第65回:村上春樹最新作は“クルマをめぐる冒険”だった!?
『ドライブ・マイ・カー』
2013.12.14
読んでますカー、観てますカー
短編発表がニュースになる作家
2013年11月7日付の朝日新聞に、【村上春樹さん新作短編は「ドライブ・マイ・カー」】という記事が載った。短編ひとつ書くだけでニュースになってしまう。村上春樹という作家は、そういう存在なのだ。彼と宮崎駿の新作は、とりあえずチェックしておかなければいけないという暗黙の了解のようなものがある。出来不出来にかかわらず、知らないではすまされない雰囲気なのだ。
『文藝春秋』2013年12月号に掲載されたこの作品は、タイトルのとおりクルマが重要な意味を持っている。主人公の家福(かふく)は俳優で、自分のクルマの運転手を探していた。少し前に事故を起こして免停になり、目には疾患が見つかった。クルマの中で台詞(せりふ)の練習をするので、仕事場への行き来は電車というわけにはいかない。それで、専属の運転手を雇おうと考えたのだ。修理工場の主人に相談すると、候補として紹介されたのは若い女性だった。
冒頭で家福の女性ドライバー観が開陳される。
「彼女たちの運転ぶりはおおむね二種類に分けられた。いささか乱暴すぎるか、いささか慎重すぎるか、どちらかだ」
「かなり運転の達者な女性たちもいた。しかしそんな場合でも家福は、彼女たちからなぜか常に緊張の気配を感じ取ることになった」
「だからオンナの運転ってのは……」という、よくあるオヤジの繰り言のように聞こえてしまうかもしれない。しかし、家福は女性の運転の技量そのものをけなしているわけではないのだ。問題は彼女たちではなく、むしろ家福自身にある。彼の女性への関係の仕方は、いつも不器用でぎこちない。村上の作品では、女性は必ず解釈不能な存在として立ち現れる。
バブル期のサーブは派手だった
『ドライブ・マイ・カー』というタイトル自体、クルマの運転だけを示しているのではないだろう。忌野清志郎の『雨上がりの夜空に』でもわかるように、クルマを運転するというのは性行為の暗喩として用いられることが多い。クルマは時に女性性を、時に男性性を帯びる両義的な存在である。運転の仕方とは、男女の関係性を意味しているととらえることもできるだろう。
紹介された女性、渡利みさきは優秀なドライバーで、家福は彼女を雇うことを決める。運転の腕は確かで、注意深くなめらかな操作をした。それも気に入った点のひとつだが、家福が彼女を採用した理由のひとつが容貌だった。「どのような見地から見ても美人とは言え」ず、「ひどく素っ気ない顔をしていた」。そして無口で、無表情だった。彼女が女性としての魅力に欠けているおかげで、家福は気後れせずに接することができる。
彼のクルマは、「サーブ900カブリオレ」である。12年乗り続け、走行距離は10万キロを超えている。この物語の時代は明示されていないが、リアルタイムの話だとすると中古で購入したことになる。サーブ900が販売されたのは初代が1978年から1993年で、2代目も1997年までだ。
サーブ900カブリオレは、バブル期の象徴のようなクルマだった。「BMW 3シリーズ」が“六本木のカローラ”などと言われていた頃である。いわゆる外車が東京の街を席巻し始めていたが、サーブ900の派手なたたずまいと異物感は別格だった。当時の日本で最も位の高い女性であったスチュワーデス(現在のCA)は、なぜか、みんな黄色のカブリオレに乗っていると信じられていた。
この小説のサーブも黄色である。デビュー当時の村上はクルマの知識が乏しかったが、80年代の後半あたりから自動車マニアになっていく。きっとその頃路上で見かけた黄色いサーブの印象が、彼の中に強く残っていたのだろう。
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ビートルズ由来のタイトル
ほとんど会話のないふたりだったが、次第に静かな心の交流が生まれる。家福は数年前に死んだ妻の衝撃的な秘密まで打ち明けるようになった。そこで語られるのは、やはり女性の解釈不可能性であり、ついに関係を打ち立てることができなかった悲しみである。
