中だが、これまでの経緯を振り返っておこう。2015年9月18日にアメリカの環境保護局(EPA)が記者会見を行い、VWが排ガス検査時に不正を行っていたと発表した。ちょうどフランクフルトモーターショーが始まったばかりであり、環境技術で世界をリードしていると思われていたVWが規制逃れをしていたことに驚きが広がった。
問題となったのは、「EA189」型ディーゼルエンジンで、「ゴルフ」や「パサート」、「アウディA3」などに搭載されている。アメリカでは合計約48万台が販売されていた。EPAは違法行為でリコールされたクルマに罰金を科す権限を持っており、VWが支払わなければならない罰金は最大で2兆円を超えるといわれる。クルマを購入したユーザーから集団訴訟を起こされる可能性も高く、巨額な賠償金が発生することが考えられる。
全世界で見ると不正の対象となった台数は約1100万台に達し、各国でリコールの費用や賠償金を支払うことになるかもしれない。不正が明らかになると、VWの株価は急落した。VWはグループ全体で30兆円近い売上高の大企業だが、財務状況が悪化することは避けられない。2007年からCEOを務めてきたマルティン・ヴィンターコルン氏は、同年9月23日に辞任に追い込まれた。
不正が発覚したのは、環境問題NPOの国際クリーン交通委員会(ICCT)の調査がきっかけだった。ウエスト・ヴァージニア大学に依頼して排ガスを計測すると、走行時に基準値の10倍から40倍もの窒素酸化物(NOx)が排出されていることが判明した。EPAが説明を求めた結果、VWはソフトウエアの誤作動だとして2014年12月にリコールを行ったが、改善は見られなかった。再度説明を求められ、VWは検査時に不正を行っていたことを認めざるを得なくなる。
検査は定められたテストパターンに従い、シャシーダイナモを使って行われる。そこでVWは、クルマが検査中であることを察知するソフトウエアを仕込んだとされる。検査中は排ガスを最大限クリーンにするモードに切り替わるが、実際の走行時には解除されて燃費やパワーを重視したモードとなっているのだ。そして、多量のNOxが排出される。
VWは一線を越えてしまった
畑村氏は、今回の報道を聞いて耳を疑ったという。NOxの低減が困難なことはわかっていたが、不当な手段で検査を欺くとは想像もしなかった。
「リアルワールドでは規定値以上のNOxが出るというのは、だいぶ前からみんな知っていたんです。でも、普通はこんなバカなことをするわけがないじゃないですか。リスクが高すぎますよ。調べればバレることなんだし」
不正を始めたとされる2008年当時は、黙っていればわからないと考えたとしても不思議ではない。しかし、検査方法が進歩し、シャシーダイナモ上ではなく実際の走行中に排ガスを調べることができるようになってきた。VWも2012年以降に開発された車種では不正は行っていないとしているが、以前からのモデルをそのままにしていたのがふに落ちない。
「実際に走ればどのクルマもNOxが増えるというのは常識だったので、罪悪感はなかったんかもしれんね。でも、法律読めばダメなのはわかっていたのに。不思議ですね……」
モータースポーツでも時々レギュレーション違反が見つかるが、あれも「バレないだろう」という甘い考えから手をつけてしまうのだろうか。今回の不正は、具体的にはどんな手法を使ったのだろう。
「推測でしか言えないが、NOxを減らす方法はあります。EGR(排気再循環)の量を増やし、燃料の噴射時期を遅らせる。尿素SCR(選択触媒還元)を使うクルマでは、尿素の量も増やしていたかもしれんね」
同じプログラムをそのまま実走行で使わないのは、商品性が下がるからだ。排ガスはクリーンでも、クルマとしての性能は落ちてしまう。
「VWは修正プログラムを出すことになるでしょうが、そうすると確実に性能が落ちます。燃費が悪化して、走りも悪くなる。触媒の耐久性も落ちるといわれていますね。それを避けるために、VWは一線を越えてしまった」
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ディフィートデバイスを使うのは明確な違法行為
“一線を越えた”という表現を使ったことには意味がある。テストモード対策ということなら、どのメーカーもやっていることだからだ。
「それをやらんと売れんのだから、当然やりますよ。燃費だって、JC08で決められた走行パターンで数字をとるわけです。あれは低速が中心のデータだから、実際に走ると悪くなるでしょ。お客さんはカタログしか見ないので、メーカーはそれに合わせて開発します。低負荷の状態で数字がいいCVTが増えたのは、それが理由ですよ」
