「ランクル」になれなかった本格オフローダー
「三菱パジェロ」の日本市場撤退に思うこと

2019.05.08 デイリーコラム

“Japan as No.1”の時代

三菱自動車が2019年8月に現行モデルの国内販売向け「パジェロ」の生産を終了することになった。だが、海外専用車種のパジェロと「パジェロスポーツ」は引き続き販売していくという。同社を象徴する存在でもあったゆえに、国内販売向けとはいえ、パジェロの生産終了という報に驚かれた方も少なくないだろう。

パジェロが登場したのは1982年のことだ。その頃の日本の自動車を取り巻く環境を振り返ることからこの稿を始めたい。

日本の製造業は、1980年代に入ると躍進に次ぐ躍進を見せ、世界からは日本式経営が手本のように受けとられ、“Japan as No.1”と、気恥ずかしいほどに持ち上げられるようになった。日本の工業製品の象徴であったクルマに関していえば、1980年には日本の自動車生産が1000万台を突破して世界第1位となり、そのうち輸出が過去最高の597万台にも達した。この繁栄とは対照的にアメリカの“ビッグスリー”は軒並み販売不振に陥り、日本は「レイオフを輸出している」と当地の自動車労組が声高にアピールすることになった。それは両国政府にとって無視できない大きな問題となり、日本車の輸出自主規制と現地生産が始まった。メーカーには、数量を追うだけではなく、1台あたりの収益性が高い、より付加価値のあるクルマが求められるようになった。パジェロもそうしたモデルの一台であった。

日本国内の経済状況も活況を呈したことから、人々は豊かさを実感するようになった。自家用車といえばセダン一辺倒であったものが、沸き上がるような上級志向の高まりの中で、4ドアセダンでも、他人から社用車や営業車に見られることのない“ハイソカー”(和製英語のHigh Society Carが語源)と呼ばれるクルマが販売を伸ばしていった。その代表格が「トヨタ・マークII」だ(パジェロと時を同じくして、今年で生産を終える「マークX」の前身モデルだ)。

クルマを所有しようとする人々が増加傾向に向かうと、その嗜好(しこう)も広がりを見せた。1982年に、“デートカー”と呼ばれるジャンルをけん引した「ホンダ・プレリュード」が2世代目に生まれ変わると、右肩上がりの好調な売れ行きを見せた。

2019年4月24日に発売された「三菱パジェロ ファイナルエディション」。この特別仕様車の発表と同時に、国内販売向けパジェロの生産が2019年8月に終了となることも明らかになった。
2019年4月24日に発売された「三菱パジェロ ファイナルエディション」。この特別仕様車の発表と同時に、国内販売向けパジェロの生産が2019年8月に終了となることも明らかになった。拡大
1982年に発売された初代「パジェロ」。三菱のピックアップトラック「フォルテ」のシャシーをベースに設計されていた。
1982年に発売された初代「パジェロ」。三菱のピックアップトラック「フォルテ」のシャシーをベースに設計されていた。拡大
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