第925回:やめよう! 「免許持ってないのかよ」ハラスメント
2025.08.28 マッキナ あらモーダ!イタリアも免許離れ
先日、あるイタリア人のお宅で食事をしていたときである。彼らが住んでいるのはシエナ県の郊外だ。都市間バスが発着するバス停までは16kmで、クルマで30分、鉄道駅までは25kmで、同じく40分を要する。アクセスは自家用車のみだ。そもそも家に到達するまでには舗装された州道をあとに、1km近い未舗装路をたどらなければならない。一般的に考えて、クルマなしには生活できない環境である。実際、60代の夫妻は各自クルマを持っている。
ところが、夫妻の息子と娘は、2人とも運転免許を持っていないという。移動するときはどうしているのかと尋ねると、両親に頼るか、もしくは同居している娘のパートナーが運転手役を務めていると説明してくれた。
夫妻はそうした状況を説明したあと、「私たちの世代にとっては、運転免許は大人への階段の第一歩だったのですが」と述べた。
イタリアでも若者の運転免許離れが進行している。2022年のデータになるが、商品比較サイト『セグジョ・プントイット』によると、25歳以下の回答者のうち「18歳までに免許を取得した」と答えた割合は53%にとどまった。いっぽう50歳以上の回答者で「18歳になってすぐに免許を取得した」と答えた割合は80%だった。免許に対する関心が減っていることがわかる。
また、イタリア自動車クラブ(ACI)およびイタリア統計局(ISTAT)の調査によると、2011年から2021年の10年間で、25歳以下の人口の減少率は3%であった。にもかかわらず、同じ期間に25歳以下の自動車所有者数は、102万6538人から59万0023人へと43%も減少している。同様に2012年と2022年を比較したデータでも、33%の減だ。
クルマを持ちにくい理由
統計を報じたイタリアのメディアは、若者の収入の減少、クルマの値上がり、シェア自転車など代替交通手段の普及、さらに環境意識の高まりを背景に挙げている。
筆者の観察を付け加えれば、安い中古車を購入しても進入できる地域が限定される不便さ(これについては当連載「第918回:100万人がクルマ放棄を余儀なくされる? イタリアの排ガス規制」を参照されたい)があろう。もうひとつは、生活上自動車への依存度が高い地方都市や農村部の人口減少だ。例として、筆者が住むシエナ県の人口は2010年は27万人を超えていたのに対して、2023年は26万人を切った。いっぽう、同じ期間に大都市ミラノの人口は、132万人から2023年の137万人へと増加している。
初心者が運転できる自動車が制限されていることも問題だろう。イタリアでは日本の普通自動車免許に相当するB免許を取得してから3年間は、75kW(120PS)/tを超えるパワーウェイトレシオの車両は運転できない。さらにハイブリッド車や電気自動車を含む乗用車では、トルクが大きいことを理由に最高出力が105kW(143PS)を超える車両は禁止だ。家に何台クルマがあっても、運転できない場合があるのだ。
もちろん若者の免許離れへの対策も講じられてきた。2011年に導入されたもので、17歳以上で125ccの二輪免許保持者は、規定の研修を受け、同乗者がいれば上述の車両を運転できるようになった。ただし同乗者の制限がややこしい。3人まで選択できるのだが、60歳未満の両親もしくは保護者のみで、過去5年に重大な違反行為や免許停止処分歴がないことが条件だ。
イタリアにおける若者の免許離れを食い止める決定打は、いまだない。シエナ旧市街で長年にわたって営業していた自動車教習所が廃業したのも、そうした時代を象徴している。
その常識、最近のものです
ここからが今回の本題である。冒頭のイタリア人夫妻の場合は、自分たちの時代との比較をしただけで、とくに子どもたちが免許を取ろうとしないことを非難する様子は見せなかった。比較的時間が自由になる会社経営者で、子どもたちに頼まれれば、いつでも運転手役をできることや、息子のほうは仕事上世界を飛び回っているので、家にいる時間が少ないことがある。
いっぽうで、夫妻とは対照的にイタリアでも日本でも、免許を持たない若者をあからさまに嘲笑する人が存在する。筆者はそうした人々に出会うたび、複雑な心境になる。
