インディ500で優勝した佐藤琢磨が凱旋帰国
2017.06.13 自動車ニュース![]() |
2017年6月13日、インディアナポリス500マイルレース(同年5月28日開催)で優勝した佐藤琢磨選手の凱旋(がいせん)報告会が、東京・青山のHondaウエルカムプラザ青山で行われた。
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インディカーシリーズ8年目の栄冠
「佐藤琢磨、インディ500初優勝」のニュースに触れ、久々に彼の名前を見聞きした人は多かったかもしれない。
2002年から2008年までF1ドライバーとしてGPに参戦。2004年シーズンにはBARホンダを駆り、第9戦アメリカGPで3位表彰台を獲得。鈴鹿サーキットでの日本GPでも、デビューイヤーにジョーダン・ホンダを5位入賞に導くなど活躍を見せた。しかし2008年シーズン途中、所属していたスーパーアグリチームの撤退によりシートを失い、レーシングドライバーとしては1年以上の“浪人生活”を送った。
そんな佐藤が新たな活路を見いだしたのが米インディカーシリーズだった。北米オープンホイールレースのトップカテゴリーに参戦して8年目の今年、「インディ500優勝」という、世界中のレーシングドライバーが憧れるビッグタイトルとともに佐藤が凱旋した。
「この優勝は僕自身にとって大きな意味を持ちますが、まずはこのここまで僕をずっと応援してくださったホンダやスポンサー、そして何よりファンの皆さまへの感謝の気持ちを伝えたい」と切り出した佐藤の言葉は、社交辞令というより、こうした長いキャリアの中で経験してきたこと、その過程でまわりから得てきた恩を返したいという強い気持ちの表れだった。
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残り5周でトップ、「僕には勝算がありました」
参戦歴からすればF1を超えたというインディカーシリーズだが、順風満帆というわけではなかった。比較的小規模チームからのエントリーということもあったが、今年のインディ500優勝はシリーズ通算で2勝目。2013年のロングビーチでの勝利以来だった。
2012年のインディ500の最終ラップでは、トップを走るダリオ・フランキッティのインに果敢に飛び込むも、フランキッティの巧みなディフェンスにあいスピン、クラッシュ。涙を飲んだという経験もあった。その時、「インディ500で勝つ難しさを痛感した」と振り返る佐藤に、今年、転機が訪れた。元F1ドライバーでインディシリーズ王者でもあるマイケル・アンドレッティ率いる強豪「アンドレッティ・オートスポーツ」チームに移籍し、パワフルなホンダエンジンを積んだ競争力のあるマシンを手に入れたのだ。
シリーズ第6戦のインディ500では予選4位を獲得。レースではピットストップで順位を落とすこともあったが、500マイル=800kmの長丁場で虎視眈々(たんたん)と優勝を目指し、そして勝負所のラスト5周で、ついにトップに立った。
「そこでいろいろなことを考えました」と佐藤。「インディ500では後ろのマシンがスリップストリームを使いやすいので、トップで逃げ切ることが難しく、最終ラップまで先頭を走りたがらない傾向にあります。だから残り5周でトップに立った時も、チームやファンは『抜かれるのではないか』とすごく心配したと思いますが、僕には勝算がありました」
「残り5周あれば、どんな状況になっても自分で巻き返すことができると思っていたからです。その1周後、あるいは2周後に(2位を走る)エリオ・カストロネベスに抜かれても、様子を見ながらラスト2周で勝負をかけようと。3周後にカストロネベスが仕掛けてきたら、自分に追いつくまでに2周以上を要したということなので、抜かれる可能性のある1コーナーさえ抑えれば、次に追いつく頃にはチェッカーが振られているはずだった」
そうした巧妙な駆け引きや、優勝の喜び、そして難しさを、日本語を通じて聞けるというのも、母国のドライバーが優勝してくれたから。「日本人初優勝」とことわらなくても、インディ500制覇は世界が認める快挙であることに変わりはないのだが、今年で101回目を数える伝統の一戦には、1991年のヒロ松下以来、数多くの日本人ドライバーが挑戦しては敗れ去った歴史が横たわっている。
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「ノーアタック、ノーチャンス」
F1からインディへと活動の場を移した佐藤。長きにわたり海外でトップドライバーたちと戦い続けるためのモチベーションについてはこう話す。
「インディカーでも8年間で2勝と、厳しい世界に身を置いていますが、日本から海外に出てトップに立ちたいという気持ちが大きいから続けられます。不安になることもありますが、イチロー選手や海外で活躍する日本人アスリートからも刺激を受け、自分を奮い立たせています」
今から16年前の2001年、同じ青山で開かれたF1デビュー発表会の席で、佐藤は「僕がF1で目標にしていることは勝つことです」と堂々と宣言した。残念ながらその夢はかなわなかったが、今も昔も、勝利を求める姿勢にぶれはない。そして今年、インディ500優勝という大金星を勝ち取ることができた。
「ノーアタック、ノーチャンス」は、いまや欧米メディアの間でも有名になった佐藤のモットーだ。2012年のようにアタックして失敗することもあるが、挑戦をしなければ勝つチャンスすら得られないのだ。
40歳になった佐藤の次なる目標は「今年インディカーのシリーズタイトルをとること」。現在選手権3位と好位置につけており、「秋の(F1の)日本GPの時には新たな優勝報告ができるようにしたい」と力強く語った。彼の挑戦の日々はまだ続きそうである。
(文=bg)