第566回:「ゴルフ」の前に散ったフィアット車
初代「ティーポ」30周年に思うこと
2018.08.10
マッキナ あらモーダ!
気がつけば30年
イタリア国内の2018年7月新車登録ランキングを見ると、1位「フィアット・パンダ」(7814台)、2位「フィアット500X」(5302台)、3位「ルノー・クリオ」(5138台)である。それらトップ3に次ぐ4位は、「フィアット・ティーポ」(3708台)だ。
ティーポは欧州Cセグメントの小型車である。2代目である現行型はトルコの合弁会社トファスで生産が行われている。2015年にまずセダンがイスタンブールショーで発表され、続いて2016年にハッチバックとワゴンが追加された。
もはやイタリア各地の路上で頻繁に見かける2代目ティーポだが、いまだイタリアでは、“Tipo”といえば初代ティーポを思い出す人が少なくない。
その誕生からちょうど30年ということで、今回は初代ティーポを振り返りたい。
正しくは「Tipo.」
まずは当時のフィアットから解説しよう。
1979年から乗用車部門のトップを務めていたヴィットリオ・ギデッラ(1931-2011)は、フィアット/ランチアをより訴求力あるブランドにすべく、ラインナップの刷新を進めていた。
彼が企画した1983年「フィアット・ウーノ」、1984年初代「フィアット・クロマ」、その姉妹車である1985年初代「ランチア・テーマ」などは、次々とヒットした。その傍らで、公営だったアルファ・ロメオの吸収とそのブランド再構築も主導した。
ティーポもそれらに続く製品として、従来車種「リトモ」の後継車という位置づけで企画された。
発表は1988年1月。当時の自動車メディアは“フィアットの本気が、ついに本格的な「フォルクスワーゲン(VW)ゴルフ」のライバルを生んだ”といった感じのニュアンスで紹介したものだった。翌1989年にはヨーロピアン・カー・オブ・ザ・イヤーも獲得した。ちなみに、バッジやカタログの表記は「Tipo.」と、今思えば「モーニング娘。」風にピリオドが打たれていた。
なお、生みの親であるギデッラはティーポの発表と同じ1988年、財務畑出身のチェーザレ・ロミティとの社内抗争に敗れてフィアットを去っている。
自分で買おうとまで思わせたデザイン
ここからはしばらく、個人的な述懐をお許しいただきたい。ティーポのカー・オブ・ザ・イヤー受賞と同じ1989年、ボクは東京で自動車誌『SUPER CG』の編集記者となった。
入社して数カ月がたつと姉妹誌である『カーグラフィック』の編集部に、輸入開始されたばかりのティーポが長期テスト車として加わった。発売当初、唯一用意された1.6リッター版だったと記憶している。納車当日、早速ガレージまで見に行った。
ティーポのエクステリアデザインは、当時はまだ新興だったデザイン開発会社I.DE.Aイスティトゥートによるものだった。その6ライトのハッチバックボディーから受ける印象は、ジウジアーロやベルトーネが手がけた過去のフィアットからすると、やや重めだった。ただし、ボディー表面の見切り線のポジションやR(曲面)からは、他のカロッツェリア作品とは異なる斬新さが感じられた。
エクステリア以上に感動したのは、ダッシュボードだった。その水平基調のデザインは、マリオ・ベリーニが手がけたオリベッティの電子タイプライター「ET 101」シリーズを思わせた。そこに、これまたモダンな書体の、グラフィカルなデジタルメーターが光る。ウインカー&ワイパー類のレバーも、アイデアスケッチをそのまま形にしたような未来感あふれるものだった。
後日、借りて運転してみた。それまでボクが知っていたチープなイタリア車やフランス車と比べると、靴の上から足をかくようなもっさりとしたステアリング&シフトフィールは、高級感を目標にしながらそれを達成しきれなかった感があった。ツインカムエンジンというスペックから期待しがちなレスポンスの鋭さにも欠けていた。
しかしながら前述のような個性的なエクステリア&インテリアが醸し出す魅力は、そうした操縦上の感覚に対する不満を帳消しにするに十分だった。リトラクタブルヘッドライトだけに魅了されて、ちょっと古いクルマを買ってしまう人をボクは決して笑えない。
会社のティーポに感激したボクは、一時プライベートカーとして購入を検討するまでに至った。ただし残念なことに、当時フィアットを輸入していた住友商事系のサミットモータースが、当初はAT車を導入しなかった。加えて心から気に入るボディーカラーがカタログになかった。結局代わりに、より安価、かつ「セレクタ」と名付けられたCVT版があった妹分の「ウーノ」を購入した。
イタリアで“再会”したものの……
時は流れて、ボクがイタリアに住み始めた1996年は、ティーポから後継車である「ブラーヴォ/ブラーヴァ」に切り替わった翌年だった。
やがて自分でもクルマを探すことになり、近所のフィアット販売店の中古車コーナーを訪ねると、ティーポが置かれていた。「Automatico」、つまりオートマチックの張り紙もあった。東京で乗っていたウーノと同じCVTである。値段も悪くなかったと記憶している。
