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第241回:イタリア語の勉強に役立つ!? 「フィアット少年兵」に「デ・トマゾ ナガタニ」

2012.04.20 マッキナ あらモーダ! 大矢 アキオ
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第241回:イタリア語の勉強に役立つ!? 「フィアット少年兵?」に「デ・トマゾ ナガタニ?」

「ダットサン」と「日産」

日産自動車は2012年3月20日、インドネシアで行われた記者会見で、「DATSUN(ダットサン)」ブランドを復活させることを発表した。日産、インフィニティに続く第3のグローバルブランドとして、2014年からインド、インドネシアおよびロシアを皮切りに販売開始するという。

戦後の日本市場に関していえば、日産は長年ダットサンを小型車ブランドと位置づけ、「ブルーバード」や「サニー」などに用いてきた。ただし1966年生まれのボクが物心ついた頃には、ダットサンというブランド名の存在感はかなり薄くなっていた。ダットサンといえば、家に配達に来るお米屋さん兼燃料店のおじさんが乗る「ダットサントラック」だった。だから1970年代中盤のある日、ブルーバードの正式名称が依然として「ダットサン・ブルーバード」であったことを知ってひどく驚いたものだ。

ダットサン・ブルーバードの販売店で「日産プレジデント」も売っているのに、なんで別々のブランドと認識しなければならないんだ? というのがボクの率直な思いだった。ブルーバードより下位車種である「バイオレット」が日産ブランドなのも解せなかった。

したがって1980年代に入って当時の石原俊社長が輸出市場におけるブランド名を「NISSAN」に統一したときも、戦前からのダットサンを知る人には衝撃的だったようだが、ボクとしては「当然の流れだろう」とクールに受け取ったものである。
また欧州市場に関していえば、日産車がユーザーに広く定着したのは、日産に統一されてからである。ダットサン時代を知る人は少数派だ。そうしたことから、ボクの周辺でダットサンにノスタルジーを感じるといった話を聞いたことはない。

しかしダットサンという名前そのもののユニークさについては、ボクは評価している。自動車史に詳しい方ならご存じのとおり、その始まりは1914年、当時の快進社(日産自動車の前身)自動車工場が製造第1号車に「ダット」と名付けたことにさかのぼる。

“DAT”は同社の恩人3名の頭文字と「脱兎(だっと)」をかけあわせたものであった。やがて日産財閥の総帥・鮎川義介の資本参入を機会に、ダットの息子を意味する“DATSON”に改名され、さらに語尾がSON(損)よりも縁起のよいSUN(太陽)に変更された。

自動車に関するネーミングの世界で日本語が用いられ、海外でも一定の知名度を得たという例では、「トヨタ・カムリ」(冠)「三菱ふそう」(扶桑)に先駆けた快挙といえる。

1971年「ダットサン・ブルーバードU」(610型)
1971年「ダットサン・ブルーバードU」(610型) 拡大
初期型「フィアット・カンパニョーラ」(1951-1973年)
初期型「フィアット・カンパニョーラ」(1951-1973年) 拡大
「フィアット500 ジャルディニエラ」。1966年からアウトビアンキにブランド名が替えられて1977年まで生産された。
「フィアット500 ジャルディニエラ」。1966年からアウトビアンキにブランド名が替えられて1977年まで生産された。 拡大
「フィアット1100D ファミリアーレ」(1962-1966年)
「フィアット1100D ファミリアーレ」(1962-1966年) 拡大

フィアット見晴らし最高ッ!

いっぽうイタリアの自動車メーカーは、自国語を外国語に翻訳することなく堂々と商品名に使い、甘美な響きで世界のファンを魅了してきた。その高い母国語使用率は、隣国フランス車の比ではない。
そこで少々意地悪ではあるが、イタリア車の名称をあえて日本語に翻訳してみた。

まずはフィアット。往年の四駆「Campagnola(カンパニョーラ)」は「田舎の」または「田舎娘」という意味である。ずばり「フィアット田舎娘」だ。
かつて同社のステーションワゴンの車名に使われていた「Giardiniera(ジャルディニエラ)」は女性庭師を指す。
なお車名に女性を表すものが多いのは、自動車を意味する「macchina」がイタリア語で女性名詞だからである。

