第221回:追突車に乗っているのはサイコ殺人犯かも……
『悪人伝』
2020.07.16
読んでますカー、観てますカー
非イケメンに注目せよ
韓国映画といえばイケメン。そう思っている人は少なくないはずだ。古くからのファンなら、『冬のソナタ』のペ・ヨンジュン、『友へ チング』のチャン・ドンゴン、『アジョシ』のウォンビン、今では『マグニフィセント・セブン』などのハリウッド映画で活躍するイ・ビョンホンの名がすぐに浮かぶだろう。韓流四天王と呼ばれるレジェンドである。最近では『梨泰院クラス』のパク・ソジュン、『愛の不時着』のヒョンビンが話題だ。認めよう。彼らは確かに見目麗しい美男子である。
しかし、イケメンばかりで映画を作ったら、みんなラブコメになってしまうではないか。それも否定しないが、韓国映画のクオリティーを支えているのは非イケメンの俳優たちだということを忘れてはいけない。前に紹介した『タクシー運転手 約束は海を越えて』の主演はソン・ガンホ。『パラサイト 半地下の家族』でも主演を務めている。何というか、味のある顔つきである。ビジュアルで売るタイプではない。ほかにも、アン・ソンギやユ・ヘジンといった素晴らしい俳優たちがいる。
そして、今最も注目されている韓国俳優が、マ・ドンソクなのだ。クマのようなずんぐりむっくりの体形で、二の腕は女性のウエストほどもある。コワモテのおじさんなのだが、笑顔からかわいげがこぼれてしまう。韓国では名前と“ラブリー”を合わせて“マブリー”の愛称で呼ばれているそうだ。日本でも『新感染 ファイナル・エクスプレス』から広く知られるようになり、『ファイティン!』『守護教師』『無双の鉄拳』などでファンが急増した。
気は優しくて力持ち、というコミカルな役柄が多いが、『悪人伝』ではヤクザの親分。本来は凶暴で悪辣(あくらつ)な役柄が似合うのだ。荒ぶる肉体を思うがままに解き放っている。
暴力オーラ全開のマ・ドンソク
バイオレンスアクション映画だが、ストーリーは実話に基づいているとのこと。タイトルのとおり、登場するのは悪人ばかりである。ダブルのスーツを着てのし歩くチャン・ドンス(マ・ドンソク)は、街を仕切るボスだ。対抗する組織とは共存共栄を図っているが、時に小競り合いが起きる。手下たちはいきりたっても、ドンスは冷静だ。しかし、黙っていても彼の全身から凄惨(せいさん)な暴力のオーラが匂い立つ。
スーツの下に凶悪な肉体が隠されていることがわかる。脱ぐと、筋肉と厚い脂肪でできたヨロイのような体つき。まるで昭和のプロレスラーだ。皮膚の表面に複雑な絵模様が描かれているから、日本の温泉では入湯拒否されるだろう。髪型はパンチで薄い色のサングラスをかけている。オールドファッションなヤクザだ。
暴力は彼の日常である。組の事務所にはジムが併設されていて、サンドバッグで打撃練習を怠らない。ストイックに体を鍛えているのかと思ったら、中に入っていたのは対抗組織の下っ端。血まみれである。ナメられないためには、底知れない恐怖を感じさせなければならないのだ。若造が制裁を受け入れようと頬(ほほ)を差し出しても殴りつけたりはしない。力ずくで口を開けさせ、前歯を抜き取る。マ・ドンソクがやるからリアリティーがある。
見るからにヤバそうな男に手出しをする愚か者はいないはずだった。返り討ちに遭ってボコボコにされるに決まっている。しかし、そんなことを気にしない人間もいるのだ。サイコパスである。
ヤクザと刑事のバディームービー
ドンスが「メルセデス・ベンツS350」を運転して帰宅する途中、「ルノーサムスンSM5」に追突された。クルマから出てリアにまわって確認すると、傷はほとんどついていない。こういう時に事を荒立てないのが大物のふるまいである。SM5のドライバーに帰るように言うと、なぜか彼はナイフで襲いかかってきた。不意を突かれてドンスは重症を負ってしまう。
最強のヤクザが刺されたという話を聞きつけて病室に現れたのは、暴力刑事のチョン・テソク(キム・ムヨル)である。彼は同じような手口の連続殺人事件を捜査していたのだ。人気のない夜道でわざと追突事故を起こし、出てきたドライバーをめった刺しにする。動機のない殺人は、明らかににサイコパスによるものだ。
テソクは一連の事件が同一人物の手によるものだと直感しているが、上司は相手にしてくれない。彼は組織に頼らず犯人を捜すことにする。でも、一人で立ち向かうのは無理だ。ドンスと手を組むのが最善の方法である。悪人を倒すために、悪人同士が協力する。この映画は、ヤクザの親分とはぐれ刑事が反発しながらも協力して殺人鬼を追い詰めるバディームービーなのだ。
ベンツ、キア、ヒュンダイのカーチェイス
一緒に犯人を追っている間に心を通い合わせる場面も生まれるが、しょせんはヤクザと刑事である。ドンスは自分を刺した男を殺そうとしており、テソクは殺人犯を逮捕して昇進するのが目的だ。お互いに相手を出し抜いて先に犯人と接触しようとする。この映画の英語タイトルは『THE GANGSTER, THE COP, THE DEVIL』である。ヤクザ、刑事、悪魔が三つどもえの戦いを繰り広げるのだ。
ラスト近くでは、この3人が3台のクルマで追いつ追われつするシーンがある。ドンスはメルセデス・ベンツS350、テソクは「キア・ソレント」、犯人は「ヒュンダイ・エクウス」で激走。置いてある自転車やゴミをはね飛ばしながら狭い路地を駆け抜け、広い通りに出ると3台がサイドバイサイドで走る。十字路でクラッシュするまでを、ドローンを駆使して迫力ある映像に仕立てた。国をあげて映画産業を後押しする体制が整っているからこそできる撮影で、日本では不可能だ。
韓国では観客動員数300万人超えの大ヒットで、カンヌ国際映画祭のミッドナイトスクリーニング部門で正式上映作品になった。シルヴェスター・スタローンの制作によるハリウッドリメイクも決定している。マ・ドンソクは、来年公開予定のマーベル映画『エターナルズ』にギルガメッシュ役で出演。アジアの肉体派俳優として、世界に羽ばたこうとしているのだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。