「今度こそティーポか」と思って室内をのぞくと、前オーナーはステアリングに旋回を補助する装置を付け、加減速の双方を手で行えるレバーも付加していた。20年近く前、イタリアでATといえば、ハンディキャップのある人のためのクルマという側面が小さくなかったのである。
補助機器はいずれもメカニカルな方式だったので、取り外してもらえば普通のATとして乗れるはずだった。ただし、シートがひどく傷んでいたこと、タイヤ4本の空気がすべて抜けていたこと(ちょっと前まで、ディーラー中古車でもそんな状態で並んでいることがあった)、そして何より例のデジタルメーターではなかったこともあって購入を断念した。
急速に消えていった理由
商品という観点で記せば、ティーポが「ゴルフ」の牙城を切り崩すことはなかった。世界的な生産台数は、ゴルフIIIが約480万台だったのに対して、ティーポはブラジルやトルコ工場の分を含めても約190万台にとどまった。
イタリアに関していえば、ティーポは街から急速に姿を消していった。
理由は明らかである。イタリア政府が1997年から導入した新車購入奨励政策だ。市場の活性化と低公害車への切り替えをもくろんだもので、以後複数回にわたって行われた。本欄565回で記した中古車無償引き取り制度も、その一環であった。
ティーポのガソリン/ディーゼルエンジンのラインナップは、一部の大排気量バージョンでこそ欧州環境基準のユーロ1準拠であったが、売れ筋だった低排気量エンジンはキャブレター仕様で、そのユーロ1でさえ満たしていなかった。したがって人々は、こぞって古いティーポを差し出して、代わりに新車を購入したのである。
時を同じくして、イタリアでは性能が良く、かつ公害対策のための重加算税の適用対象とならないコモンレール式ディーゼルが人気を集めはじめた。これも古い型式のディーゼルを搭載したティーポを捨てる人々を加速させた。
後述するようにスペースユーティリティーに優れ、信頼性はそこそこ高かったのだが、ことイタリアでは変化する制度についてゆけなかったのである。
元オーナーに聞く
今回の執筆を機会に、かつて初代ティーポオーナーであった、フランコさんに話を聞くことにした。
小さな印刷所を営んでいたフランコさんは、フィアットの「124」と「128」、そしてパンダと乗り継いだのち、ティーポに至った。エンジンの中で最もベーシックな1.1リッター版のガソリン仕様だった。「中古車を手に入れたんだ。走行4万5000kmだったよ」とフランコさんは詳細に覚えていた。
イタリアの大学の採点になぞらえて110点満点でティーポを評価してもらうと、「70~80点」という。満点ではない理由は、「ボディーサイズ」であったという。全長3.98mはともかく、1.7mという全幅は、フランコさんのガレージにはやや大きすぎて、少々手を焼いたという。しまうのが面倒でガレージの前に置いておいたら、駐車違反で反則切符を切られてしまったという笑えない話もあった。参考までに、イタリアの都市部では、たとえ自分の家であっても、道路に面したガレージをふさぐのは、取り締まりの対象である。
フランコさんは結局ティーポに約10年乗り、オドメーターが20万kmに達したところで前述の買い替え奨励策を利用して手放した。次に買ったのは、よりコンパクト(全長3.86m×全幅1.667m)な初代「シトロエンC3」だった。
フランコさんにはティーポの美点も語ってもらった。「徒歩通勤だったので、平日にはティーポに乗らなかった。でも、週末は山の家にモノを積んで行くのに、大いに役立ったね」と回想する。単に容積でなく有効に使える形状のラゲッジスペースは、フィアットの伝統である。
もうひとつのチャームポイントは「定期整備をしておけば、決して壊れなかったこと」だという。マイナートラブルは別にして、整備しておけば忠実に動くという、イタリア人がよく言うフィアットの美点を引き継いでいたわけだ。
ところで、イタリアで例のデジタルメーター仕様には今日まで出会ったことがない。これにも理由があった。デジタルメーターは、パワーウィンドウ、集中ドアロックなどがセットになった、「DGT」と呼ばれる高価なパッケージオプションだったのである。実質を重んじるイタリア人の中で、あえてそれを注文するユーザーは極めて少なかったのだ。なにしろイタリアではエアコンでさえ注文する人が少なかった時代である。
フランコさんがそうであるように、元ティーポユーザーの中で、それがギデッラ肝入りのプロジェクトであったとか、I.DE.Aをカーデザイン界に知らしめた作品であるといったことを知る人は極めてまれに違いない。
しかし真面目な実用車として、イタリア人の暮らしに寄り添っていたことは、まぎれもない事実である。
(文=大矢アキオ<Akio Lorenzo OYA>/写真=Akio Lorenzo OYA、FCA/編集=藤沢 勝)

大矢 アキオ
Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。
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