企業買収にトップ交代 名門マクラーレンはこれからどうなる?
2025.06.02 デイリーコラム変わるマクラーレンの“後ろ盾”
今から7、8年前のことだ。筆者はシンガポールGPを訪れていた。かの有名なホテルのプールサイドにあるバーで仲間内とクルマ談義をしていると、隣に座っていたアラブ系の男性が話しかけてきた。バーレーンからのGP客らしくF1話ですぐに打ち解けた。
ところでどんなクルマを持っているの? と、興味本位(中東からやってきたクルマ好きだぜ?)で聞いてみれば「マクラーレン」と言うので、モデル名も尋ねてみた。すると少し間をおいて「全部だ」という。そりゃすごい! さすがアラブの方だ。そういうこともあるだろうと妙に納得し、話はそのまま別の話題に移った。
翌日。市街地サーキットのパドック裏をぶらぶらしていると向こうから昨日のアラブ人が数人を引き連れて歩いてくる。マクラーレンチームのユニフォームを来たスタッフもいる。何気なしに声をかけると、親しげに右手を差し出してくれた。「昨日はすっかりごちそうになってしまって」「いやいや楽しかったよ」などと他愛(たわい)もない立ち話をし、そのまま彼らは去っていった。
しばらくしてマクラーレンの関係者が戻ってきた。「彼とは知り合いなのか?」と聞くので、昨夜バーで一緒に飲んでごちそうしてもらっただけだよと言うと、「彼はバーレーン政府の要人で、つまりはチームオーナーよ」。
カップ麺をすすっていたら箸ごと落としていたことだろう。なるほど、“全部”とはそういう意味だったのか。
2025年4月、マクラーレン・オートモーティブの全株式とマクラーレン・レーシングの非支配株がバーレーンのムムタラカット・ホールディング・カンパニーからアブダビのCYVNホールディングスLLCに移譲されたことが発表された。
ムムタラカットはバーレーンの国立銀行を含む非石油系大手企業を一手に監督する政府系ファンド(冒頭の御仁はその担当大臣だったらしい<汗>)。一方、CYVNもまたアブダビ政府の所有になる投資ファンド会社だ。事実、2024年12月の契約発表会見には両国の皇太子が出席した。要するにマクラーレンの後ろ盾がバーレーンからアブダビに移ったというわけだった。
![]() |
組織と役者がそろったところで……
ムムタラカットは2007年にロン・デニス(敬称略)やマンスール・オジェの要請に応じてマクラーレンへの投資を始めている。時期的にいえば、まさにマクラーレン・オートモーティブの誕生前夜。いってみればバーレーン政府こそマクラーレンにおけるロードカービジネスの経済面での背骨だった。
そんなムムタラカットは2024年3月にグループの全株式を取得し全権を握ると、外部からのさらなる投資を募っていたようだ。そこで手を挙げたのがCYVN=アブダビ政府だった。
ポイントはCYVNが電動化時代を見据えた次世代モビリティーへの投資を積極的に推進しているという事実。電動モデルを中心に新たな英国ラグジュアリーブランドを模索中だったフォーセブンやiストリームの特許を含むゴードン・マレー・テクノロジーズ(GMT)を所有するほか、中国の新興EV メーカーのNIOにも投資する。ちなみにGMTはゴードン・マレー・オートモーティブ(GMA)とは別の組織で、今のところGMAの「T.50」や「T.33」といったスーパーカーおよびその知的財産への影響はない。
フォーセブンとマクラーレン・オートモーティブは今後、マクラーレン・グループ・ホールディングス(MGH)として活動することになるという。MGHのCEOには長年JLR(ジャガー・ランドローバー)で開発を担ってきたフォーセブンCEOのニック・コリンズが任命された。現行世代の人気モデル、「レンジローバー」や「ディフェンダー」などはすべて彼の指揮下で開発されたもの。これに伴い、ポルシェやフェラーリで開発部門を率いマクラーレンのCEOとなっていたマイケル・ライターズは辞任している。
フォーセブンは設立されて3年がたつ。とはいえ、市販車はおろかコンセプトカーも世に問うていないスタートアップ企業だ。どのように次世代の英国ラグジュアリーを表現するのか模索中であったのだろう。人材だけは豊富に集めており、例えばコリンズとJLRで同僚だったアリスター・ウェラン(「ジャガーFタイプ」や「Fペース」のインテリアデザイン)がデザイン部門を率いているし、ロータスでコマーシャルダイレクターを務めたマイク・ジョンストーンもいる。彼らは引き続き、MGHをけん引することになるだろう。
新プロダクトへの期待は高まる
フォーセブンによる研究開発は電動モデルが主体だった。けれどもマクラーレンと合流したことで、その範囲は内燃機関にも広がることになる。マクラーレン側にとっては懸案だったモデルバリエーション展開を一気に推し進める物資両面でのカンフル剤になる。もちろんBEVという選択肢もその一つになるはず。
コリンズはブリティッシュブランドへのこだわりを強くみせている。前歴をみれば彼の手腕に疑う余地はない。デザイン面ではウェランとともにマクラーレンの英国製スーパーカーブランドとしての価値をさらに引き上げてくれるであろうこともまた大いに期待できる。
一方、パフォーマンス面においても、コリンズが関わった「レンジローバー・スポーツSV」の高い完成度をみれば、気が早いけれどもマクラーレン製スーパーSUVが仮にすぐさま登場したとしても、きっと面白いモデルになるのではないだろうか。
