第282回:F-150に乗ったマッチョ男はシリアルキラー……?
『ストレンジ・ダーリン』
2025.07.10
読んでますカー、観てますカー
赤いクーペと黒いトラック
モノクロ映像で暗闇の中にタバコを吸う男が映し出される。女が聞く。
「シリアルキラーなの?」
<2018年から2020年にかけて今世紀最凶かつ異色のシリアルキラーが全米を震撼(しんかん)させた。事件はコロラドを皮切りにワイオミング、アイダホへと広がりオレゴンの山奥にて終幕を迎えた。この物語は警察や目撃者の証言などさまざまな捜査資料をもとに一連の殺人事件を映画化したものである>
森を抜けて草原を走ってくる女性。何者かから逃げているようで、左耳から血を流していて必死の形相だ。真っ赤なカットソー上下というシンプルな服を着ている。看護師の制服? いや、囚人服なのだろうか。だとすれば、脱走して追っ手から逃げようとしているのかもしれない……。
不思議なことに、バックに流れているのは男女のデュエットで歌われる美しいラブソング。「♪愛は傷つけ傷痕を残す」。そして、出演者のクレジットで示されているのは名前ではなく、“レディ”と“デーモン”なのだ。
次のシーンで映るのは道路の中央線をまたいで真ん中を走ってくる赤いクーペ。それを追うように、黒いトラックが現れた。ここで『ストレンジ・ダーリン』とタイトルが示され、「全6章によるスリラー」との文言も添えられている。逃げる女、追う男。赤一色のバックに黒い文字で「第3章“助けてください”」。
え、第3章って……どういうこと?
逃げるレディ、追うデーモン
冒頭から謎だらけだ。シリアルキラーの話であることは間違いなさそうだ。逃げているのはレディで、追う男がデーモンなのだろう。レディはなぜ赤い簡素な服を着ているのか。デーモンはレディを殺そうとしているのか。観客は状況を理解できないまま物語の中に放り込まれる。
男はクルマの中で白い粉を鼻から吸い込んだ。たぶん、コカインなのだろう。彼が乗っているのは「フォードF-150」。高性能版の「SVTラプター」である。女の赤いクルマは「フォード・ピント」。1970年代のサブコンパクトカーだ。スポーティーな仕立てではあるものの、50年前のボロいクーペがパワフルな現代のピックアップトラックにかなうわけがない。
彼は追うのをやめてトラックを止め、荷台に上ってライフルで赤いクーペを銃撃した。リアガラスが割れ、驚いた女は運転を誤り横転。森の中に逃げ込み、男から逃れようとする。男は薄い黄色のサングラスをかけており、タバコを吸いながら不敵な表情を浮かべた。なんだか見覚えがあると思ったら、『シビル・ウォー アメリカ最後の日』でジェシー・プレモンスが怪演した赤サングラスの差別主義者に似ている。
男を演じているのは、ワイルド系イケメンのカイル・ガルナー。『ディナー・イン・アメリカ』では泥棒でヤクの売人でもあり、放火容疑で警察から追われている乱暴者のパンクロッカー役がハマっていた。暴力の匂いを発散させていて、血も涙もない卑劣で残忍な性格を持っていると思わせる。
F-150に乗っているのも、男がマッチョなセクシストであることを示唆している。アメリカで絶大な人気を博しているこのピックアップトラックは、“男らしさ”の象徴とされているのだ。ハリウッド映画ではそのイメージを人物造形に利用することが多い。本欄で紹介した作品でも『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』『ウィンターズ・ボーン』で効果的に使われていた。
3→5→1→4→2→6
クルマのセレクトにも、この映画の周到な仕掛けが隠されている。F-150のパブリックイメージを把握したうえで選んでいるのだ。よく練られた設定と精緻な構成を持った作品である。スティーブン・キングが「巧妙な傑作」とコメントしているのも理解できる。
第3章が終わると、次は「第5章“ここかい?子猫ちゃん”」。女は狭い箱のようなものの中に横たわって震えている。男はライフルを持って彼女が隠れていそうな場所を探している。どうやら第3章で女が逃げ込んだ家のようだが、4章が抜けているから何があったのかよくわからない。この後は第1章、第4章、第2章、第6章の順番で物語がシャッフルされているのだ。
時系列を入れ替えてストーリーを進めるタイプの映画は珍しくない。最近では『We Live in Time この時を生きて』がヒットしたし、『(500)日のサマー』もシャッフルラブストーリーの傑作だ。これらは恋愛のさまざまなフェイズを前後させることによって立体的に浮かび上がらせる手法だが、本作は目的が違う。観客の先入観や思い込みを暴き出し、思考を揺さぶる効果がある。
この映画の仕掛けは時系列シャッフルにとどまらない。男と女の間にかわされる会話、アバンチュールの主導権をめぐる駆け引き、色彩によるイメージのゆさぶりなど、映画的な幻惑が各所に隠されているのだ。これは簡単なことではなくて、タイムリープを使ったパラドックスなどとうたっていながら無理設定の月並みなミステリーでしかなかった凡作を最近も観た。
エピローグでは別のピックアップトラックが登場する。「シボレーKシリーズ」だ。こちらはF-150とは違って、どこか牧歌的な雰囲気をたたえている。長く愛車にしているらしい老女はいかなる運命をたどるのか。最後まで緊張感を途切れさせない。見事なエンディングである。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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