ワゴンには「Familiare(ファミリアーレ)」というのもよく使用されていた。こちらはお察しのとおり家族用である。日本で「家族用」という名前のクルマがあったと考えると、かなり面白い。
同様に往年のフィアット製ワンボックスに使われていた「Panoramica(パノラミカ)」は、「よい見晴らし」のことである。日本語にすれば「フイアット見晴らし最高ッ!」といったところか。

もっと昔のフィアットには「Balilla(バリッラ)」というのがあった。バリッラとはファシズム体制下の少年訓練組織の名称である。「フィアット少年兵」だ。ちなみにパスタのメーカー「バリラ」は創業者の姓である「Barilla」だ。お間違えなきよう。
今日も存在する小型車「Bravo(ブラーヴォ)」は「立派」を意味する。「フィアット・リッパ」というクルマがあると思うと楽しい。

「フィアット900E パノラミカ」(1980-1985年)
「フィアット900E パノラミカ」(1980-1985年) 拡大
1934年「フィアット508バリッラ」
1934年「フィアット508バリッラ」 拡大
「フィアット508バリッラ」の少年兵マスコット。
「フィアット508バリッラ」の少年兵マスコット。 拡大

あなたのクルマもイタリアに来れば……

かわって往年のエキゾチックカー「デ・トマゾ」。初期の1台「Vallelunga(ヴァッレルンガ)」はローマ郊外のサーキットの名称にちなんだものであるが、ヴァッレルンガとは「長い谷」を意味する。ボクはヴァッレルンガを見るたび、心の中で「あ、ナガタニだ」とつぶやいている。

しかし、さりげないイタリア語をカッコよくしてしまったものの横綱は、マセラティの「Quattroporte(クアトロポルテ)」であろう。なんのことはない、「4ドア」の意味である。事実イタリアではマセラティでなくてもドアが4枚付いていれば、クアトロポルテと呼ぶ。今これを読んでいるあなたがお乗りの「日産ブルーバードシルフィ」だって、イタリアに来ればクアトロポルテと呼んでもらえる。

クアトロポルテには及ばぬが、同様にイタリア語を堂々と駆使していたのは、ランチアであろう。「アッピア」「アウレリア」「フラミニア」といった車名は古代ローマの街道に由来したものである。もしランチアが日本車だったら、「ランチア甲州街道」でもよかったはずだ。

と、今回はイタリア車の名前を笑いの種に使わせていただいたが、実は昔そうした車名をきっかけに「ヴァッレのルンガねぇ〜」「クアトロのポルテかぁ」と、イタリア語の単語を少しずつ覚えられたのも事実だ。
そうした意味では、クルマの名前で日本語を覚えるのが難しい外国人がかわいそうになってくるのである。

(文=大矢アキオ、Akio Lorenzo OYA/写真=大矢アキオ、日産自動車)

「フィアット・ブラーヴォ」
「フィアット・ブラーヴォ」 拡大
「マセラティ・クアトロポルテ」
「マセラティ・クアトロポルテ」 拡大
「ランチア・フラミニアGT」(手前)と「ランチア・フラミニアクーペ」(奥)。
「ランチア・フラミニアGT」(手前)と「ランチア・フラミニアクーペ」(奥)。 拡大
大矢 アキオ

大矢 アキオ

Akio Lorenzo OYA 在イタリアジャーナリスト/コラムニスト。日本の音大でバイオリンを専攻、大学院で芸術学、イタリアの大学院で文化史を修める。日本を代表するイタリア文化コメンテーターとしてシエナに在住。NHKのイタリア語およびフランス語テキストや、デザイン誌等で執筆活動を展開。NHK『ラジオ深夜便』では、24年間にわたってリポーターを務めている。『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)、『メトロとトランでパリめぐり』(コスミック出版)など著書・訳書多数。近著は『シトロエン2CV、DSを手掛けた自動車デザイナー ベルトーニのデザイン活動の軌跡』(三樹書房)。イタリア自動車歴史協会会員。

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