バブル期に咲き乱れた大輪の花
「トヨタ・マークII」を偲ぶ
2019.05.29
デイリーコラム
ふくらし粉を飲ませた「コロナ」
2019年12月末をもって「トヨタ・マークX」が生産終了、1968年に誕生した初代「トヨペット・コロナ マークII」から数えて51年にわたる生涯に幕を降ろすという。実質的に30年以上の歴史を持つトヨタの乗用車で、後継モデルもなく消え去るのは「セリカ」以来となるだろうか。それも1980年代後半にはバブル景気とハイソカーブームに乗って月販2万台、兄弟車の「チェイサー」「クレスタ」と合わせて3万台以上を売るトヨタの稼ぎ頭だったマークIIがとなると、ファンならずとも複雑な心境になる。
なぜなくなるかといえば、「売れないから」だろう。身もふたもない言い方だが、昨2018年の年間販売台数が4108台、月販だと350台未満となれば、致し方ない。クルマ離れ、特にセダン離れと言われて久しい日本の市場を考えたら仕方がないと思われるかもしれないが、同門の「クラウン」は年間5万台以上、「カムリ」でも2万台以上売れている。そう考えたら、モデル寿命が末期であることを加味しても、マークXは「売れなさすぎ」とも思える。
そんなマークII/マークXの半世紀に及ぶ歴史を、ここでちょっと振り返ってみたい。これは筆者の考えだが、1968年9月に登場した初代コロナ マークIIは、2代目以降のモデルとは少々キャラクターが異なる。そもそも初代のデビュー前のうわさでは、マークIIの登場ではなく、「コロナ」のフルモデルチェンジだった。日産の「ブルーバード」との、双方の頭文字から「BC戦争」と呼ばれた激しい販売合戦を制して、念願のベストセラーの座を手にしたコロナ(T40/50系)の登場は1964年だったから、モデルチェンジの時期としては妥当だったからである。
ところが「コロナから生まれた理想のコロナ」というキャッチコピーを掲げてデビューしたモデルはコロナ マークII(T60/70系)と名乗り、コロナよりひと回り大きいボディーに大きなエンジン(直4の1500cc/1600ccから1600cc/1900cc)を積んでいた。とはいうものの、スラントノーズを特徴としたスタイリングはコロナのイメージを受け継いでおり、ごく平凡なシャシーのレイアウトもコロナと共通。モデルバリエーションもコロナからほぼ受け継いでおり、「4ドアセダン」「2ドアハードトップ」「5ドアワゴン/商用バン」に加え、シングルとダブルの「ピックアップ」も用意されていた。要するに初代コロナ マークIIは、故・徳大寺有恒氏の言葉を借りれば「ふくらし粉を飲ませたコロナ」だったのだ。
初代コロナ マークIIより半年ほど前に「ハイオーナーセダン」をうたって世に出た初代「日産ローレル」は、初代コロナ マークIIのライバルといわれている。確かに車格としてはローレル(1800cc)とマークII(1900cc)はほぼ同じだが、キャラクターはだいぶ異なる。ローレルは4輪独立懸架にクロスフローのSOHCエンジン、日産初のラック&ピニオンのステアリングなど進歩的なメカニズムを備え、高級オーナーカーという理由で商用車や営業車をラインナップしなかった。
対してコロナ マークII、特に1600シリーズは、コロナの延長線上にあるファミリーカー需要が主体だった。ラインナップの多さもあって、セールス上はマークIIが勝利したが、高級オーナーカーとしてのポジションを築いたとは言い難かった。
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“ハイソカー”ブームの芽生え
1972年1月、コロナ マークIIは初代のデビューからわずか3年4カ月でフルモデルチェンジを迎え2代目となる。車名こそ変わらないが、型式名はX10/20系となってコロナから独立。ライバルの1台だった「日産スカイライン2000GT」系の影響から、当時の高級車には欠かせない要素だった直列6気筒エンジン搭載車も加わった。筆者の解釈では、高級オーナーカーとしてのマークIIはここからスタートしたのである。
1976年12月に登場した3代目X30/40系は、当時のアメリカ車ではやっていた復古調のスタイルを採用。高級グレードにトヨタ車としては「トヨタ2000GT」以来となる4輪独立懸架や4輪ディスクブレーキを採用するなどシャシーの進化が著しく、上位のクラウンとも下位のコロナとも異なる高級オーナーカーとしてのマークIIのポジションをより明確にした。また、この世代の途中から販売店違いの兄弟車であるチェイサーが加わった。
1980年10月に世代交代した4代目X60系は、次のX70系でマークIIがブレイクする下地を作ったモデルだ。これが登場する半年ほど前に、新設されたビスタ店向けにクレスタと名乗るマークIIと同クラスの4ドアハードトップボディーに新開発の1G系直6エンジンを積んだモデルがデビューしていたが、実はこのクレスタがX60系マークIIの先行モデルだったのだ。
