第50回:世界一!? の「フェアレディ」ミーティング
2007.06.28 エディターから一言第50回:世界一!? の「フェアレディ」ミーティング
バスマンズ・ホリディ
2007年6月3日、その日は富士スピードウェイでルマン・チャレンジがあり、まだ朝の5時台だというのに東名は結構な交通量だった。その参加車とおぼしきキャリアカーの上に載ったロータスのシングルシーターが御殿場で下りるのを横目にしつつ、目指したのはさらに100km先の静岡県掛川市。第4回「ALL JAPAN FAIRLADY MEETING」があるというのだ。
ヤマハのリゾート施設、「つま恋」でDSCC(ダットサン・スポーツカー・クラブ・オブ・ジャパン。そう、“ニッサン”はそもそも“ダットサン”だったのだ!)のメンバーが4年振りに大集合、あの片山 豊さんもゲストで出席されると聞いて、日頃の無沙汰を詫びながら馳せ参じることにしたのだ。
休みの日くらいは仕事を忘れてと思うのだが、気が付いたら同じようなことをしているという意味の、いかにもイギリス人らしいシニカルなことわざを思い出して我ながら苦笑した。
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日本の真ん中、つま恋にZが1000台
もしかすると走っていたクルマの半分は富士スピードウェイ詣でだったのではないかと思うほど、そこから先は空いていて、結局開会の2時間前には着いてしまった。
会場は入口ゲート脇の大駐車場。すでに9割方は新旧さまざまな「Z」で埋まっていて、中には「第4回 ALL JAPAN FAIRLADY MEETING」の名に違わず、同じフェアレディでも「S30型」初代Z以前の「SP」や「SR」の姿もチラホラ見える。
通りかかった参加者の間からは、「へぇー、昔は3人乗りのスポーツカーなんかあったんだ!」と驚きの声が上がる。いうまでもなく、ふたり分のセパレートシートに加えて後ろに横向きの+1シートを備えた「SP310型」(OHV直4 1.5リッター)のことだ。Zの群はその後も途切れることがなく、ほどなく広い会場も満杯となり、溢れたクルマは別の駐車場へ。
聞けば参加車の数はここだけで過去最高の約1000台、事前の申し込みは1500台近くにも達し、やむなく先着順ということで一部を断ったほどだとか。
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うちはシバリもなく、自由ですから
早速、会長を務めて38年という大浦誠さんを見つけて仕事モードに。挨拶もそこそこに、なんでこんなに多いのか聞いてみた。
「DSCCの本部は僕がいる横浜ですが、支部が全国に10あり、メンバーの数は合計で1350人。不思議なことにここ10年くらいずっと変わりません。新しく入る人と出る人が結果的に同じくらいということなのでしょうか。出入りは自由、今日も参加料なし、つま恋の入場料だけです。とにかく規則めいたことでがんじがらめにするのがイヤなんです。
途中でうちの連中とお会いになったかもしれませんが、みんな和気藹々、走りもジェントルだったでしょう。
それにしても今日はいい天気ですね。前回も、その前も雨でしたから」と、
我が子ほども若いオーナーたちに混じって集会の盛況振りに目を細めていた。
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巨きな樹の下に集うがごとく
“Father of Z-car”として世界中で敬愛され、その功を以てアメリカの“自動車殿堂”にも叙せられたMr. Kこと片山豊さんとはこれが1年半振りの再会。今年97歳におなりだが、そのかくしゃくとした様子は縁あって知遇を得た四半世紀前とまったく変わらず、この日も朝からサインを求める長蛇の列を相手に健筆を揮っていた。Zだけでなくクルマ全般に注がれた情熱はいまなお衰えず、それは開会の辞にも表れていた。
「アメリカにもイギリスにもZのイベントはたくさんありますが、これは恐らく世界一のミーティングでしょう。たった6時間のために日本中から仲間が集まってくる。
ところで、この中で我こそは一番遠くから来たと思っている人はだれですか?あとでじっくりお話を聞きたいので名乗り出て下さい(結局、北海道帯広市からのオーナーと判明)。
人間は集まることが最も愉しい。そうでしょう。同じ趣味を共有し、ともに語り、考える。
是非このミーティングを続けて下さい。ですから自宅を出て再びそこに帰るまでをラリーと思って、途中事故のないよう、また気持ちよく走って下さい。スポーツカーは必ずしも速さだけのものではありません。それを目的とするのはレーシングカーです。家族や友人と野山を爽快に走りたいというのがそれそも我々の目指したスポーツカーなのです。Zは誕生してからもうすぐ40年になろうとしています。ヨーロッパではヴィンティッジカーとかクラシックカーと言って自慢するけれど、我々のZももはや充分にその名に値すると信じています」
なんという若々しさだろう。真っ当なことには違いないが、その真っ当なことを真っ当に言える人間が少なくなってしまった今日この頃だからこそ、我々が片山さんに対して格別の若々しさを感じる理由に違いない。
そのせいか、帰路は少々急いだ往路と違って、たまにはノンビリしたハイウェイクルーズも悪くないといつになくおとなしい自分がいたのが可笑しかった。
(文・写真/別冊単行本編集室 道田宣和)
