第74回:古ぼけたフォードのワゴンが乗せる家族の希望
『とらわれて夏』
2014.04.30
読んでますカー、観てますカー
囚人役が続くジョシュ・ブローリン
ジョシュ・ブローリンは、このところやけに囚人づいている。6月公開の『オールド・ボーイ』では、突然拉致されて20年間監禁される男を演じている。日本のマンガが原作で、2003年にパク・チャヌクによって映画化された作品のリメイクだ。長い期間の変化を見せなければならないので、おなかをプックリさせるところから筋肉ムキムキまで体を改造している。30人以上もの敵をカナヅチで殴り殺す凶暴な男だ。
『とらわれて夏』でも、彼が演じるのは囚人だ。しかも、脱獄囚である。どんな悪党ぶりを見せるのかと思いきや、こちらはいい人だった。『オールド・ボーイ』の時とは、顔つきまで違っている。趣味はお菓子作りというのだから、残忍非道な無頼漢のはずがない。ブローリンが演じるフランクは誤って人を殺してしまったが、そのことを深く悔いている。懲役18年の刑で服役していたところ、盲腸の手術を受けた時に病院から脱走した。
彼はスーパーマーケットに逃げ込み、雑誌売り場にいた少年ヘンリー(ガトリン・グリフィス)に助けを求める。彼は、母のアデル(ケイト・ウィンスレット)と月に一度の買い物に来ていた。
離婚した母は心を病んでいて、人とうまく接することができない。13歳のヘンリーは、自分が彼女を支えなければならないと考えている。“一日夫券”を渡して、肩たたきやお手伝いを申し出たりしている。
クルマに乗って心ここにあらずの母がシフトをNのままで発進しようとすると、黙ってRに戻してあげる。聡明(そうめい)な少年だ。
アデルは見知らぬ男を助けるのをためらうが、フランクは強引にクルマに乗り込んでくる。声をあげて逃げ出すこともできたはずだが、そうしなかった。
エロチックなピーチパイ作り
アデルが乗っているのは、1970年代初めの「フォードLTDカントリー スクワイア」だ。物語は1987年のニューハンプシャー州が舞台になっているので、かなりのぼろグルマである。側面がウッドパネル仕様になっているのがいい味を出している。このクルマは、母子の経済状態も示している。アデルは働いている様子もなく、別れた夫からの養育費でほそぼそと暮らしているのだろう。
フランクは、足が治るまで居させてほしいと話す。危害は与えないと言うが、テレビでは凶悪犯が脱獄したと報じている。それを知りつつかくまえば、母子ともに罪に問われるだろう。フランクは、人質に見せかけることを提案する。手足を縛ってしまえば、抵抗できなかったと言い訳ができるというのだ。
アデルを椅子に座らせて手足を拘束し、フランクはチリビーンズを作り始める。できあがると、スプーンで彼女の口元に運んで食べさせる。このあたりから、観客は妙な気分になってくる。この光景が、ある種の“プレイ”にしか見えないのだ。熱い料理に息を吹きかけて冷まし、アデルの口にそっと含ませる。繰り返すごとにふたりの心が通じ合っていく。
かたわらで見ているヘンリーにも、それは伝わるだろう。彼は性愛に目覚める直前の段階にいる。母から「セックスは単なる生殖ではなくて、男女が心と体を重ねることだ」と聞いていた。なんとなく理解できるが、実際には何も知らない。教室で前に座った女の子のシャツからブラジャーのヒモが透けて見えるだけでドギマギしているガキなのだ。
隣人が採れすぎた桃を届けにくると、フランクはピーチパイ作りを提案する。3人で桃をむき、砂糖をかけて手でつぶしていく。ボールに粉を入れ、塩と水でこねる。フランクはアデルの手を取り、一緒に作業をする。ふたりは互いの動きに合わせるように、ゆっくりと手を触れ合わせる。『ゴースト/ニューヨークの幻』でロクロを回したのと同じで、この上なくエロチックな行為である。
母を愛し、父を渇望する少年
ヘンリーは、ふたりが通じ合う場面を見たわけではない。くぐもった声でひそやかにささやき合う様子が漏れるのを聞き、遠慮がちなスキンシップを横目で見るだけだ。それでも、濃厚な性愛の気配は隠すことができない。フランクは“一日夫券”を使う必要などないのだ。母は、自分ひとりの独占物ではなくなろうとしている。物語がヘンリーの視点から描かれることで、ひとつひとつの行為の意味がゆらぎを持つ。少女の視点で大人の世界を見た『メイジーの瞳』と同様に、出来事にはさまざまな意味が重ねられていることが浮かび上がってくるのだ。
ケガが癒えつつあったフランクは、一日中よく働いた。朝食を作り、部屋を掃除してワックスをかける。長い間放っておかれていたらしいクルマのオイルを交換し、壊れていたウインカーを修理する。ヘンリーが野球を苦手にしていることを知ると、キャッチボールを教える。この家に欠けていた父親が、理想的な姿で帰ってきた。ヘンリーは母を失うことを恐れながらも、父の優しさに触れることを渇望している。
フォードのワゴンは、この状況を一変させる希望を担うことになる。小さな町を出て新しく自由な生活を始めるという夢は、いかにも旧式なクルマによってかなえられるかに見えた。外見は薄汚れているが、3人と荷物を乗せて走るには十分だ。フランクも、つらい過去があったにせよ、今は新たな家族を得る希望を抱いている。
監督は、『JUNO/ジュノ』『ヤング≒アダルト』のジェイソン・ライトマンだ。この作品では皮肉をきかせた作風を封印し、ストレートに愛と家族の物語に取り組んだ。まだ36歳の若さだが、大人のエロチシズムを見事に描いている。ケイト・ウィンスレットを起用したのは正解だった。『タイタニック』の頃とは異なり、最近の彼女は『愛を読むひと』や『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』などで熟しすぎた果実のような魅力を発している。あからさまに言うとオバサン体形なのだが、そのリアリティーの濃さが作品の芯となっている。
試写室でのすすり泣きの多さは、最近の映画の中では群を抜いていた。万全の準備をして映画館に出掛けることをおすすめしたい。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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