小説は、唐突に終わる。分量もわからぬまま読み始めたので、続きがあると思ってページをめくると別の記事が始まっていて驚いた。『ノルウェイの森』はもともと短編の『蛍』を長編化したものだし、『1Q84』の時は続きがあるのかどうかで論争になった。村上の作品は、終わったのかどうか判然としないことがよくある。この作品は、とりあえずは一区切りがついたようだ。『文藝春秋』2014年1月号に、別の短編小説が掲載されたのだ。
『ドライブ・マイ・カー』には「女のいない男たち」というサブタイトルが付けられていたが、今回の作品は「女のいない男たち2」となっている。どうやら、同じテーマでの連作短編の形になっているらしい。タイトルは、『イエスタデイ』。冒頭からビートルズの『イエスタデイ』の関西弁訳歌詞が登場する。『ドライブ・マイ・カー』もビートルズ由来で、1965年のアルバム『ラバー・ソウル』の最初を飾る曲だ。ちなみに、2曲目は『ノルウェーの森』である。
今度の小説は、ストーリー的には前作とまったく関係はない。そもそも三人称と一人称の違いがあるし、時代もまったく違う。『イエスタデイ』の主人公は早稲田大学の2年生で、まだ20歳の若者だ。その男、谷村は神戸の出身で、東京に出てきてからは標準語を話す。彼の友人は田園調布に住んでいるが、独学で身につけた完璧な関西弁を話す。時代は少し後に移されているが、谷村には村上自身の経歴が少なからず反映されているようだ。
クルマの話ではない。車名は出てくるが、それは彼らの実家の経済状況を表す指標として使われるだけだ。谷村の家にはクリーム色の「トヨタ・カローラ」があり、友人の木樽の家には「ひとつ前のモデルの紺色のゴルフ」がある。彼らもまた、女性との関係を手探りで築こうとしてもがいている。木樽は幼なじみの女性と付き合っているが、キスより先に進むことができない。彼が見つけた解決策は、彼女と谷村を交際させるというものだった。
これは序章なのか……
テーマは、『ドライブ・マイ・カー』と同じである。男は女をついに理解することができず、不可解な偶像として距離を置こうとする。問題はここでも女の側ではなく、彼の中にあるのだ。真実を知る恐れの前に立ちすくみ、コミュニケーションを拒絶しているのは男である。解釈しようとする姿勢そのものが茶番であり、女性の生の存在感の前には無力である。彼女たちは“好奇心と探究心と可能性”を武器に、前を向くことのできない男たちを圧倒するのだ。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ時は、正直なところかなり心配になった。しかし、村上春樹は戻ってきた。アフォリズムを連発する独特のキレのよさも復活している。小説中の分身に「決めの台詞を口にしすぎることも、僕の抱えている問題のひとつだ」と言わせるという自虐ギャグを潜ませる余裕があるところに好調さが見える。
村上は、小説でクルマを効果的に使うことのできる数少ない作家のひとりである。自動車の知識を持っていて、自らドライブすることを好む。『ドライブ・マイ・カー』の中に「彼女はいつも運転に神経を集中していた。あるいは運転によってもたらされる特殊な禅の境地にひたっていた」という表現があった。まるで舘内端の怪著『クルマ運転秘術』から引用したかのようだ。
この連作短編が最終的にどんな形を取ることになるかは、今はまだわからない。さらに同じテーマでさまざまな物語が綴られていくのかもしれないし、この中から長編小説に発展していく可能性もある。実は『ドライブ・マイ・カー』には、家福とみさきに不思議な縁があることが示唆されている。彼らの間には、超自然的なつながりがあるようなのだ。2年ぐらい後に、この小説を序章とする長編小説が書かれるのではないかと、密(ひそ)かに期待している。
(文=鈴木真人)

鈴木 真人
名古屋出身。女性誌編集者、自動車雑誌『NAVI』の編集長を経て、現在はフリーライターとして活躍中。初めて買ったクルマが「アルファ・ロメオ1600ジュニア」で、以後「ホンダS600」、「ダフ44」などを乗り継ぎ、新車購入経験はなし。好きな小説家は、ドストエフスキー、埴谷雄高。好きな映画監督は、タルコフスキー、小津安二郎。
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