第231回:路上トラブルに注意 ドライバーは異常者かも……
『アオラレ』
2021.05.27
読んでますカー、観てますカー
あおり男はラッセル・クロウ
実にタイムリーな映画である。このところ、日本ではあおり運転が社会問題化していたからだ。2019年8月に常磐自動車道で起きた事件が発端となり、マスコミで取り上げられるようになった。白いSUVが蛇行運転を繰り返して進路をふさぎ、無理やり停車させたクルマに乗っていた男性を殴りつけたのだ。ドライブレコーダーの映像がワイドショーで何度も流され、同乗していた女性が“ガラケー女”と呼ばれるように。その後も似たような事例が続出したことで法的な対応が迫られ、道路交通法が改正された。
アメリカでもあおり運転はあるだろう。ただし、『アオラレ』があおり運転映画だと思うのは間違いだ。原題は『unhinged』である。hinge、つまりちょうつがいが外れた状態、転じて精神が錯乱した状態を示す言葉だ。あおり運転をするのは心に問題を抱えている人間に違いないが、この映画のあおり男は常軌を逸している。殴るどころか、結構な数の人を殺すのだ。演じるのはラッセル・クロウである。規格外のパワーで突進するから、止めるすべはない。
映画の冒頭では、彼がいらついた様子で結婚指輪を外し、クルマを降りて住宅のドアを破壊する。起きて出てきた住人は一撃でノックアウト。目には狂気が宿る。イッちゃってる状態だ。怒りが頂点に達し、ずっと寝ていないのだろう。睡眠不足のままクルマを運転していることが、後で悲劇を生むことになる。彼には役名がない。“The Man”としか表記されていないということは、誰もが彼のような人間になりうるということなのだろう。
無礼なクラクションがきっかけ
電話が鳴り、ソファで目を覚ましたのはレイチェル(カレン・ピストリアス)。発信者はアンディ(ジミ・シンプソン)。調停中の離婚を担当する弁護士だ。トラブっているらしく、彼女は不機嫌になる。まずは、息子を学校に送り届けなければならない。クルマに乗り込もうとすると、お向かいさんが新車で出かけるのが見えた。レイチェルが乗っているのは、かなりくたびれた「ボルボ960エステート」。クルマを買い換える余裕などないのだ。
遅刻ギリギリなのに、いきなり渋滞に遭遇する。下道を諦めてフリーウェイに乗ると、こちらも動かない。美容師の仕事を依頼されていた客から電話がかかってきて、遅れると言うとクビを通告された。元はといえば自分が寝坊したのがいけないのに、悪いのは渋滞だと考えてしまう。離婚する夫から家を取られそうになっているし、同居する弟のガールフレンドは礼儀知らずだ。なぜ、自分だけに不運と不幸が降りかかってくるのだろう……。
再び下道に降りると、信号は赤。青に変わったが、前のクルマが動かない。レイチェルはクラクションを鳴らし、中指を立ててすり抜けていった。確かに動かなかったクルマも悪いが、レイチェルの行為だってほめられたものではない。挑発的にクラクションを鳴らし続けるのはマナー違反である。
次の信号で、追いついてきた彼に並ばれた。窓を開けてほほ笑みをうかべ「“礼儀ある鳴らし方”を知ってるか? 軽く好意的に鳴らし、相手の注意を引くんだ」と語りかける。レイチェルが冷淡な態度を崩さないのを見ると自分から「君にイヤな思いをさせてすまなかった」と謝り、「君も謝ってくれればおあいこだ」と和解を呼びかけた。しかし、彼女は拒絶。このやりとりは、レイチェルが圧倒的に悪い。
“不運”なのは誰のせいなのか
男とレイチェルは、実は似た者同士なのである。どちらも理不尽な理由で仕事を失い、離婚では弁護士に丸め込まれて不利な判断が示された。悲しみは理解できるが、すべてを社会のせいにするのはダメだろう。自分にも原因があったのではないかと振り返ってみることは大切だし、怒りにまかせて八つ当たりするのは論外である。ケンカをしても、相手が謝ったら形式的でもいいからこちらも謝罪するのが大人の振る舞いだ。
レイチェルのボルボが異様に汚れているのは、年季が入っているからだけではない。洗車をした形跡がないのだ。ボディーの塗装はまだらになっていて、ヘッドランプは真っ白に曇っている。手入れを怠っているのは明白だ。彼女が自分本位で怠惰な人間であることがよくわかる。ちゃんと整備していないから、パワーウィンドウが壊れて危険を招来することにもなるのだ。クルマに鍵はかけないし、スマホはパスワードなし。大ざっぱな性格なのは間違いない。
もちろん、あおり男を擁護することはできない。レイチェルの行為に腹をたてるのは仕方がないが、尾行してつきまとうのはやりすぎだ。後ろからぶつけるなんて許されるわけがないし、殺人に至っては重大な犯罪である。彼にも言い分があって、レイチェルに「君に“不運”の意味と謝り方を教える必要がある」と告げる。そのために彼女のまわりの人々が迷惑を被っても、自業自得だというのだ。
男が乗っているのは「フォードF250スーパーデューティー」。マッチョなクルマの代表格である。エントリーモデルでも、エンジンは5.4リッターV8だ。カンガルーバンパーまで付いていて、やる気まんまんである。片やボルボはハリウッド映画では女性が乗ることに決められているクルマ。エンジンは最大でも3リッター直6だ。静かでおしとやか。カーチェイスでは勝負にならない。
ミニバンに乗ってもマッチョ
しかし、男が凶暴なのはクルマのせいだけではなかった。F250からミニバンの「トヨタ・シエナ」に乗り換えても、しつこくレイチェルを追ってきた。鬼のように強くて神出鬼没。警察も頼りにならない。
路上でのトラブルから嫌がらせが始まるという展開から、誰もが1971年に若きスティーブン・スピルバーグ監督が撮った『激突!』を連想するだろう。「プリムス・ヴァリアント」に乗った男がトロトロ走っていたタンクローリーを追い越して逆恨みされ、つけ狙われることになる。ドライバーの顔が見えないから、あたかもタンクローリー自体が意志を持って追いかけてきているように感じられ、恐怖が倍増する仕掛けだ。
姿を見せるサイコ殺人者に追われるということでは、1986年の『ヒッチャー』に似ているかもしれない。同情心から乗せてあげたヒッチハイカーが異常者で、カジュアルに人を殺す男だった。演じたのはルトガー・ハウアーで、しつこさと凶暴さではラッセル・クロウとタメを張る。ダークな暴力性がなんとも不気味だった。
『アオラレ』から得られる教訓はたくさんある。まず、クルマで移動する際は時間に余裕を持つこと。そして、路上でむやみにクラクションを鳴らさないこと。スマホはきちんとパスワード管理すること。ケンカしても、相手が謝ったら許し、こちらもごめんなさいと言うこと。心を整えて安らかな気持ちで暮らしていれば、恐ろしい目に遭うことはない、はずだ。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。