車両開発に大きな影響を与えた「ユーザーの一言」(その1)

2024.11.19 あの多田哲哉のクルマQ&A 多田 哲哉
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ユーザー側から伝えられた言葉・要望で、車両開発に多大な影響を与えたものや、今でも忘れられないほど印象的だったものはありますか? それが実際に製品をどう変えたかも含めてお聞かせください。

私はかつて、「トヨタ86」の開発に臨むにあたり、いわゆるミニサーキットなどクルマ好きが集まっているところに出かけて、「どんなクルマが欲しいですか?」と聞いて回ったことがあります。日本のみならず、世界中で。2007年から2008年にかけてです。

そのとき一番印象的だったのは、皆さんが異口同音に「別にクルマを速く走らせたいわけじゃない」「速いクルマは欲しくない」と吐露したことでした。

メーカーの開発者としては、「スポーツカー=速いクルマ」という観念があるわけじゃないですか。速いことが正義なのだと……。しかし、このヒアリングで、現実にはそんなことはまったく望まれていないということがハッキリしてきたんです。

皆さん、「自分のクルマを自分で思うようにコントロールしている感覚が楽しい」のであって、「だから古い『シルビア』や『AE86』に乗っていて、それらを超えるような楽しいクルマがまったく出てこない」と言うのです。

「速いクルマはタイヤもすぐに減るし、本気になって走らせたなら、ちょっとのミスが全損につながってしまう。リスキーだし、ストレスも多い。もうちょっと低い次元でコントロールを楽しみたい……」

「あなたたちはクルマの開発にたずさわっていて、なんでそんなことすらわからないんですか?」などと、ずいぶん言われたものです。

「速いのがいいに決まってる」と思っていた私も、彼らの言うこともなんとなく理解できてはいましたが、なにせ、社内の役員に対して「遅くても楽しいからいいクルマなんですよ」と説明したら、バカじゃないの? って言われるのがオチなんです。

かのAE86は、「たまたまそういうクルマになっちゃった」という面があります。純粋なスポーツカーというわけではなく、「カローラ」がFF化するタイミングでたまたまFRのスポーティーバージョンとして生まれ、「4A-G」という当時としては高性能かつ安価なエンジンを得て、結構振り回して遊べるものとして残った。発売時だって、さほど人気があったわけではありません。中古車も安かった。そのため、安い個体を使って草レースやサーキットに臨む方々には好評だった。

でも、それを新型車としてつくるということを社内で話すのは、ハードルが高すぎる。そんな複雑な思いを抱きつつ、私は各所でクルマ好きの話を聞きました。

「そもそもお金がかかるのがイヤ」というのは、多くの人に共通の意見でした。当時はメーカーにとって「4WD」「ターボ」「ハイグリップタイヤ」が“三種の神器”で、その図式に当てはめてライバルよりも速い新型車を開発していたのですが、ユーザー目線では「4WDなんてタイヤが余計に減るし、ターボも話にならない」。たしかにメーカーのいう“王道”というのは、実のところ「市場で宣伝・アピールしやすいもの」なんですよね(苦笑)。

で、86ではそれらをすべてやめようと決めた。

4WDは採用しない。ターボも絶対に使わない。3つの王道をすべて捨てようというのが、86開発における第一にして最も大きな企画になったんです。それを、なんだかんだと言いながら最後まで守り通してきたからこそ、たくさんの方に認めてもらえる一台になったのだと、今では思っています。

世界のクルマ好きから繰り返し「速いクルマはいらない」と言われたことで、何としても社内で通さなければならないという意志が持てました。

「速いクルマはプロのドライバーがレースで乗ればいいのであって、一般ユーザーには何のメリットも生まない。むしろ迷惑だ」
「速いクルマは価格が高くて、本気で攻めれば全損するだけ。いいことなんてなにもない」

そんな言葉は腑(ふ)に落ちたし、世界的な現実問題として突きつけられたからには、絶対に皆さんの意に沿うようにしようと思った。まさに、ユーザーの皆さんに教えられた、大事な一言でした。

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多田 哲哉

多田 哲哉

1957年生まれの自動車エンジニア。大学卒業後、コンピューターシステム開発のベンチャー企業を立ち上げた後、トヨタ自動車に入社(1987年)。ABSやWRカーのシャシー制御システム開発を経て、「bB」「パッソ」「ラクティス」の初代モデルなどを開発した。2011年には製品企画本部ZRチーフエンジニアに就任。富士重工業(現スバル)との共同開発でFRスポーツカー「86」を、BMWとの共同開発で「GRスープラ」を世に送り出した。トヨタ社内で最高ランクの運転資格を持つなど、ドライビングの腕前でも知られる。2021年1月に退職。