第22回:絶体絶命のピンチ
2013.07.24 リーフタクシーの営業日誌こういう時に限って
リーフタクシーの運転手(=矢貫 隆)は迷っていた。
2回目の充電に向かうべきか、それとも、いっそこのまま店じまいしてしまおうか、と。春まだ遠い寒い日に冷や汗をかいて焦りまくるほんの少し前、日産の電気自動車を運転するこの俺が、まさか三菱のディーラーで優しくしてもらうなどとは想像すらしていない午後4時のことである。
この日、1回目の充電に入ったのは12時50分。場所はいつもどおり千代田区役所の地下駐車場で、急速充電の間に、ついでにランチを、とばかり、区役所10階の食堂に直行した。今朝の出庫は9時少し過ぎだから、フル充電状態で走りだし、その4時間弱後に最初の充電に入ったことになる。そして、ランチの後、区役所をでて午後一番の客を神楽坂で乗せたのは午後2時だったから、充電からわずか2時間後に、また充電の心配をしている運転手なのだった。
帰庫には早すぎる時間だ。しょうがない、もう一回千代田区役所で充電するか、と、飯田橋から九段下の方面に向かって走りだして間もなくだった。若い女性の客が、やってくるタクシーに向かって手を振っている。こっち、こっち、とばかりに。こういうしぐさをするのは急ぎの客と相場は決まっている。で、「すいません、急いでください」と言う客に限って行き先はすぐ近所だったりするものだ。
「すいません、ちょっと急いでるんです。次の信号を左に曲がってください」
やっぱり。
もっとも、バッテリー残量を示すメモリは最後の2個だけだから、行き先は近所じゃないと困るのだけれど。
運転手の手に震えがきたのは、乗客が発した次のひと言を聞いた瞬間だった。
「すいません運転手さん、そこの入り口から首都高に入ってもらいたいんです」
(うそ~ッ!)
心の内でそう叫び、(首都高でどこまで行く気だよ)と、やはり心の内で問いかけ、(途中でストップしてしまったら……)と最悪の事態を想像し、こういうときに限って、いつもだったら探しても乗せられない長距離の客が乗ってくるというタクシーにありがちな皮肉な事態が、なんで今、バッテリーがなくなりかけているこの状況で起こるんだよ。と、とにかく複雑に入り交じった思いを瞬時に浮かべたリーフタクシーの運転手は、はい、わかりました、と平静を装って返事をしたものの、実は激しく動揺していた。
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ラッキーか? アンラッキーか?
遠くなんて行けない。でも、いったん乗せて走りだしてしまった以上、いまさら客を降ろすなんて不正行為は絶対に許されない。
行くしかない。でも、どこまで?
あの~、行き先は……。
「砧までお願いしたいんです」
一般のタクシー車両に乗務中なら喜ぶところだが、俺は今、フツーじゃないタクシーを運転している。ちょっと目まいがした。
九段下から砧は遠い。果たして、たどり着くことはできるだろうか。バッテリーの減りを少しでも遅らせようと暖房を切り、西神田の入り口から首都高へと入っていく黒いリーフタクシー。
竹橋から都心環状線に合流し、あとは3号渋谷線をまっすぐ行って東名高速の手前、用賀で降りる。と、ここまで無事にたどり着けば、その後はバッテリー切れで止まってしまっても客に大きな迷惑はかかるまい。環八を右折、ちょっと先の三本杉陸橋を左折して世田谷通りに入れば砧はすぐそばなのだから。
というような算段をして走りだし、いい調子で霞が関を過ぎ、谷町JCTも混雑なく通り過ぎることができたのだが、その後がいけなかった。中央環状線が合流する大橋JCTを先頭にした渋滞が渋谷まで続いていた。
急いでいるのに進まない車列に焦る客。バッテリー残量がないのに進まない車列に焦る運転手。
渋滞の先頭が見えてきた頃、バッテリー残量を示すメモリがひとつ減り、最後のひとになった。
いよいよ事態は切迫してきた。