豊富な資金力を持つといわれるCYVNを後ろ盾に、マクラーレンがヘリテージを守りつつ、つまり軽くてドライバーズリンケージに優れたモデル開発をさらに推し進め、近い将来、われわれをもっともっと驚かせてくれることに期待したい。青写真は2025年秋にも発表されるという。
ちなみにただいま絶好調のマクラーレン・レーシングについてはCYVNが非支配株(大株主以外の株)を取得したと、同時に発表されている。レーシングチームはマクラーレン・グループ傘下にあったが、アメリカのMSPスポーツキャピタルなど外部資本の力も大きく、またムムタラカット(バーレーン)も主要株主のまま。つまりポール・ウォルシュとザグ・ブラウンによるチームの運営体制は今後も変わらないというわけだ。
(文=西川 淳/写真=マクラーレン・オートモーティブ、ゴードン・マレー・オートモーティブ/編集=関 顕也)

西川 淳
永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。
-
開幕まで1週間! ジャパンモビリティショー2025の歩き方NEW 2025.10.22 「ジャパンモビリティショー2025」の開幕が間近に迫っている。広大な会場にたくさんの展示物が並んでいるため、「見逃しがあったら……」と、今から夜も眠れない日々をお過ごしの方もおられるに違いない。ずばりショーの見どころをお伝えしよう。
-
トヨタ車はすべて“この顔”に!? 新定番「ハンマーヘッドデザイン」を考える 2025.10.20 “ハンマーヘッド”と呼ばれる特徴的なフロントデザインのトヨタ車が増えている。どうしてこのカタチが選ばれたのか? いずれはトヨタの全車種がこの顔になってしまうのか? 衝撃を受けた識者が、新たな定番デザインについて語る!
-
スバルのBEV戦略を大解剖! 4台の次世代モデルの全容と日本導入予定を解説する 2025.10.17 改良型「ソルテラ」に新型車「トレイルシーカー」と、ジャパンモビリティショーに2台の電気自動車(BEV)を出展すると発表したスバル。しかし、彼らの次世代BEVはこれだけではない。4台を数える将来のラインナップと、日本導入予定モデルの概要を解説する。
-
ミシュランもオールシーズンタイヤに本腰 全天候型タイヤは次代のスタンダードになるか? 2025.10.16 季節や天候を問わず、多くの道を走れるオールシーズンタイヤ。かつての「雪道も走れる」から、いまや快適性や低燃費性能がセリングポイントになるほどに進化を遂げている。注目のニューフェイスとオールシーズンタイヤの最新トレンドをリポートする。
-
マイルドハイブリッドとストロングハイブリッドはどこが違うのか? 2025.10.15 ハイブリッド車の多様化が進んでいる。システムは大きく「ストロングハイブリッド」と「マイルドハイブリッド」に分けられるわけだが、具体的にどんな違いがあり、機能的にはどんな差があるのだろうか。線引きできるポイントを考える。
-
NEW
開幕まで1週間! ジャパンモビリティショー2025の歩き方
2025.10.22デイリーコラム「ジャパンモビリティショー2025」の開幕が間近に迫っている。広大な会場にたくさんの展示物が並んでいるため、「見逃しがあったら……」と、今から夜も眠れない日々をお過ごしの方もおられるに違いない。ずばりショーの見どころをお伝えしよう。 -
NEW
レクサスLM500h“エグゼクティブ”(4WD/6AT)【試乗記】
2025.10.22試乗記レクサスの高級ミニバン「LM」が2代目への代替わりから2年を待たずしてマイナーチェンジを敢行。メニューの数自体は控えめながら、その乗り味には着実な進化の跡が感じられる。4人乗り仕様“エグゼクティブ”の仕上がりを報告する。 -
NEW
第88回:「ホンダ・プレリュード」を再考する(前編) ―スペシャリティークーペのホントの価値ってなんだ?―
2025.10.22カーデザイン曼荼羅いよいよ販売が開始されたホンダのスペシャリティークーペ「プレリュード」。コンセプトモデルの頃から反転したようにも思える世間の評価の理由とは? クルマ好きはスペシャリティークーペになにを求めているのか? カーデザインの専門家と考えた。 -
トヨタ・カローラ クロスGRスポーツ(4WD/CVT)【試乗記】
2025.10.21試乗記「トヨタ・カローラ クロス」のマイナーチェンジに合わせて追加設定された、初のスポーティーグレード「GRスポーツ」に試乗。排気量をアップしたハイブリッドパワートレインや強化されたボディー、そして専用セッティングのリアサスが織りなす走りの印象を報告する。 -
SUVやミニバンに備わるリアワイパーがセダンに少ないのはなぜ?
2025.10.21あの多田哲哉のクルマQ&ASUVやミニバンではリアウィンドウにワイパーが装着されているのが一般的なのに、セダンでの装着例は非常に少ない。その理由は? トヨタでさまざまな車両を開発してきた多田哲哉さんに聞いた。 -
2025-2026 Winter webCGタイヤセレクション
2025.10.202025-2026 Winter webCGタイヤセレクション<AD>2025-2026 Winterシーズンに注目のタイヤをwebCGが独自にリポート。一年を通して履き替えいらずのオールシーズンタイヤか、それともスノー/アイス性能に磨きをかけ、より進化したスタッドレスタイヤか。最新ラインナップを詳しく紹介する。