ざわめきとともに「フェラーリ・ルーチェ」発進! 業界を揺るがす名門フェラーリの秘めたる野望とは?
2026.06.08 デイリーコラム2026年5月末に披露されるや、世界的に物議を醸したフェラーリ初の電気自動車「ルーチェ」。意外すぎるルックスの新型車が目指すところは? フェラーリの事情をよく知る西川 淳が“異端の跳ね馬”の核心に迫る。
すべては予定調和?
フェラーリ・ルーチェ――これは盛大なる裏切りか、それとも未知への挑戦か。
まずは素朴な疑問から始めよう。「なんなんだ、このカタチは!」と憤っている人たちは、果たしてフェラーリ・ルーチェを購(あがな)える人たちなのだろうか(すみません、ここは怒らず続きをぜひ)。
もちろんクルマ好きとして怒るも怒らないもそれは自由だ。ただ、マラネッロはクルマ好きや場末のファンのそんな怒りをきっとあらかじめ計算に入れている。それどころか私たちが怒れば怒るほど、ルーチェの評価は(とある層のなかで)静かに、しかし確実に上がっていくのではないか。そういう構造のクルマであるかもしれないと気づいた。実際、私の知っているクルマ好きのビリオネアたちはいたって“好意的”である。
世界中のファンが騒いだ。フェラーリの株価は下落した。有名メディアやユーチューバーは(相変わらず)肯定的で、これを機に目立ちたい発信者は狂ったように否定した。
そんな状況を見てもなお、ジョン・エルカン会長とベネデット・ヴィーニャ社長には余裕があったのではないか。なぜならすべて織り込み済みだから。フェラーリほどのブランドが世界の反応を予想しないはずがない。それでもルーチェを世に出した。
ちなみにマラネッロは2025年以来、5年計画で大規模な自社株買いを実行中である。なんたる自信(ちなみに市場で取引されるフェラーリ社の株式は総数の半分以下)!
売り方の異なる自動車メーカー
自信といえば、ここで一人の男のことを思い出そう。そう、エンツォ・フェラーリだ。彼が生きていたら、果たしてルーチェをどう思っただろう?
案外に世間が思うほどには否定しなかったのではないか。エンツォはロマンチストに見えて、その実、徹底した“結果合理主義者”だった。レースで勝つためなら何でもやった。美しさも情熱も、すべては勝利のための道具にすぎなかった。顧客を選ぶという発想も、誰よりも早く実践していたのはエンツォ自身だ。気に入らない客にはクルマを売らなかった。“買う側が選ばれる”という倒錯した構造を、半世紀以上前にすでにやっていた男だ。
「12気筒以外に跳ね馬エンブレムは付けない」伝説? そんなことはない。4気筒や6気筒もあった。ディーノバッジは病で急逝し自分のようになれなかった優秀な息子に対するレクイエムだ。
発表ののち、教皇レオ14世がルーチェのハンドルを握っている。神の代理人すら、乗ってしまえば笑顔になる。エンツォもきっと「気に入らんところもあるが、欲しいというやつに売ってやれ。勝つために」くらいのことは言ってのけたに違いない。
ヴィーニャ社長がここしばらく世界中でやってきたことも、本質は同じだ。各国を回り、“フェラーリを知らない”超々富裕層(実はまだまだいらっしゃる。つい先だってフェラーリを買ったことのない富裕層のパーティーにゲストとして招かれたが、その場で購入を決断した人が何人もいた)にアプローチしていた。そして今ごろは「世界で話題の例のクルマ、法王も乗られましたが、次はあなたの番ですよ」などとトップセールスしているかもしれない。
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買う人のことしか考えない
論点をBEVやデザインの是非・好悪といった形而下(けいじか)に矮小(わいしょう)化しては、マラネッロの戦略を見誤ることだろう。それは思考停止である。事実、私も見た瞬間、一時停止した。しかし必死に考えた。過去を振り返った。そこでようやく思いが至る。ルーチェが突きつける、もっと根本的な問いに。
このクルマは、誰のためのもので、いったいなぜ今必要だったのか。前者の答えは明快すぎるほどシンプルで、それがかえって人々を動揺させたのではなかったか。約1億円の買い物を、100万円の時計でも買うように決済できる人たちにとって、ルーチェはこれまでにない商品であり、BEVであるという以前に、年産(おそらくは)1000台レベルの、街でほとんど見かけることのないミステリアスな存在、つまり希少性という愉悦の対象でもあった。排除された者の嘆きが大きければ大きいほど、閉じた世界の輝きは増す。好むと好まざるとにかかわらず、これが資本主義の冷たい正義であろう。
ラブフロムのサー・ジョニー・アイブとマーク・ニューソンはこれまでどおり、徹頭徹尾“買って使う人”のためにデザインしただけ、だ。iPhoneを思い出そう。アップルユーザーのことしか考えていなかったのではなかったか。雲の上に生きる人間の、知られざる美意識と静かな欲望に応えるためにクルマ好きでもある彼らはルーチェをデザインした。彼らに過去とのしがらみなど一切ない。あったのは豊かな想像力とクルマへの愛だけだ。
既存ファンへの配慮がない? 伝統を破壊した? 夢も希望もない? そんな心配は無用だし、そもそもスジが悪い。既存のシリーズラインナップが変わらず担っているからだ。なにもマラネッロのポートフォリオがすべてラブフロムデザインに取って代わられるわけじゃない。
ここ数年、マラネッロがいかにヘリテージを大切にしているか、われわれメディアにあの手この手でアピールしてきた。私はそれを体験的に知っている。それにもう少し待てば、そんなみんなも大好きな自然吸気12気筒のスペシャルバージョンも登場する(「GTO」か?)。うわさでは「チャレンジストラダーレ」だって3ペダルのマニュアル仕様が復活しそうだ。少なくとも2週間後には、一転、「跳ね馬の伝統は守られた!」と、お祭り騒ぎになるだろう。ルーチェで挑発し、昔の名前で黙らせる。フェラーリは終わった、などとは言わせない。
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既存のヒエラルキー外の挑戦
このたびルーチェがあらわにしたのは、BEVの人気度合いなどではなく、社会の断層だったのかもしれない。同じ発表映像を見つつ、ある者は美しいと感じ、ある者は裏切りだと怒り、ある者は静かにコンフィグし始めた。そんな反応の分布図こそ、2020年代の断面だ。このクルマをどう受け取ったかで、その人自身の世界における立ち位置が、あまりにも鮮明に浮かび上がる。いわばデモクラシーとキャピタリズムの臨界点に現れた“21世紀の社会彫刻”だ。
フェラーリ・ルーチェの本当の挑戦はデザインでも性能でもなかった。現代社会の矛盾を平然と体現し、世界にたたきつけてみせたことだ。そして、そうまでしてマラネッロが、ジョンが、ベネデットが、今すぐに取り掛かりたかったこととはいったい何なのか?