お客さん、と、ここで初めて乗客に話しかけた運転手、事前に説明しておくべきだろうと判断して、こう続けた。
このタクシー、電気自動車なんです。
「あら、ほんとだ。ここに書いてある。だから静かなんですね」
「珍しいタクシーに乗れてラッキーです」
でもね、お客さん、もしかするとアンラッキーだったかもしれません。
「どうして?」
バッテリーがなくなりそうなんです。
運転手がくだらない冗談を言っているとでも思ったようで「ハハハ」と彼女は笑って受け流し、その様子から、こいつ冗談だと思ってるなと感じた運転手はメモリを指さし、バッテリーの残り、これだけなんです、と続けたわけである。
「あら……」
しばし言葉に詰まってから、乗客はこう言った。
「私、どうなってしまうんでしょう」
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心やさしい対応に感謝
幸いにもリーフは首都高を走り切り、無事に環八から世田谷通りへと入っていった。
運転手は、この間、信号待ちのたびにナビを操作し「目的地付近の急速充電施設」を検索している。そして、目的地と同じ町内の砧1丁目に「日産プリンス東京 成城砧店」の表示に安堵(あんど)していた。
よしッ、これでバッテリー切れによる立ち往生という事態は避けられそうだ。
ところが、なのだった。
6560円の料金と高速代700円をいただき、日産プリンス東京へと取って返した運転手、えッ? とばかりに立ちすくんだ。なんと、この日は休業日。
焦るリーフタクシーの運転手。慌てて次の急速充電施設を選択する。
場所は……、場所は環八沿い、首都高入口のちょっと手前。ということは、すぐ近くだ。よかった~。
5分とかからず目的地に到着し、まさに危機一髪。リーフに乗っていると危機一髪が多すぎるような気がするが、とにかくこのときも危機一髪だった。
ところが(また)、なのだった。
なんだか様子がおかしい。
なぜだろうと思いつつ、その販売店の敷地に入った瞬間である。なぜだろう、の“なぜ”がわかった。あるはずの「リーフ」がなく、代わりに駐車していたのは三菱の「i-MiEV」だった。
こ、ここはミツビシ……。
頭のなかでは、電気自動車はリーフと i-MiEVとわかっている。けれど、日常的にリーフにしか乗らないリーフタクシーの運転手の潜在意識は「自動車販売店の急速充電=日産」と勝手に決めてかかっていたわけだ。
今度こそ絶体絶命と覚悟した。いよいよ立ち往生でレッカー移動か、と覚悟した、まさにそのときである。つまり、三菱自動車の敷地に入ると同時(運転手が、いけね、ここは三菱だったとわれに返ったのと同時)に、店内からサービススタッフが走り寄ってきた。
すみません、間違えました。
そうわびようとしたリーフタクシーの運転手より先に、サービススタッフが大きな声でこう言った。
「充電ですね」
「三菱だろうと日産だろうと電気自動車の充電に違いはない。だから遠慮する必要なんてまるでない」
言葉にこそ表さなかったけれど、リーフタクシーの運転手をショールームに案内しコーヒーをだしてくれたサービススタッフの態度は、そう言っているも同然だった。
三菱自動車の販売店にリーフが充電に入ってくるのは、おそらく「当たり前」ではない事態だったはずである。それなのに三菱自動車の顧客のごとく迎えてくれたサービススタッフ。リーフタクシーの運転手は、その対応ぶりに感激してしまったわけである。
絶体絶命だったんです。本当にありがとうございました。
関東三菱自動車販売、世田谷店のサービススタッフに深く感謝するリーフタクシーの運転手なのだった。
(文=矢貫 隆)

矢貫 隆
1951年生まれ。長距離トラック運転手、タクシードライバーなど、多数の職業を経て、ノンフィクションライターに。現在『CAR GRAPHIC』誌で「矢貫 隆のニッポンジドウシャ奇譚」を連載中。『自殺―生き残りの証言』(文春文庫)、『刑場に消ゆ』(文藝春秋)、『タクシー運転手が教える秘密の京都』(文藝春秋)など、著書多数。