幻の「R383」が36年目の富士デビュー、「NISMO FESTIVAL 10th Lap Special」開催
2006.12.05 自動車ニュース幻の「R383」が36年目の富士デビュー、「NISMO FESTIVAL 10th Lap Special」開催
2006年12月3日(日)、今年で10回目を迎えた日産モータースポーツファンの祭典「ニスモフェスティバル」が富士スピードウェイで開かれた。
■予期せぬ天候
午後から雪に見舞われ、模擬レースをパレードランに変更せざるを得なかった昨2005年のニスモフェスティバル。今年は天気予報で一日中快晴と聞いていたので、我々取材班は雨具の用意をせずに富士スピードウェイに向けて出発した。
東名高速が事故渋滞との情報を受けて、中央高速から東富士五湖道路経由にルート変更。山中湖IC付近で見た、朝日を受けて輝く富士山の姿に好天を確信した直後に、「トンネル出口ユキ」という予期せぬサインが。
にわかには信じがたかったものの、籠坂トンネルを抜けたら、まるで小説のようにホントに雪だった。チェーン規制が行われるほどの降雪ではなかったものの、流れは一気にスローダウン、反対車線には運悪く滑ってクラッシュしてしまったクルマまでいた。
須走ICで降り、富士スピードウェイに近づくにしたがって雪はみぞれに、そして小雨へと変わったものの止むことはなく、到着してみるとコースは完全なウェット状態となっていた。
それでも午前9時、オープニングセレモニーが始まる頃には雨雲が切れ、日が射し始めたが、いざサーキット上のプログラムがスタートすると、無情にも再び雨滴が落ち始めた。その後もこんな調子で、小雨が降ったり止んだりの状態が続いたが、プログラムは予定されていたタイムスケジュールどおりに順調に進められた。
■レース中止で幻となった「R383」初デモラン
10回目となる今回の目玉となるプログラムは、1970年に製作されたプロトタイプレーシング「R383」の、36年目にして初となるデモラン。
68年、69年の日本グランプリをR381とR382で連覇した日産が、3連覇を目指して作り上げたものの、当のグランプリが中止されてしまったため、一度も実戦に出場することがなかった「幻のマシン」である。
ステアリングを握ったのは、長谷見昌弘。もともと日産のドライバーだったが、60年代当時最強のプライベートチームだった「滝レーシング」に移籍して、ポルシェやローラを操り名を上げた後に日産に復帰、その後長らく活躍した天才肌のドライバーである。
彼は「そもそも僕はこのR383に乗るために日産に呼び戻されたんだけど、残念ながら乗る機会がなかった。今回はシェイクダウンなのであまりスピードは出せないけれど、とにかく乗ることができてうれしい」とコメントしていたが、そのR383をはじめR380-II、R381、R382という歴代のR380シリーズ4台が一斉にエグゾーストノートを轟かせたシーンは、オールドファンには感涙ものだったに違いない。
■100台以上の日産旧車がパレード
そのほかのプログラムは「マーチカップ・エキシビジョンレース」「Zカーチャレンジ」「カテゴリー混走模擬レース」「グリッドウォーク」「ピットワークシミュレーション」など。
いずれもニスモファンにとってはおなじみの、特に目新しいものではないが、グループCカー、グループAカー、そして歴代のGTカーなど計20台以上のマシンが繰り広げるバトルは、疑似とはいえ迫力満点。
1950年代からの「モータースポーツ資産」をきっちりと保存・管理している日産/ニスモだからこそ実現可能なプログラムといえるだろう。
「ヒストリー」を大切にするという点においては、フェスティバルに集まるファンも同様。一般オーナーによる「クラシックカーパレード」には、100台以上の日産旧車が参加した。ちなみに車種は通称ハコスカと呼ばれる3代目C10系を中心とするスカイラインが半分以上で、残りがフェアレディ、ブルーバード、サニーなどだった。
さて、取材を終えて編集部に戻り、当日の天気予報(結果)をチェックしたところ、富士スピードウェイのある静岡県駿東郡小山町の天気は、一日中晴れていたことになっていた。これがホントならば、サーキット上空だけが局地的に雨に祟られていたのだろうか?
(文と写真=田沼 哲)
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