経営基盤も万全な今だからこそ挑戦できる、“次世代モビリティー百年の計”ではなかったか。
ルーチェの内装が発表されたロサンゼルスのトラットリアでエルカン会長と並んで夕食をともにしたとき、彼は「日本でフェラーリが人気の理由を教えてくれないか?」と僕に聞いてきた。そりゃまずはF1の伝統でしょう、と即答すると、彼は怖いくらいに真剣なまなざしになった。当たり前のことを言っただけなのに、どうして? とその時は思ったものだ。その違和感の正体が、ルーチェが登場した今、なんとなく分かった気がする。
彼はあのとき、わが意を得ていたのだ。やっぱりF1か、と。そしてこれから彼が挑戦する取り組みが、少なくとも間違ってはいないことを確認したのではないか。
現代のフェラーリビジネスは、まるで富士山のように美しい山型として完成されている。世界中に、ステッカーを買ってF1中継に夢中になり、マラネッロ観光を計画し、中古のフェラーリを検討するファンがいる。これが広がった裾野だ。広がった裾野は高い頂上を形成する(もしくは、裾野を広げたければ頂上を高くすればいい)。頂上はもちろんF1で、WECやGT3といったワークスのモータースポーツ活動やF1クリエンテ、クラブコンペティツィオーネGT、XXプログラムが続き、チャレンジなどジェントルマンレースあたりまでが雪をかぶった三合目あたりまで、つまり憧れの領域だ。続いて新車や中古車のオーナーが斜面を形成し、広い裾野へとつながって、きれいな山をかたちづくっている。
彼らは(ある意味、他人が生殺与奪権を持つ)F1を頂点としない、もう一つの美しい山をつくろうとしているのではないか。そこが、死にかけたブランドが起死回生でBEVに取り組む状況とは根本的に違っている。
新たな山の頂上に立つために
マラネッロは今、もう一つの美しい“フェラーリ山”をつくろうとしている。電動ワールド、もしくは次世代モビリティー時代の新山だ。私は常々、現代の自動車社会を“そのまま”電動化するという考え方は間違っていると言ってきた。「カローラ」を「リーフ」に置き換えただけではダメなのだ。電動化時代とは、まったく新しいモビリティー社会がやってくることを指す。マラネッロは、その世界でも“フェラーリ”であるために、つまり世界一のブランドになるために、今から動き出しているのではないか。
ルーチェはその第一歩にすぎないが、もう一つの山の、おそらくは麓近くにはまる最初の重要なピースなのだろう。ラブフロムはそんな新山におけるいわば“21世紀のピニンファリーナ”で、自動車デザインの現代的なセオリーをことごとく無視し破壊した。ルーチェが既存の山や世界のどこにも当てはまらない理由も、これではっきりする。新山の頂上=新たなる夢の存在は、まだわれわれには見えていない。そしてこの挑戦が成功したかどうかを判断できるのは、次世代の人たちだろう。大げさな予想にすぎるかもしれないが、フェラーリとは常にそういうものだ。
冒頭に戻ろう。あなたはルーチェを買えるのか、と聞いた。かくいう私も、おそらくこれを読んでいるほとんどの人も買うことはできない。お金があっても買わない、という人もいるだろう。登っている最中の山とは違うのだから、当然だ。
選ばれし人たちのクルマ。だがそれでいい。その緊張感を、こうして言葉にできる側にいる。それが買えないわれわれに残された唯一の、しかし存外に豊かな特権である。罵詈(ばり)雑言も含めて。あ、そうそう、限定車との抱き合わせ販売だけはやめておいたほうがいい。セールスの現場では仕方ないことかもしれないけれど。
そして、私自身がクルマ好きの自動車ライターとして今一番欲していることといえば、違う山を登るためのクルマとはいえ、そのパフォーマンスを早く体験してみることだ。使いやすそうなインテリアから空力デザイン、そしてF1ドライバーが子供のように喜ぶパフォーマンスまで、体験すべき技術的論点の数々もまた、素晴らしいものであるようだから。
(文=西川 淳/写真=フェラーリ/編集=関 顕也)
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西川 淳
永遠のスーパーカー少年を自負する、京都在住の自動車ライター。精密機械工学部出身で、産業から経済、歴史、文化、工学まで俯瞰(ふかん)して自動車を眺めることを理想とする。得意なジャンルは、高額車やスポーツカー、輸入車、クラシックカーといった趣味の領域。
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