クルマを購入するために働くというライフスタイルは、20世紀型の大量消費社会で構築されたマーケティングの成果である。「免許を取得して当たり前」はその前段階として設けられ、刷り込まれたドグマといってよい。
ただし、スキルの社会的評価というのは、社会と密接に関連して変化する。長年にわたる常識だと錯覚しているもののなかには、実は意外に歴史の短いものがあったりする。音楽家がいい例だ。W.A.モーツァルトより前の時代、作曲家や演奏家の地位は高くなかった。宮廷や貴族のいわば召し使いであり、ときに移動や服装が制限されていた。芸術家としての地位が定着していったのは19世紀以降であり、200年ちょっとの歴史しかない。
運転という行為は馬車時代、多くは御者の仕事であった。変化をもたらしたのは、19世紀末の実用的なガソリン自動車の登場だった。富裕層がみずから余暇に運転を試み始め、競技に参加する、いわゆるジェントルマンドライバーという種の人たちも生まれた。続いて運転手を雇う人件費高騰と自動車の価格低減により、みずから運転する人が爆発的に増えた。これにより、いつでも、どこへでも、楽に速くという自動車の最大の美点を多くの人々が享受するようになった。だが、視点を変えれば、貨物や他者のためでなく、個人移動や、ましてや走りを楽しむために車輪付きの乗り物を運転しているのは、長い人類史のなかで100年と少しという、まばたきをするような短い期間なのである。自動車愛好者以外に自慢すべき能力ではない。
自動車の運転が今日のように簡単になったのも、きわめて短い期間だ。「免許を持たない人」を嘲笑する人のなかで、第2次世界大戦前のグランプリカーの、手押しポンプによる燃料圧送や点火時期調整をできる人は少ないのではないか。今日、自動車を運転できると自慢する人は、たった130年ちょっとの自動車史のなかの、きわめて短い間の作法を繰り返しているにすぎないのだ。
ついでにいえば「免許持ってないのか」を口にする人の多くは、今日の自動車メーカーで、運転免許を持たない人がさまざまな開発部門に従事していることを知らない。
イタリアと比較して、とりわけ日本で「免許持ってないのかよ」でマウントをとる人が多いのは、「◯◯道」「△△道」という、なんでも高尚な教え風にしてしまう文化も作用している。ドラテクと称し、それを援護射撃した自動車メディアの責任もあろう。
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自動車嫌いを増やさないために
それでも自動車業界は引き続き、運転の楽しさを訴求することこそ販売を促進できる最高の手法と考えているふしがある。しかし、それだけでは若者の免許離れや免許返納人口の増加に対応できない。筆者が提唱するのは、クルマ嫌いを増やさない雰囲気の醸成だ。運転だけでなく、見て楽しむ鑑賞派、文化としてクルマに関する知識を楽しむ"お話派”ファンが生息しやすい環境を整備することだ。彼らはたとえ運転できなくても、自動車嫌いとなって自動車や運転する人を攻撃することはなく、クルマ文化の理解者として、公共交通機関との共生を冷静に提案するだろう。ついでにいえば、うるさい先達が多い世界に未来はない。かつてのアマチュア無線や高級オーディオを見ればわかる。
先日、ヨーロッパ各地で展開する大型ファッション店を訪れたときだ。2025年はフォードとホンダの商標・意匠ライセンスを取得したスウェットやTシャツを展開していた。それを見た筆者は、もはや自動車ブランドは憧れの対象ではなく、ノスタルジー、つまり懐メロなのではないか? という不安が頭をよぎった。それでも嫌われていたらアパレルのデザインとして採用されないと思うと、まだまだ自動車の好イメージは保たれているに違いない。そうした状況を継続させる意味でも、「免許持ってないのかよハラスメント」はあってはならないことなのである。
(文=大矢アキオ ロレンツォ<Akio Lorenzo OYA>/写真=大矢麻里<Mari OYA>、Akio Lorenzo OYA/編集=堀田剛資)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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