第134回:伝説の女性監督が熊野を舞台に少女を描く
『溺れるナイフ』
2016.11.04
読んでますカー、観てますカー
天才・山戸結希の初メジャー作品
夏休み映画の『シン・ゴジラ』と『君の名は。』は、秋風が吹いても劇場に観客を集め続けている。どちらも観た後に何かを語りたくなる作品で、リピーターも多い。誠に喜ばしいことだ。ただ、日本映画にとって今年最大の事件はこの後に控えている。天才・山戸結希がついにメジャーデビューするのだ。
27歳だが、すでに伝説をまとっている。これまで、彼女の作品を観る機会は極端に限られていた。大学在学中に撮影した『あの娘が海辺で踊ってる』は東京学生映画祭で上映された後に自主配給されたが、2013年から“絶賛封印中!!”となっている。DVD化もされていない。『おとぎ話みたい』はわずか2週間の単館レイトショー上映だった。DVDとブルーレイが発売されたのは今月である。
『5つ数えれば君の夢』がこれまでで一番多くの観客の目に触れた作品だ。東京女子流が出演していることで、アイドルファンにも注目された。これも超低予算映画で、独立系の配給である。山戸結希は一部の映画ファンからは熱狂的に支持されていたが、一般的な知名度は低いままだ。
『溺れるナイフ』はGAGAの配給で、全国のシネコンで上映される。主演は『乾き。』の衝撃的なデビューで若手女優のトップに躍り出た小松菜奈と、カメレオン演技で引っ張りだこの菅田将暉という豪華なキャスティング。『君の名は。』でヒロインの声を担当した上白石萌音、ジャニーズの重岡大毅も出演する万全のシフトだ。
原作はジョージ朝倉の少女マンガ
原作はジョージ朝倉が『別冊フレンド』に連載していた作品で、山戸監督が「世界で最も好きなマンガ」である。だから初めて原作ものを撮ろうと思ったのだ。10年にわたって連載されて単行本は全17巻という長さだから、111分の映画にまとめるのは大変な作業だっただろう。しかし、監督は「『溺れるナイフ』に関して、その中で描かれている感情でわからないものは一つもなかったので、どう凝縮するかということだけでした」と語っている。
原作は小学生から30代までの長い物語だが、映画で描かれるのは中学から高校までの期間だ。15歳の夏芽(小松)は、家庭の事情で東京から実家の旅館のある浮雲町に引っ越す。モデルとなっているのは和歌山県の熊野あたりで、ロケも当地で行われている。田舎で暮らすことに納得していない彼女は不機嫌を隠さない。家から逃げ出して浜辺に向かい、立ち入り禁止の札が立てられている入り江に近づいた。
夕暮れの海の上に、あおむけになって漂っている少年を見つける。コウ(菅田)との運命的な出会いだった。夏芽はコウの中に神を見た。禁域を無視して結界の海にも怖じることのない彼は、特別な人なのだ。「この町のモンは、全部俺の好きにしてええんじゃ」という彼の言葉を、夏芽は素直に受け入れる。
コウは神主の跡取り息子であり、勝手な振る舞いが許されていた。東京でモデルの仕事をしていた夏芽も、学校では目立つ存在となる。クラスメートの大友(重岡)やカナ(上白石)は、2人がつき合うことを願うようになった。
全編にあふれるすがすがしい疾走感
描かれているのは、恋愛ではない。もっと観念的なものだ。大友とカナが夏芽とコウの関係を神聖視するのは、そこに生身の肉体を見ていないからだ。夏芽はコウを絶対的な存在だと感じ、自分が成長して彼に近づきたいと強く願う。もちろん、これは錯覚だ。彼が神の特別な力をまとっているなんて、幻想でしかない。
ただ、彼らにとっては真実なのだ。つまらない日常を輝かしい物語だと信じることのできる、人生の中でごく短い季節を生きている。山戸監督は、この特別な時期を切り取ろうとする。彼女はこれまでも少女を描いてきた。少女は肉体を持たない。観念と夢と衝動があるだけだ。
『おとぎ話みたい』では、趣里がすべての感情をダンスで表現していた。彼女はしなやかな動きで少女性そのものを現出させていたのである。趣里の美点を最大限に引き出した山戸監督の手腕には感服せざるを得ない。『とと姉ちゃん』では悲しくなるほど貧相な使われ方をしていた。
これまで山戸監督の作品では、音楽とダンスが重要な要素となっていた。今回は少し趣向が異なっている。夏芽もコウも、常に走っている。自分の足で走るだけでなく、自転車やオートバイでも走る。すがすがしい疾走感が全編にあふれている。山戸作品に出演するには、高い身体能力を身につけていなければならない。
悲劇はプリウスでやってきた
『溺れるナイフ』でも、少女性が描かれている。これまでの作品と異なるのは、コウという少年が登場することだ。同じレベルの強度を持つ存在が、引き合いながら反発しあって物語が進んでいく。
魔法少女がいつか魔女という邪悪な存在に変わってしまうように、少女は永遠に少女のままではいられない。夏芽は浮雲町に来てモデルとしての活動をやめていたが、写真集のオファーが舞い込む。彼女はコウに認められるには芸能活動で成功することが近道だと考えて引き受けることにした。写真集が評判となったことが、最悪の事態を招いてしまう。
火祭の夜に悲劇が起きた。彼女は祖父が危篤だとうそをついた男に連れていかれてしまう。卑劣な犯罪に使われたのは、「トヨタ・プリウス」である。ハリウッド映画ではいけ好かないインテリが乗ることになっているが、これだけ普及した日本では犯行に使われることにリアリティーがある。数が多いから目立たないのだ。
「女性映画のクラシックは、21世紀に生まれるのだと思っているので、その先陣を切りたいです。そして、未来の女の子にバトンを渡したいです」
山戸監督は、インタビューに答えて語っている。彼女の視線は後進の育成に向かっているのだ。巨匠としての自覚があるからこその言葉に違いない。観客として、われわれも彼女の覚悟に本気で向き合う必要がある。
(鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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