直線基調のスタイリングとなったX60系は4ドアセダンと、3代目までの2ドアハードトップに代えて4ドアハードトップをラインナップ。スタイリッシュながら実用性もある4ドアハードトップは、これ以後セールスの主流となり、販売台数を伸ばす要因となった。
この4代目からは、オーナー層にも変化が表れた。それまでマークIIといえば、高級オーナーカーといえども「おっさんグルマ」の印象が強かった。ゆえに若作りしたチェイサーを出したりもしたわけだが、そうした風向きが変わった。白いマークIIハードトップをカッコいいと考える若年層が出現したのだ。歴史学風に言えば「ハイソカーブームの萌芽(ほうが)」である。同門の初代「ソアラ」とともに5代目マークIIとその兄弟は、ハイソカーブームを開拓したのだった。
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新鮮さには乏しかった6代目
そして1984年8月、いよいよ5代目X70系が登場する。あまり知られていないが、車名からコロナが取れて正式に「トヨタ・マークII」となったのは、実はこの5代目から。チェイサーとクレスタを従えた「マークII三兄弟」が足並みをそろえるようになったのも、やはりこの代から。それはともかく、このX70は大ヒットした。いまだにマークIIといえば、スーパーホワイトに黒いクリスタルピラーの「ハードトップ2000グランデ ツインカム24」、あるいは同じボディーに日本初のツインターボエンジンを搭載した「ハードトップ2000GTツインターボ」を思い浮かべる向きが少なくないのではなかろうか。
世間がバブル絶頂期の1988年8月、6代目X80系がデビュー。基本的にはキープコンセプトで、先代より角を丸めたスタイリングは洗練されたが控えめな印象。新鮮さは乏しく、ヒット車種ほどモデルチェンジが難しいことを再認識させられたと思いきや、いざふたを開けてみたら、先代をさらに上回る勢いで売れまくり。結果的に歴代マークIIおよび三兄弟のなかで、最も多い販売台数を記録したのである。
手元にある自動車雑誌にデビュー3カ月後の1988年11月の販売台数が載っているのだが、それによるとマークIIが2万4162台、チェイサーが7120台、クレスタが9711台。これが最大瞬間風速かどうかは未確認だが、三兄弟合わせてなんと4万台以上売れていたのだ。仮にも高級オーナーカーを、いったい誰がそんなに買っていたのかと思うが、猫も杓子(しゃくし)も買っていたのであろう。ハイソカーブームに乗ったマークII人気のすごさ、トヨタの販売力の強さ、そしてそれらのバックボーンとなったバブルの勢いを思い知らされる数字である。
最後の高級オーナーカー
1988年に登場、マークII史上最大の成功作である6代目X80系のモデルサイクル途中にバブルが崩壊、ハイソカーブームも終焉(しゅうえん)を迎えた。その後マークIIは1992年に登場した7代目X90系で3ナンバーサイズ化し、以後1996年にX100系、そして2000年に9代目にして最終世代となるX110系へと世代を重ねていくが、かつての勢いを取り戻すことはなかった。もちろんそれはマークIIだけの問題ではなかったのだが、9代目X110系のもっさりした姿を見るに、「これじゃなあ」と思ったのも事実である。
ところが、トヨタはあきらめたわけではなかった。マークIIの36年の歴史をいったんリセットし、スタイリングもキャラクターも若返りを図った高級セダンを、マークXの名で2004年にリリースしたのである。クラウンもあるし、翌2005年にはレクサス車の国内投入も控えているのに、やはりトヨタは底力があるのだなあ、と思ったものだった。
それから15年。さしものトヨタも、冒頭に挙げたような数字では、もはやこれまでとなったのであろう。同門の高級セダンでも、1955年の誕生以来トヨタの看板車種で、法人需要も少なからずあり、いうなれば車名に客がついているクラウン、北米の基幹車種で絶対数がケタ違いに多いカムリに対し、国内専用の高級オーナーカーであるマークX。大幅に縮小したセダン市場に、残念ながらもはや生き残る余地はなかったということなのだろう。
だが、筆者はいわば「最後の高級オーナーカー」となったマークXに、よく頑張った、お疲れさまとねぎらってやりたい。日産ローレルをはじめとするかつての他社のライバルがとうの昔に消えてしまい、見回せば競合相手は同門ばかりという市場において、ここまで奮闘してきたのだから。
(文=沼田 亨/写真=トヨタ自動車、沼田 亨、CGライブラリー/編集=藤沢 勝)

沼田 亨
1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。