カタログ燃費と実燃費がかけ離れていることは、誰でも知っている。排ガスだって同じ状況だ。自動車メーカーはテストモードでいい数字が出るように開発を進め、基準をクリアしようとする。
「それ自体が悪いわけではないんですよ。野放しだったところに規制ができ、きれいにしろと言われたところをよくしたんです。それがダメだと言われたのでは、作っているほうはやってられない。お金さえかければ技術的にはもっとよくすることはできますよ。ただ、お金をかける“動機”がないじゃないですか。なんで規制もないところにお金をかけて、お客さんから金を取らなきゃならんのか。よそはやってないんだし、市場で競争しようと思ったら金かけられるわけないでしょ」
規制に対応することは当然で、テストモードでの数字が実走行と違うのは仕方のないことだ。しかし、VWはテストモードと実走行で別のプログラムを用意し、自動的に切り替わるように設定した。これがディフィートデバイスと呼ばれる無効化機能ソフトで、アメリカの大気浄化法で明確に禁止されている。“一線を越えた”というのは、この違法行為のことだ。
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RDEの導入で変わる排ガス規制
排ガス規制は転換期にある。2017年からヨーロッパでRDE規制が導入される予定なのだ。RDEとはReal Driving Emissionsのことで、可搬型の装置を乗せて路上で排ガスを計測することになる。
「RDEをやるようになれば、VWのやったようなことはできなくなります。だからどうして不正をやめなかったのかわからんのです。RDEではNOxが増えるのは当たり前ですから、ドイツの自動車工業会は反対していますけどね。日本には規制導入の予定がなくて、これからはディーゼル天国になるはずだったんですよ。でも、これで様相が変わるでしょうね」
日本には問題となったVWのディーゼルモデルは正規輸入されていないが、それでも確実に影響は及ぶ。不正問題を受けて、世論が厳しくなることが予想されるのだ。日本では長年にわたりディーゼルエンジンのイメージが悪く、一時は全販売車種の中からディーゼル乗用車が消えるという事態におちいることもあった。しかし、近年ではマツダが魅力的なモデルを次々に発売したことで、復活の機運が高まっていた。その直後に、今回の事件である。
マツダは「CX-5」からディーゼルエンジンを採用し、「CX-3」「アテンザ」「アクセラ」「デミオ」にもラインナップを広げていった。ユーザーから好評を博し、国内ではディーゼル乗用車のトップメーカーとなった。今回のことでディーゼルエンジンのイメージが悪くなれば、とばっちりを受けてしまうことにもなりかねない。事実、事件後にはマツダの株価まで下がったのだ。
規制によって技術は変わる
「マツダはまじめに作った。『SKYACTIV-D』ではNOx吸蔵触媒や尿素SCRは使わず、エンジン本体でNOxを減らしたんです。不正? やらんですよ、普通は。犯罪なんだから。ただ、RDEが始まったらマツダも尿素SCRを使わにゃダメでしょ。SKYACTIV-Dは負荷の低いところをよくする技術なんですよ。予混合圧縮着火燃焼(PCI)は、負荷の高いところに適合する技術じゃないんで。SKYACTIV-Dでは容積比(=圧縮比)を下げているんですが、負荷の高いところをいつも監視されている大型ディーゼルでは、むしろ容積比が上がってきているんですよ。まったく技術が逆なんです。RDEが導入されて上のほうまできちっとやる(高負荷時の排ガスも検査する)ようになるなら、かなり考え方を変えにゃいけないかもしれない」
畑村氏は、「規制がエンジン技術を決める」と話す。メーカーが勝手に決められることではないので、規制の方向性が悪ければ妙なクルマができあがってしまう。
「自動車会社のエンジニアは、良かれと思ってやっとるんです。でも、いろんな仕組みがうまくできていないと、どうしようもないですよね。結局、目先の金もうけになってしまう。きちっと規制をしてくれんと、またこういうことが起きますよ。規制をしていてもあんな会社が現れるんだから」
排ガス対策の問題は技術者の良心だけでは解決できないのだ。自動車業界は不正を許さない体制を整える必要がある。ただ、規制を厳しくして道義的にも満足のいく製品を作れば、どうしてもコストがかかる。それは製品の価格に転嫁するしかない。われわれユーザーも当事者である。何をなすべきか、答えはこれからも考え続けていくしかない。
(インタビューとまとめ=鈴木真人/写真=webCG、フォルクスワーゲン)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。